めがね
海野夏
ガラスごしに君をみてた
黒ぶちの、ボストンだかウェリントンだか、そんな感じの形のめがねをいつもかけている。夏は汗でずれてくるし、冬は曇りやすいし、手のかかる相棒だ。でも嫌いじゃない。
朝早めに登校して教室でめがねの掃除をするのが私の日課。まだ学校に人が少なくて、時折遠くで人の声がするような静けさの中で、黙々とクロスでめがねを拭いていると、一日の活動の準備運動をしているような気分になる。
「おはよう、津々木さん」
「わっ?!」
「わぁ、ごめんね。驚かせちゃったね」
不意に声をかけられて飛び上がってしまった。清水さんはそんな私にくすりと笑った気配がした。急いでめがねをかけると、彼女は申し訳なさそうに、でもどこか楽しそうに笑っていた。
「おはよ」
「お、おはよう、ございます……」
笑顔が眩しい。
彼女はクラスの賑やかなグループの一人だ。よく笑って話し上手で、美人で、授業で当てられてもすらすら答えられて、先生からも友達からも信頼されていて、羨ましいと思うことさえおこがましい。立場が違う。
でも、斜め前が清水さんの席だというだけの関係なのに、彼女は冴えない私にも朗らかに声をかけてくれる。むしろそうだから、彼女は人気者なのかしら。
「めがね掃除したところ?」
「うん。いつも、朝来たら拭くようにしてて……日課、みたいな」
「そっかぁ……」
ふうんと気のない返事が返ってきて、もっと上手い返しをすべきだったと後悔した。上手い返しなんて思いつかないけど、あまりにも退屈で普通の返しだった。
「ねぇ、めがね借りてもいい?」
「えっ」
「あぁ、拭いたばかりだから駄目かな」
「い、いいけど……」
「ほんと? ありがとう」
めがねを外そうとする前に、彼女の手が私の髪に、耳に触れて、そっとめがねを攫っていった。途端に視界がぼやけた。
「津々木さんって結構目が悪いんだ。度がきついね」
「うん、多分遺伝。家族みんなめがねだよ」
「そうなんだ。コンタクトはしないの?」
「考えたことなかった、かも。めがねないと落ち着かないし……」
「そう? おしゃれしても合わせやすいし邪魔にならなくて良いよコンタクトも。でもめがねもおしゃれめがねってあるか」
「私のは普通のだけどね。おしゃれも、私がしたところでって感じだし、めがねかけてるとめがねに隠れられてるような気がするんだ」
私が言った後、清水さんは少しの間黙っていた。どんな表情しているか分からない。ひょっとして私の話を聞いて気を悪くしちゃったかな。自虐も入ってしまったし、長く話し過ぎたかもしれない。
ごめんね、と謝ろうと思った。
「隠れてないよ」
清水さんが動く気配がした。何、と思う間に私の目にも見えるくらいすぐ近くに清水さんの綺麗な顔があった。
さらりと揺れる髪の香り。肌の白さと、ガラスごしの瞳の色。息遣いまでよく聞こえる。
「これくらいなら見える?」
「み、見えるけどぉ……」
「めがねの小さなガラスごしで、隠れられてると思う? よく見て」
恥ずかしくなって視線を逸らすと、両手で頬を包んで清水さんの方を向かされる。逃げることを許されない。
「きれい」
「だよね。私も、いつもガラスごしに見てた。赤くてかわいい顔」
めがね 海野夏 @penguin_blue
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