み つ け た
入学式。
それは大人たちの話を延々と聞かされる苦行である。
しのぶの声ではなく顔も知らない人間からの電報を聞かされたり、どっかの本の一文から抜粋したような当たり障りのない内容を延々と聞かされ、パイプ椅子の上に乗っかる自分の尻の感覚が消えていく行事であり、しのぶの声が待ち遠しくて仕方がなくなってしまう地獄のような拷問。
(そろそろしのぶのASMRを聞かないと死ぬ)
何が嬉しくてオレが愛してやまない『しのぶ』ではない大人の声を聞かねばならない⁉
俺を殺すつもりなのか、この学校の職員ども……!
(……くっ。脳内に入ってくる雑音を全てしのぶに変換していなかったら発狂死していた……お兄ちゃんにそんな解決方法を教えてくれてありがとうな、俺の心の中のイマジナリーマイラブリーシスター、しのぶ。しのぶのおかげでお兄ちゃんは今日もまともに生活できるよ……ははっ、礼なんていらないさ。兄妹だろ、オレたちは? 兄妹ならお互いを助け合って当然じゃないか)
拷問という拷問を過ごし、耐えがたきを耐え、心の中のしのぶと一緒に脳内ASMRをしながら過ごしているうちに……周囲の新入生たちから雑音が漏れ出る。
「おいおい、もうすぐだぜ……! もう少しで新入生代表……!
「成績優秀、美少女、あの音無株式会社の社長令嬢! いや、本当に俺らとは住む世界が違うっていうか……! 俺この学校に入れて本当に良かった……!」
なんて、先生のつまらない話を聞くことなぞどうでもいいような生徒同士の雑談を耳にして得た情報にワクワクしている男子生徒から分かる通り、噂が1人歩きしている有名人をまだかまだかと待ち望んでいる生徒たちがあまりにも多い。
だが、まぁ、仕方ないだろう。
だって、美少女だ。
『俺、話を聞く為に見ているだけですが?』という免罪符を有して、堂々と美少女を観察できるのにしないというのは男が廃る。
しかも、一方的にこちらからは見れるというのに、向こうはそれに気づく余裕がないというのも一種のスパイスであるし……それに音無株式会社と言えば、俺の心の友にして戦友である高機能イヤホンを作成して下さる会社である。
そう考えれば、音無株式会社の社長令嬢である彼女をエロい目では見てはいけないという思いが強まり──興奮していないと言えば、嘘になる。
というのも、するなと言われたら、逆に興奮してしまう。
オレだって他人の話を聞けと言われたら、しのぶの声に変換して聞いてしまう。
それが男の性である訳なのだが……さて、その音無という人間は果たしてどれほどの美少女なのだろうか。
まぁ、オレの脳内で構成されている『しのぶ』の方が何億倍も美少女なのだが。
残念だったな、音無の令嬢。
恨むなら、かわいいかわいいオレの妹のかわいさを恨め。
「えー。それでは新入生代表挨拶を行います」
そう言えば、音無の令嬢で思い出したけれども……それにしても、まさかその音無株式会社の商品である小型盗聴器が自分の部屋の天井にあるとは流石に思わなかった。
あの後、急いで天井に付着していた盗聴器を外す作業をしていたので、入学式に遅れてしまいそうになったのだが、幸いにも何とか間に合いそうでよかった。
ブツがブツだったので、後で警察に相談でもすればいいだろうとのんびりと考えていると、周囲の生徒たちの間に浮足立つような雰囲気がいよいよ本格的になりつつあった。
……どうやら、件の美少女がそろそろ登場するようである。
「えー、それでは、新入生代表、
「──はい」
ひんやりとした、いかにも真面目で遊びのない声。
無駄という無駄を省き、感情を一切入れていない透明感のある声はまるで鍛えられた刃物を連想させる。
浮足立った周囲を黙らせるような遊びが一切ない厳かな声がマイクを伝って周囲に響き渡り、音無静香という人となりを見事に表してみせた声の方向に思わず視線を向けて──。
「──え?」
俺は声の主の姿を見て、動揺を隠せなかった。
というのも、音無静香と呼ばれた件の美少女は今朝ベランダでナスを口に咥えてフェラ音を出していたお隣さんの美少女だったのだから。
一瞬の事で頭の中が真っ白になっていたオレが我を取り戻すと、彼女は既に壇上に立ち、台本を手にしていた。
壇上に立つ彼女と、パイプ椅子に座っているオレ。
彼女の視線とオレの視線が重なってしまったかのような感覚を覚える。
……いや、まさか。
それは流石にありえない。
いくら俺が彼女を見ているとはいえ、俺はパイプ椅子に座っている全学生の1人に過ぎない。
そして、彼女は1年生代表として挨拶をしなければならない状況だ。
そんな彼女が果たしてわざわざ俺を視認できる余裕があるだろうか?
普通に考えてみて、そんな事はありえない。
普通の人間であれば緊張のあまり、手に持った台本を棒読みするしかないぐらいに緊張しているはずだ。
「──暖かな春の訪れと共に、私たち120人の新入生は無事に桔梗学院の入学式を迎えることが出来ました」
彼女は随分と慣れているなというのが、彼女の声を聴いた第一感想。
まるで何度も日頃から練習でもしているかのような、自然さ。
下手に緊張して周囲に嘲笑われるような固い声ではなく、聞く人間の背筋を自然と伸ばさせるような適度な緊張感を催させるような声であり、会場にいる誰もが彼女の一言一句を違わずに聞こうと口を一文字のように引き締める。
そんな彼女の声は例えるとするならば……100点満点の試験で100点以下を取ってしまう訳でもなく、100点以上を叩き出す訳でもなく、ぴったり100点を取ってしまうような声であった。
「本日はこのような素晴らしい式を開いて頂き、誠にありがとうございます」
──彼女はどうもこういう答辞を行う事に慣れている類の人間であるらしかった。
だが、壇上の上に立つ経験をする人間というのは意外と少ないものだ。
だとすれば、彼女は恐らくきっと壇上以外の場でもこういう事――例えば、声優業だとか、ASMR作成に携わるような――に関係する人種であるのだろうか?
そこまで考えて、オレは頭を振る。
流石にそれは都合よく考えすぎだろう。
それに彼女が音無株式会社の社長令嬢であるのなら、お偉いさんとのお見合いだとか、新商品のお披露目パーティだとかそういう機会など数え切れないぐらいにあるだろう。
いくら何でも『声を出す姿が堂々としていて、声が似ているから』という理由で彼女の声がオレの推しエロASMRerである『しのぶ』であると断定する訳にはいかない。
「私たち新入生は右も左も分からない状況です。どうか、先生方、上級生の皆様方。私たち新入生は桔梗学院の生徒として精進していきますので、ご指導くださいますようにお願い申し上げます」
「……ん?」
違和感を、感じた。
この違和感は一体何だろうと考えて、オレに突き刺さるような何かを感じた。
視線だ。
当然の話にはなるのだけれども、ASMRを聞いている最中に声優からの視線を感じる事などはありえない。
ASMRとは耳だけの情報を楽しむモノであって、それ以外の情報を楽しむだなんて芸当は現代の技術では到底不可能だ。
だからこそ、オレは彼女の視線に意識することに遅れてしまった。
「いやいや、流石にそれはありえないって……」
オレが思わず口にしてしまった独り言を否定するかのように、彼女の眼は一切手元の台本に向けられてはいなかった。
ずっと、彼女は視線を固定させていた。
そりゃあ当然だろう。
こういう場においてきょろきょろと視線を動かすのは『優等生らしくない』からだ。
彼女はオレをずっと見ていた。
優等生らしい真面目な表情を浮かべて、作業をする機械のように動揺する事もなく、すらりすらりと耳障りのよい声で台詞を出しながら、オレを見ていた。
「そして、私と同じ新入生の皆々様。これから様々な前途多難が待ち受けるでしょうが、皆々様の力を借りれば乗り越えられると私は信じております」
ずっと、台本を見ずに。
ずっと、機械的に台詞を口にして。
ずっと、彼女はオレを、オレだけを見ていた。
オレを見る為だけに、彼女はあそこに立っていた。
オレを合法的に見る為だけに、彼女は新入生代表になったのだと言わんばかりに、彼女は目で語りながらオレを見ていた。
「──新入生代表、
音無静香はそう言い終えると同時に、割れんばかりの拍手が鳴り響き、そんなモノには微塵も興味がないと言わんばかりに彼女はオレに向かってにっこりと笑ってみせる。
――見つけた、と言わんばかりの笑顔を浮かべる彼女はさながら獲物を追いかける狩人を彷彿とさせて、そんな視線に射抜かれたオレはとても暖かい春の季節だというのに、まるで冬に感じるような悪寒で身を包まれたのだった。
~【おまけ】このマンション……何か……変……?~
本作品内のマンション見取り図↓
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