第30話 初めての暴力

 奴隷。

 人間の尊厳を与えられない、主人のためだけに奉仕することを強制される存在。


「ほーら。ご飯だよー」

「‥‥‥」

「食べないの? 食べてほしいなぁ。一生懸命作ったんだけどなぁ。残念。本当に残念だ。じゃあ、どこの指の骨を折ろうか?」

「た、食べます! 食べさせて下さい!」


 今のわたしが、正にそれだ。

 教科書で書いていたような、強制労働はやらされていない。何たら、毎日世話を焼いてくる。

 この男の手作りなど吐き気がするが、食べないと無理やり謎の液体を飲まされる。一度飲まされたことがあるが、変に気分が高まり麻薬に似たものらしいと思っている。


「もしもの時のために何本か持っておきな」


そう言って無理やり渡してきたが、もう2度と飲む気はない。アレは人をダメにする。


 そんな、善意という名の拷問が日々繰り返されていた。


 しかし、その行為を少しでも拒絶すると「お仕置き」が待っている。

 その方法は様々で、指の骨を折る以外の場合もある。


 1番キツかったのは、丸坊主にされたこと。


 女の命。


 その表現を内心言い過ぎだと馬鹿にしていたけど、文字通り長い友達である髪を全て失うのは精神的に相当キた。


 わたしの家系の女性は、綺麗な長髪だ。ヒイヒイヒイヒイヒイおばあちゃんくらいの方の写真も、肩より長い黒髪をだった。

 わたしも、その遺伝は受け継いでいて、仲のいい使用人が「理想の髪質」と言ってくれた時は鼻高かった。だから、面倒くさいケアも苦ではなかった。自分が輝くための最重要事項、それが髪だったのである。


 その大切なものが、汚らしい男に雑に切られた。


「また、生えてくるから大丈夫だよ」


 男はそう言ったけど、そういう問題ではない。

 チョキンと音がする度に、わたしの誇りやプライドは削れていき、丸坊主が完成した頃に心までずズタズタになっていた。


「髪なんかなくても、可愛いよ」


 わざわざ鏡を持ってきて、必死で瞑る目を無理やり開かさせ、自分の顔を見てしまった時、「あ。死のう」と思った。


 パフォーマンスとしての感想ではない。事実わたしはその場で取り乱さなかった。悲鳴をあげることも、泣き崩れることもなく、ただ死ぬことを決意した。


 騒いだら、いくら馬鹿で気持ち悪くて愚かで浅はかな男も、わたしの精神状態に何からの問題が起こっていることを悟るだろう。今まで以上に監視の目が厳しくなり、舌を噛み切るスキも与えられたくなる。


 ここにきて何日経ったか知らないが、未だに助けがこないということは、我が国の優秀なポリス達でも探し出せない場所なんだ。「いつか助けがくるはず」なんて、何の根拠のない希望に縋って生き続けて、これからも男のオモチャになるよりかは、今の内に死んでおいた方が良い。


 わたしに異常で歪な執着心がある男に逸し報いるには、肝心のわたしが死ぬことだろう。

 その下らない人生で、やっと手に入れたオモチャが壊れる。その際の吠え面を、この目で拝めないのは悔しいが、死という最強のカードを使うのだ。仕方がない。


 さて。


 今は1人だ。決心が鈍る前に舌を噛みちぎって死のう。


 硬いことで有名な煎餅を食べる時よりも、何十倍も強い力で舌を噛む。

 痛い。もちろん痛い。

 しかし、尊厳を切られた時の苦しみに比べたら大したことではない。

 順調に意識が遠のいていく。


「何してんの!?」


 良いところなのに、馬鹿が空気を読まずに現れる。


「君は僕の希望なんだ!! やっと手に入れた光なんだ!! 勝手に死ぬなよ!!!」


 こいつは、何を言っているんだろう?

 希望? 光?

 わたしにとっての、それに相応するものをお前は奪ったくせに、自分のは奪わせないってか?


「ッッッッッッッっ!!!」


 言葉を発する機能は、もう失われているので詰ることすらできない。なら、せめて、一発殴ってやる。


 次の瞬間には、鈍い音が聞こえた。


 今まで、一度たりとも暴力を振るったことはない。これは褒められるべきことかもしれないけど、別の観点から見れば、暴力を必要としない平和な環境にいただけども言える。

 そんなわたしの初暴力は、大の大人を吹っ飛ばす威力だった。


 気持ちいい。

 そう感じた瞬間、視界が闇に包まれた。

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