第9話 人間の底力

[エミリー・サンドリア]


 馬には世話になった。

 長距離移動する場合は強い味方になってくれたし、馬術の大会に出るのも嫌いではなかった。

 私達人間の生活を支えていた馬にデスゲームで足蹴りされた時、今まで家畜として扱ってきたことへのバチが当たったのかと思った。


「ヒィぃィィぃぃぃィィィィぃィィぃぃぃィィン!!!」


 自分達を好き勝手に利用してきた人類へ、ついに馬が反旗を翻したのだ。


「グゥゥ‥‥‥!」


 思いっきり心臓に蹴りを喰らった私は、激痛に耐えながら立ち上がる。

 逃げたいのは山々だが、馬の脚力に適うわけがない。


 ここで殺すしかない。

 ナイフを強く握りしめて、こめかみを狙う。

 正面が見えない馬は、こめかみに強い衝撃を与えることによって、即死させることができる。

 しかし、暴れ回る4つの脚が邪魔だ。足止め係が欲しい。


「おい!」


 未だに名前を知らない異常者に怒鳴る。


「こいつを足止めしろ!!」

「はい!!!」


 いきなりの命令口調で不興を買わないか不安だったが、異常者は良い返事をした。

 眩しいくらいの金髪ロールが視線に入ってきた。

 何の躊躇いもなく馬と距離を詰める。何発も頭に蹴りを喰らっても勢いは止まらない。


「ブルルルルル‥‥‥」


 己の身を顧みない生き物に対して、馬の鳴き声が変わった。この鳴き声は、怯えを孕んでいる時の鳴き声と言われている。

 目標に対してのとんでもない集中力は、格上の動物にも通用していた。


 分かる。分かるぞ。馬よ。

 この女と相対すると、多大な嫌悪感があるよな。

 死んでもおかしくないダメージを負いながら、死ぬ気配がない。もしかしたら、いくら攻撃を加えても死なないんじゃないかと荒唐無稽なことを考えてしまうほどに、こちらの神経を蝕んでいく。


 少しずつ、でも確実に距離を詰めていき、前脚をむんずと掴んだ。


「文字通り、足止めしましたわよ!」


 大して巧くもないことをドヤ顔で叫ばれて、軽くイラッときたが、文句のつけようのない働きをした女に、こう言うしかなかった。


「よくやった」


 決死の仕事を無駄にしないために、私は素早くナイフをこめかみにブッ刺す。

 突然の衝撃に、さらに暴れ回る馬に吹っ飛ばされる。

 最後の力を振り絞り、こちらへ突進してきた。


 人間がいくら頑張っても辿り着けないスピードで体当たりされたら、ちっぽけな私は間違いなく死ぬ。


 今度こそ、死を覚悟した私は目を閉じる。まあ、シャンデリアに押しつぶされて死ぬよりはマシか。


「‥‥‥」


 しかし、いつまで経っても痛みを感じない。

 恐る恐る目を開くと、馬の角が眼球に刺さるんじゃないほど近くにあった。


 死んだ生き物が漂わせる独特な空気が、そこには広がっていた。この世の者は出せない、不安なような興奮のような感覚を引き出される空気だ。


「‥‥‥ふー‥‥‥ふー‥‥‥フーッ」


 目から勝手に涙が出る。

 この涙は、怖い体験をしたからとかではない。この美しい馬に捧げた涙だ。

 最期まで獲物を駆逐しようとした、誇り高き自然の戦士は息絶えていた。

 


 

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