お前も妹にならないか? 聞けば分かる。妹だな?

 隣のベランダにいた少女はとてつもないほどの美少女であった。


 印象的な大きな黒色の瞳。

 濡れたからすを思わせる朝日を弾く艶のある黒い長髪。

 透き通るような白い肌に、遠目から見ても分かるぐらいの大きな睫毛まつげ

 モデルのように細身ですらりと伸びた細い手足。

 細く整った鼻梁と、芸術品を思わせる顔の輪郭線。

 上品さと初々しさを連想させる桜色の薄い唇。

 色白なことも相まって、いかにもな深窓の令嬢といった雰囲気。


 そんな天女を思わせる美人が身にまとっていたのはオレが入学する手筈となっている高校のブレザー型の制服であった。

 

 詰まる所、オレが入学する高校にはこんな化け物レベルの美貌の女子生徒が先輩いもうと後輩いもうと同級生いもうとのうちどれかに存在する訳である。


 それに関しては大変に喜ばしい事である。

 こんな朝早くからベランダにいる時点でお隣さんであることはほぼ確実と言えるだろうし、そう考えるのであれば明らかにラノベやエロゲで出てくるような王道ラブコメが始まるフラグを彼女からびんびんに匂わせていると言えるだろう。


「ぶろろろろろぉぉぉぅぅぅんんん!

 ぢゅるるっ! れろれろ! ぴちゃぴちゃ……ぢゅるるるっっっ!!!

 ばぶぼぶぁ……じゅるるるぅぅぅっ!!!

 ぢゅるるるるる……れろれろ……ちゅぱちゅぱぁぁぁ!!! 

 れろぉ~~ぇれれれれれれちゅぅぅぅ!!!

 ……ちゅぱくちゅくちゅくちゅくぅぅぅぶじゅるんっっっ!!!」


 故に、そんなお隣に住んでいる美少女からこんな音が出ていても別段何も気にならない。

 

 むしろ、オレの推しである『しのぶ』で何度も聞き慣れている。


 彼女は凄く真面目な顔で、両手でナスを持って、口いっぱいになるまでナスを頬張って、まるでオーケストラの大舞台で演奏するかのような真剣な気迫でナスを用いてフェラ音を出していたのだ。


 これを聞き惚れずにいられるだろうか? いや、いられない。


「……すげぇ。まるでバイクの稼働音……否、アレは絶対にしのぶ! おぉ! しのぶ! 本当にしのぶなのか⁉ オレだ! お兄ちゃんだ! お前の妹だ! 本物の兄だ! 認知しろ! オレはお兄ちゃんだぞ⁉ オレはお前が通った産道を先に通った事で母さんの産道の露払いをしたお兄ちゃんだぞ!」


 間違いない。

 彼女が今やって見せているのは間違いなくバキュームフェラだ。


 バキュームフェラ。

 それは口の中を一時的に真空状態のようにして、吸い上げる音を発する技術の名称であり、バキュームという言葉から分かるように吸い上げタイプの掃除機を由来とした発声技術法……!


 しかし、あそこまでえげつない音を出すのには数日程度の研鑽ではとても足りない……!


 間違いない。

 彼女のこえを聞いていれば、分かる。

 彼女は、あぁして朝のベランダでバキュームフェラをする事が日課の変態美少女……だがしかし、オレが興奮の余りに発してしまった雑音は真剣に演奏をしていた彼女の邪魔をしてしまった。


「──ぶふぉぉぉうううッ!? み、み、み──ッ!? 奏斗みなとくん!?」


 野菜のナスを口いっぱい頬張っていた彼女がようやくオレの存在に気づいたらしく、凄く動揺しているのが目に見てとれた。


 彼女は急いでナスを口から出し──うわ、美少女のよだれとナスの間に糸引くよだれが凄くエッロ……!? はぁ何を言っているんだこの馬鹿兄貴⁉ 『しのぶ』の方がもっとエロいんだが⁉


「……おはようございます。良い朝ですね」


「おはようございます。今日もオレのしのぶのASMRの邪魔をするクソ鳥どもがうるさいですね。ところでオレの妹になりませんか?」


「……」


「そう言えば、その手に持っているナスは? もしかして、お兄ちゃんであるオレと一緒に食べる為のご飯ですか?」


「……えぇ、朝ご飯です」


 先ほどの情熱的な発声に比べて、今の彼女は余りにも冷静すぎた。

 冷静というか……まるで氷のような、何もかもを否定してやると言わんばかりの拒絶反応。

 

 誰がどう見ても、先ほどの事には触れるなと言わんばかりの対応そのものだった……が。


「オレ、キミの声が好きだ」


「………………へっ!? ちょ、いいい、いきなり何を言うんですか奏斗くん!?」


「綺麗だった。あれは数日そこらの練習で出来るものじゃない。あれだけのフェラ音を出すのには1年単位の修練が必要なはずだ。普通の人間が聞けば只の汚い音かもしれない。だけど、オレには分かる。それはただの汚い音じゃない。君の努力の結晶だ。感動した。オレ、キミの兄になっていいかな?」


 オレは正直に思った言葉を率直に伝える。

 そんなオレの言葉を真正面から受け取ってしまった彼女は凄い勢いで顔を真っ赤になっていた。


「ご、ご、ご、ごめんなさい……っ! 失礼しますね……!」


 聞き取れるギリギリのか細い声で彼女がそう呟くと逃げるようにナスで顔を隠しながら部屋の中に戻って行った。


 ガラガラ、ドンと窓が閉まる音がして。


「っ~~~~~~~!? 痛ぁ……!? ……うぅ……! 足の指挟んだぁ……!」


 また再びガラガラ、ドンと窓が閉まる一連の音が響いて、オレだけが1人その場に取り残されて、オレはようやく自分のしでかした事に気がついてしまった。

 

「……しまった。初対面の人間にフェラ音綺麗ですね褒めた挙句に妹にならないかって勧誘するって、オレは一体何を……」


 まるで『しのぶ』其の物の声の女子高生の生のフェラ音声を聞いてしまった挙句、オレの意識は暴走という暴走をしてしまった。


「……まるで、自分が自分じゃないような……なんだ、この感覚は……?」


 ――……とでも言うべきなのだろうか。


 彼女の声を聞いてしまった事で強制的に心身と魂が『しのぶ』の兄になってしまったオレはお隣さんに、いや、同じ学校の女子に変態みたいな事を口にしてしまったので非常に気まずい気持ちに陥っていた。


 というか、普通に考えて不審者扱いされてしまうのはこちらの方では?

 オレはただ美少女のフェラ音を聞いていただけだというのに。


「……あれ? でも、あの人に会った事あったけ? なんであの人はオレの名前を知っているんだ?」


 余りにも突然の事であったので、初対面である彼女が俺の下の名前を知っていたという事実に今更気づくが……もしかしたら、記憶にないだけで一度や二度ぐらい交流したのだろうか。


「いや、それは流石にありえない。あんな美少女で、そして声が綺麗な女子を忘れるだなんて……それにしのぶのような声をしている美少女を忘れるだなんて、そんなまさか……」


 そう、そうなのだ。

 彼女の声は透き通るように綺麗な声だった。

 まるでオレの推しであり、R18音声作品で活動している『しのぶ』のような声質で──。


「──ん?」


 オレはに気づいて思わず、彼女と同じ勢いで窓を開け、思い切り自分の足の指を窓で挟んで。


「痛ァ!?」


 彼女が先ほど出したような悲鳴をあげて、痛みを堪えながら、部屋の中にへと入り直したオレはパソコンの電源を再起動させる。


 何かの間違いに違いない。

 自分の早とちりなだけに違いないという思いで胸をいっぱいにさせて、徹夜してまで聞いていた『しのぶ』の音声作品を起動させる。


 早送りをして、早送りをして、オレは『しのぶ』が言った台詞を再生させた。


『ご、ご、ご、ごめんなさい! 私、お兄ちゃんが余りにもクソザコでクソバカだったから夢中になってやりすぎちゃった……!』


「……」


 巻き戻し、停止、再生。


『ご、ご、ご、ごめんなさい! 私、夢中になってやりすぎちゃった……!』


「…………」


 巻き戻し、停止、再生。


『ご、ご、ご、ごめんなさい!』


「……………………」


 巻き戻し、停止、再生。


『ごめんなさい!』


「──しのぶ?」


 先ほどベランダでナスを咥えていたあの美少女が俺に言った『ごめんなさい』。


 あの発音は間違いなく、18禁音声作品を作成するエロASMRer『しのぶ』のものであった。


「まさか……いや……流石にそれは……」


 他人の空似というものはこの世界で多々存在する。

 それは勿論、声にも該当する。


 ゆえに、ありえない。

 もし、ありえたとしてもオレには何ら関係のない事である。


 彼女は声を届け、オレはその声を聴く。

 そういう関係で成り立っている。


 故に──今あった事はすぐに忘れてしまうべきだ。


「しのぶに、中の人なぞ……いない……!」


 そう決心して、オレはパソコンの電源を落とす。

 自分の気持ちを落ち着かせる為に、何もない天井に視線を向けて――普段は見上げない天井に違和感を感じた。


「……ん?」


 オレが目を向けているのは何もないはずの天井。

 アパート特有の無骨なクリーム色の天井。

 

 だが、よくよく見れば何か小さな黒いモノがあった。

 すぐさまスマホを使用して写真を撮り、すぐさま拡大して、天井にあるモノが何なのかを識別する。


 それはオレが日頃より愛用している株式会社が商品として市場に出している最新小型盗聴器であった。




━╋━━━━━━━━━━━━━━━━╋━




「……良かった。催眠音声の効き目はバッチリみたいです。この調子なら……ふふっ。楽しみですね、常陸奏斗くん……いえ、奏斗くん。その耳がある限り、貴方は永遠にずっと私の催眠音声の……ふふっ……!」

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