Aパート

 私と橋本刑事は拳銃を構えて対峙している。どうしてこんなことになったのか・・・。それは1週間前にさかのぼる。


 ホステスがマンションの部屋で刺殺される事件が起こった。すぐに城西署の捜査課の捜査員が現場に急行した。

 被害者は西森光江、28歳。心臓を包丁で一突きされて出血多量で死亡。その包丁は部屋で見つかっていた。そしてその包丁やドアのノブからいくつか指紋が検出されていた。近所の住人の話では部屋から慌てて男が飛び出してきたという。だがその顔は見ていない。


 光江は、私たち捜査1課第3班が追う暴力団員、津島武の女だった。そのため私はその現場に顔を出した。するとそこで知り合いの刑事に会った。それが橋本刑事だった。

 彼はまだ30過ぎなのに昔ながらの黒縁の眼鏡をかけていた。それがユーモラスな印象を与え、笑っているように見えた。それに言葉使いも優しい。だから「仏の橋本」という別名もある。だが実際のところ橋本刑事は凄腕だった。いくつかの難事件を解決に導いたことがあった。

 

 部外者の私が現場に行っても彼は嫌な顔をしなかった。


「ああ、日比野君だね。よく来たね」

「橋本さん。お久しぶりです。今回の事件についてですが・・・」

「どうも痴情のもつれのようだね。カッとなった男が台所にあった包丁で刺したようだ。指紋も出ているし、犯人はそのうち捕まるよ」

「そうですか」


 確かに指紋を照合すれば、前がある者ならすぐにわかるだろう。橋本刑事が私に尋ねた。


「君の方は?」

「暴力団員の津島武を傷害容疑で追っています。光江は津島の女です」


 すると橋本刑事の眼鏡の奥の目が光った。


「そうか。じゃあ津島が第一容疑者というわけだね」

「それを確かめに来たのです。どうですか?」

「うむ。まだ断定はできないね。だが光江はしょっちゅう若い男を連れ込んでいたようだ。津島が逆上して・・・ということが考えられるね」


 私は橋本刑事と話しながら現場を見ていた。するとテーブルの上に眼鏡が置かれていた。薄い銀縁の普通のものだった。手袋をして手に取ってみると度はかなり強い。


「誰のものでしょうか?」

「津島のものじゃないのかな。光江のものでもないよな」


 確かに津島は眼鏡をかけている。予備の眼鏡がここにあっても不思議ではないが・・・。その眼鏡を津島がかけているのを想像すると違和感を覚えた。津島は普段は少し色の入った派手な眼鏡をしている。この眼鏡は彼のものでないように思えた。

 橋本刑事もその眼鏡をじっと見た。彼の目に一瞬、驚きが見えた気がしたのだが、何事もなかったように私に言った。


「調べてみるが津島からは話を聞かないとな。奴の情報があったら教えてくれ」

「わかりました」


 私はそう言ってその現場を後にした。橋本刑事は相変わらず優しい。だが近いうちに容疑者を絞り込むだろう。それが津島でないとしても・・・。


 ◇


 私たちは津島を追った。容疑は傷害だが、彼を逮捕することによって彼の組を壊滅に追い込めるかもしれない。

 そんなある日、私は偶然、街で津島を見た。私は倉田班長に連絡を入れ、彼の後をつけた。しばらくして彼はある雑居ビルに入った。後は班長たちが到着するのを待って踏み込んで逮捕するだけだ。

 だが張り込んでいる私に声をかける人がいた。


「日比野。津島か?」


 それは橋本刑事だった。


「そうです。この雑居ビルに入って行きました。多分、3階の大沢産業という事務所だと思います」

「わかった」


 橋本刑事はそう言って雑居ビルに向かっていった。


「ちょっと待ってください!」


 私は声をかけたが橋本刑事は耳を貸さず、その雑居ビルに入っていった。仕方なく私は彼の後に続いた。彼は階段を上がり、3階の大沢産業のドアの前に来た。そこに一人で乗り込もうとしていた。私は止めようがなかった。


「警察だ!」


 と橋本刑事がいきなりドアを開けた。すると中にいた暴力団員の男たちが彼の前に立ちふさがった。


「どけ!」


 橋本刑事はその男たちを突き飛ばした。奥にいた津島がそれを見て、あわてて逃げようとした。だが橋本刑事は津島の腕をつかまえて床に投げ飛ばした。そして


「公務執行妨害だ!」


 と手錠をかけた。

 私は唖然とした。あの温和な橋本刑事がこんな荒っぽいことをするとは・・・。


「橋本さん。この容疑者は私が追ってきたのです。捜査1課で取り調べさせてください」


 私はそう言ったが彼はにべもなく断った。


「だめだ。俺が手錠をかけた。城西署で調べる。それにこいつはうちが担当している殺人事件の容疑者だ」


 彼はそう言って強引に津島を連行していった。黒縁眼鏡越しに見えるその目はいつになく冷たく厳しかった。



 私は悔しい思いをしたが仕方がなかった。だがあの橋本刑事がそんな真似をするなんて・・・。私の知る限り、彼はいつも穏やかで微笑んでいた。

 かつて城西署と合同捜査を行い、犯人を挙げたことがあった。そのときの城西署の慰労会に私は呼ばれた。そこで彼とじっくり話す機会があった。


        ――――――――――――――――――――――――


 橋本刑事はお酒でいい気分になって饒舌に私に話しかけた。


「日比野さん。大活躍でした。まずは1杯」

「ありがとうございます。皆さんにご協力いただいたからです」


 私はビールを注いでもらった。


「いやあ、最近、いいことだらけですよ」

「そうなのですか?」

「ええ、弟の信二が帝都大学の法学部に合格したんですよ」

「それはおめでとうございます」

「弟は俺と違って頭がいいし、努力家だ。出世しますよ・・・」


 聞けば橋本刑事の両親はとうになく、年の離れた弟の面倒を見ているという。彼は弟の写真も見せてくれた。賢そうだろうと。その弟が彼の自慢の種だった。彼は他の同僚にも同じような話をしていた。黒縁眼鏡の奥に見える目はうれしそうに輝いていた。


     ――――――――――――――――――――――――


 捜査の時も目にやさしさを絶やさない・・・そんな橋本刑事がそんな風になるとは今でも信じられなかった。

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