湯けむりメガネ連続殺人

くらんく

第1話

「犯人はこの中にいる」


 鬼怒川刑事は集められた重要参考人の前で言い放った。


「事故じゃないんですか!?」


 太い黒縁眼鏡の縁を支えながら驚きの声をあげたのは第一発見者の熱海だ。熱海は利用客として、脱衣所から直接露天風呂へと向かう扉を開けたところ、倒れていた被害者を発見した。


「この1か月で3件目ですからね……」


 シャープな銀縁眼鏡を指で押し上げるのは旅館経営者の湯河原である。湯河原の言う通り、この旅館での死者は三人目。これまでは事故として処理されていたが、捜査一課の変人として名高い鬼怒川刑事は事故との見方に異を唱えた。


「しかも被害者は全員、眼鏡をかけた男って言うじゃねえか」


 紫がかったレンズから鋭い眼光を覗かせるのはこの旅館を買収しようと画策している下呂という男。男は旅館の評判が下がるのを喜んでいる様子だ。


「その通り。この共通点こそが今回の謎を解くカギだった」


 鬼怒川は参考人の前をゆっくりと歩きながら語る。


「今回の被害者は62歳の別府さん。眼鏡をかけていたと分かっている」


「それがどうしたって言うんです?」


 話を遮るように問うのは丸眼鏡をかけた若女将の草津。経営者の湯河原とは仲が悪いらしく、経営についての意見で対立しているという。


「はじめは脱衣所から露天風呂へ向かい、温度差によって眼鏡が曇ったことにより前が見えず、足を滑らせて転倒。眼鏡を守ろうとして頭を強く打っての事故死と思われていた」


 警察の見解を述べる鬼怒川。自然と参考人の目は鬼怒川のサングラスに集まる。


「ち、ちがうんですか?」


 若手刑事の塩原はずれた眼鏡を直そうともせずに先輩である鬼怒川に疑問をそのままぶつけた。


「実際に行けば分かる」


 そう言うと、鬼怒川は一同を連れて男湯の脱衣所へと向かった。そして、露天風呂への扉を開いたのだ。歩を進める一同に対し、露天風呂から押し寄せる大量の湯気がいくつもの眼鏡を曇らせる。


 それでも転ぶものはいなかった。事件があってすぐなのもあって皆が足元を警戒していたのもあっただろう。だが、それ以上に転倒を避けるための工夫が施されていたのだ。


「足元が見やすいですね」


 ずれた眼鏡の塩原がその事について言及する。


「たしかにそうですね」


 黒縁眼鏡の熱海も賛同する。その工夫とは段差ごとに色の異なる転倒防止マットを敷いているというものだ。黄色と紫色で交互に敷かれたそれは曇った眼鏡でも感覚的に判断ができる。


「そうでもねえだろ」


 ただひとり、その転倒対策に文句をつけたのは色付き眼鏡の下呂だった。下呂の紫のレンズでは紫の敷物は判別が難しい。


「そこで、この写真を見てくれ」


 鬼怒川がポケットから1枚の写真を取り出した。それは事件直後の写真。


「今と事件直後、何が違うと思う?」


 塩原は写真と実物を交互に見比べて答えを探す。しかし塩原より先に違いに気付いたのは丸眼鏡の草津だった。


「ここ。マットの順番が違います」


 草津が指さしたのは転倒防止用マットだった。従業員として働いているだけあって普段との違いには敏感だったのだろう。2色が交互に敷いてあるはずのマットが連続していることに気が付いた。


「その通り。紫のマットが連続している。これはつまり、どういう事ですか、湯河原さん」


 名前を呼ばれた湯河原は、銀縁眼鏡の奥の目を伏せながら項垂れるように吐き出した。


「私が、別府さんを殺しました」


 観念した湯河原が自白を始めた。


「別府さんを殺すつもりじゃなかったんです。本当は事故に見せかけてその男を殺そうとしていました」


 湯河原は悔しそうに下呂を指差す。


「私は下呂がこの旅館に来た日だけマットの順番を変えました。紫が続くようにしていたんです。湯けむりで視界が悪い時に、段差に気付かない下呂が躓いて転ぶようにと……」


「じゃあ、今まで亡くなった人は!?」


 塩原が湯河原に詰め寄る。


「私のせいで死んだ、色付き眼鏡の人たちです。でも、下呂が死ぬまで私はやめるつもりはありませんでした……。刑事さん……私を止めてくれてありがとう……」


 湯河原は捕まった。旅館は草津が中心となって経営を続けるらしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

湯けむりメガネ連続殺人 くらんく @okclank

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ