第55話 修行する暇なんて無い

「主人公が一度負けた相手に勝つために、授業するのが熱いんだよ!」


 エミリーと再戦しなければならなくなった時に、そんなことを言っていた友達のことを思い出す。


 あれは確か、アリくんの好きな冒険小説の話を聞いている時だったか。

 こんな私でも、仲良くしてくれる男の子がいたんだよ。


 令嬢という立場から、外で泥だらけになる遊びをするのを許されなかった私にとって、外遊びとは庭園の散歩を指していた。


 泥団子。


 たまに城に招待していた快活な女の子の友達から聞いた、このワードに衝撃を受けた。


 泥と団子。

 合わさるはずのない二つの言葉。


 この奇妙なものに興味津々だったが、アリくんの説明だけでは、巧く想像できなかった。やっぱり実物を見ないと。


 しかし、庭園には泥は無い。

 可愛いお花を育てている花壇はあったが、あの子達の栄養元で団子を作ることはできなかった。


 そんなある日、アリくんは城にやってきた。

 隣町の貴族の息子だという彼は、私を連れ出してくれた。子供だけで外に出ることにお母様は難色を示していたけど、寡黙だけれど優秀なボディーガードがついていくとアリくんのお父様が伝えると、渋々ながら外出の許可をくれた。


 この頃からだろうか。お母様の性格がおおらかになったのは。


 良い人と出会ったら、自分も良い方向に転がるという説も、眉唾ではないのかもしれない。その結果、子供を自由にさせていたら変態誘拐犯に殺されるのだから、子育ても人生も分からないものだ。


 別に、その辺の人達を恨んじゃいない。

 私が死んだのは、あの男一人だけの責任だ。優しくしてくれたあの人達に感謝こそすれど、恨むなんてありえない。


 ここで話したいのは、アリくんの読んで冒険小説のことだ。


 アリくんいわく、巨大な悪に立ち向かう勇敢な主人公は、中盤あたりに悪に負けて、長くて辛い修行をしてから完全勝利をするという展開が王道らしい。


 あまりに、アリくんが楽しそうに話すので、何冊かオススメを読んだことがある。

 なるほど。大体、どの作品にも「修行パート」がある。

 しかし、修行をするには教えてもらう師匠や練習相手になってくれる仲間。そして、時間稼ぎしてくれる捨て駒が必要だ。


 作品内では、捨て駒が雑に扱われていたが、私はこの役割が最も重要な役割だと思う。

 いくら強くなる才能を持っていても、それを磨く時間がなければザコのままだからだ。

\



 やっぱり、こいつは眼球を潰すことに異様な執着を持っているな。


 前の殺し合いで、左眼を抉り取られたトラウマがあるので、眼には細心の注意を払っていたから、エミリーの攻撃を避けることができている。


 殺傷能力のある爪を自在に動かせるとかいう、ズルい能力の前に膝をつかないでいられているのは良いが、このまま防戦一方なのはよろしくない。

 修行もできなかった私には、一秒でも早く攻撃に移るべきだ。


 私の武器は身体一つ。

 さあ。どうするべきか。


「‥‥‥アホくさ」


 そんな、小難しいことを馬鹿のくせに考えている自分に笑ってしまう。さっき、自分でチビに言ったじゃないか。殺し合いなんか、シンプルで良いって。

 それに、ここで致命傷を負っても、後は満身創痍のユメだけなんだろう? だったら、多少の無理をしてやろうじゃないか。


 ダメージも、眼球も気にすることなく、メアリーに近づく。


「お」


 エミリーの声が聞こえた気がする。


 数分後。

 もう眼球はもちろん、鼻も耳も切り落とされた。

 でも、それで良い。

 目の前にエミリーがいることが、直感で分かるから。


「そこに‥‥‥いるんだろ‥‥‥!!!」


 拳を振り上げる。

 しかし、この瞬間まで、この場にもう一人の人間がいることを忘れていた。


「えいっ」


 さっき、自己紹介してくれた地味な女性の声とともに、脳天に衝撃が走った。


 あー。

 最後の最後で、馬鹿みたいなミスをしてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る