アンコール
高野ザンク
時をかけた大脱出
未知子の乗った檻がゆっくりと舞台に降ろされると、誠一が近づいて檻のドアを開けた。促されるように檻の外に出た彼女の手をとって、誠一が客席に叫ぶ。
「見事、大脱出を成功させた榊未知子さんに大きな拍手を!」
万雷の拍手を浴びて、未知子はペコリと頭を下げた。誠一も深々とお辞儀をする中、幕が降りる。未知子は誠一に話しかけようとしたが、舞台袖から先生たちが誠一に駆け寄り、取り巻いてしまったのでタイミングを逸してしまった。こちらを見た誠一のすまなさそうな顔に、話すのは今じゃない気がしたので、仕方なく下手から舞台を降りた。
とにかく、私は帰ってきたのだ。
その安心感を確かめる間もなく、体育館を出ると友人たちに囲まれる。脱出マジックを成功させた未知子もちょっとしたスターになっていた。バニーガール姿で箱に入ったのに、Tシャツとスウェットパンツで現れたことにも随分と驚かれていた。
(あっ、あの衣装、過去に置いてきちゃった)
自分の着たバニーガールスーツを過去の誠一が持っていると思うと、なんだか急に恥ずかしくなった。
後片付けがあるからと友人と別れ、プレハブの部室棟に向かう。空き部屋になっている部室が控室だった。今、この学校に「手品部」はない。控室に入って、置いてあったペットボトルのスポーツドリンクを飲む。無性に喉が渇いていた。
500mlを飲み干すあたりで、誠一が控室に顔を出した。過去の誠一の面影がなくはないが、垢抜けたせいか、歳のせいか、あの純朴さを感じることはない。そこにいるのは有名手品師として知る“叔父”でしかなかった。
「少し、外で話そうか」
誠一が未知子に呼びかけ、二人は表に出て部室棟の裏へ回った。彼は、体育館裏とつながっているその場所のベンチに腰掛けると、未知子に隣に座るように促した。未知子は少し距離を置いて腰掛ける。
少し気まずい沈黙が続いた後、誠一が口火を切った。
「キミには悪いことをした。驚かせちゃったよね」
「当たり前でしょ!手品の手伝いのはずがタイムスリップさせるだなんて!」
無事に戻ってきてから沸々と湧いていた怒りで、未知子は声を荒らげた。
「ごめん、ごめん。だけど、タイムスリップしてくれ、って言ったって絶対『うん』って言わないだろう?」
苦笑いしながら誠一が謝る。その顔が、以前叔父がしていた作り笑顔ではなく、高校生の誠一が見せたような素直な表情に思えたので、未知子は少し気が抜けてしまった。
「無事に帰ってきて良かったでしょ?」
未知子はついさっきまで一緒だった、過去の誠一に話しかけるように言った。
「うん、本当にホッとした。きっと帰ってくるとは信じてたけどね」
確信を持って語る誠一に、その理由を訊ねてみようと思ったが、目の前に手を出されて、未知子は二の句が告げなくなった。
「な、なに?」
「おみやげだよ。キミの持ってきた巾着袋を渡してほしい」
そうだった。別れ際に渡された巾着袋。それは私が過去に行った使命かもしれないもの。
「これ、あの隕石だよね」
未知子は巾着袋を自分の目の高さに掲げて訊ねる。
「うん。でも、ただの隕石じゃなくて、敷島が仕掛けをしているらしいんだ。詳しくはわからないけれど」
まあ変人だからね、と誠一が笑いながら付け加えた。
「そういえば、敷島くんは?彼はここにいるの?」
未知子は敷島に、もっと言えば敷島らしき人物にもあったことはない。もしかするとすでにこの世にはいないのではないか、という思いもあった。
「あいつは忙しい身でね。必要であれば現れるし、そうでなければどこにいるのか……正直、僕にもわからないんだ」
曖昧な返事で誠一が答える。未知子はため息をついた。大人になった敷島に会えないのが少し残念だった。
「じゃあ、これはあなたに渡しておいたほうがよさそうね」
そう言って巾着袋を誠一に手渡す。ありがとう、と言って誠一はそれを受け取った。
「言っておくけど、キミは一度大人になった敷島に会ってるんだよ」
意外なことを言われ、未知子は目を丸くした。
「まあ、当時は僕もわからなかったけどさ」
誠一がニヤリと笑った。そう言われて未知子が敷島の顔を思い出そうとすると、なぜだか森で出会った老人の顔が思い浮かんだ。
「あいつはこれが必要だと思ったら、僕の前に現れるだろう。そういう約束だからね」
誠一はそう言って、巾着袋を自分のバッグに大事そうにしまった。
「ねえ」
未知子は真剣な顔で訊ねる。
「結局、私はなんでタイムスリップさせられたのかしら。それを教えてくれない、誠一くん」
彼女の勢いに誠一は戸惑っているように見えた。さっき別れたばかりの誠一と変わらない彼がそこにいた。
「……うーん、ひとことで説明するには難しいな」
誠一は困った顔をして言った。
「ただ、これだけは言える。未知子さんが過去にいったことで、いろいろなことの辻褄が合っているんだ」
奥歯にものが挟まったような言い方に、未知子は眉をひそめる。大人になった彼への不信感が少しふくらんだ。
「この先もそうなるかはわからない。ただ、キミが過去に行ったことには大きな意味がある。それはキミの人生にとっても、ね」
なんだか説き伏せられている気がする。未知子は腹立たしくなった。
「やっぱり叔父さんは誠一くんとは違うね。あんな
そう言って、逆に自分で照れ臭くなる。誠一はますます困り顔になった。
「まあ、キミにとってはついさっきのことでも、僕にとっては二十年以上の前のことだからね」
その通りだ。私と彼には“時間”というものすごい隔たりがあるのだ。そう思うと、未知子にはタイムスリップ前は感じなかった喪失感が募ってきて、なんだか悔しくなってきた。
「ただ、未知子さんは僕にとって大切な人だよ。それは間違いない」
誠一は未知子の目を見つめてそう言った。その目を信用するのが怖くなって、未知子は目を背けた。
「なんか、誠一くんっぽくない。なんか、こう……気取ってる」
「そうかな。心は
誠一はおどけてみせた。叔父さんの顔に、誠一くんの顔がダブる。
「そうだよ。めがねも止めちゃってさ、結構似合ってたのに」
「僕もめがねは気に入ってたけど、恋人に外した方がいいって言われてね」
さらっと“恋人”などと言うあたりに、未知子は苛立った。なんだかしてもいない恋愛で失恋した気分だ。
「そう?その人センスないね。私は、誠一くんは断然めがね男子でいるべきだと思う」
「まあ、好みは変わるからね」
そう言って、気まずそうに誠一が目を伏せたので、それ以上は何も言えなかった。
「まあ、いいや」
未知子は力強くベンチから立ち上がった。
「こうやって、私は戻ってきたし、叔父さんのことも前よりよくわかったし、これで一件落着。でしょ?」
アミューズメントパークは絶対だからね、と付け加えて未知子が屈託なく笑いかける。それは図らずも彼女をこの事態に巻き込んでしまった誠一にとっては救いだった。
だから、僕はこの人に惹かれたんだよな。
誠一は彼女に笑い返しながら、心からそう思った。
1年後の夏休み。
3年生になった未知子は進路にまだ迷っていた。彼女の成績で名門校に行くのは難しいが、どこか首都圏の学校に進学するのも良いかなと思っていた。
誠一とは、あの後も時々連絡を取り合っていた。「こっちに来るなら部屋代ぐらい工面してあげるよ」とも言われていた。さすが不動産屋、と未知子はからかった。そんなやりとりができる“友人関係”にはなっていた。
恋愛関係になるつもりはない。叔父には、恋人がいるらしいし、私も誠一くんならともかく、今の如月誠一に異性としての魅力は感じない。
ただ、あの不思議な体験を共有した“戦友”として、これからも関係は続くのだろう。
引退した体操部の部室で、後輩とよもやま話をした後、未知子は思い立って体育館に向かった。
舞台には、あの時のように大脱出の仕掛けが置いてあった。去年の公演後、手品をしたいという学生が数人手を挙げて、手品部が二十年ぶりに復活したという。
誠一くん。あなたの想いはちゃんと後輩につながってるんだよ。
その光景を見て、未知子は心強くなった。
「未知子さん」
背後から聞き馴染みのある声がかけられて、未知子は振り向いた。
そこには、あの時と変わらない高校生の誠一が立っていた。
「なんで?!」
未知子は驚きで身体が動かない。誠一は照れながらも事情を説明する
「今度は僕がタイムスリップしてきちゃったんだ。協力してくれない?」
めがね越しに申し訳なさそうな目を向ける。
そうか。
未知子は気づいた。
私たちの大脱出はまだ始まったばかりなのかもしれない。
未知子は誠一に駆け寄り、彼を思い切り抱きしめた。
〈終〉
アンコール 高野ザンク @zanqtakano
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