第8話 私もなでなでしてもらいたい!

[ユメ・クラマン]


 推しが私に話しかけた。

 これだけでも、身体が爆発してしまうのではないかと思うほどの喜びに満ちていたのに、さらには協力プレイを申し出された。

 私は夢でも見ているのだろうか。


「‥‥‥嫌だったら別にいいからね」


 アホ面で呆けていると、シビレを切らした推しがそう言う。


「とんでもないですわ! 協力プレイ、ぜひお願い致します!」


 突然の幸福にビックリしたけど、それを見送るほど私は臆病ではない。これが何かしらの罠で、結果的に殺されても構わない。


 名前も分からない人に、愚かとも言える敬愛を抱くことを、他人は嗤うだろうか。

 別に嗤われていい。灰色だった私の人生にようやく訪れたきらめきを死んでも離さない。


 もう死んでるんですけどね。


「じゃあ、エミリー専属マスコットとして、挨拶しておこうかな。にゃーって言います! よろしく!」


 推しの肩に乗っていたぬいぐるみが、私に駆け寄って握手を求めてきた。可愛い。


「こちらこそ、よろしくですわ」

「あ。じゃあぼくも! パンダのパンさんだよ! よろしく!」


 にゃーさんに続いたパンさんは、推しに挨拶に向かった。


「う、うん。よろしくね」


 推しはそう言って、パンさんの頭を撫でた。


「!!!」


 あのヤロウ! なんて羨ましいことを! 私もなでなでしてもらいたい!


「わたくしもなでなでしてくださいまし!!」

「うわ。ビックリした」


 欲望をそのまま口に出す。我ながら気持ち悪いが、言い方を考える余裕がなかった。


「分かった分かった」


 ふわっ。


 人の手って、こんなに柔らかかったっけ。

 マッサージを受けたことは何度もあるけど、比較対象にならないくらい気持ちよかった。


 全てを相手に委ねるレベルで力を抜いたのって、いつ以来だろう。


 私の母親は、努力というものを徹底的に避けてきた女だった。生涯で一度も皿を洗ったことがないと誇らしげに言っていた時は、自分はこの愚か者の娘なのだと思うと恥ずかしかった。

 できないことを偉そうに言うなよ。40代にもなって家事を満足にできないことを恥に思え。


 だから、恥の多い生涯を送ってきた女は娘を抱くことはしなかった。その分、メイドさん達が甘やかしてくれたが、母性というものを知らずに過ごすことになる。

 そんな私が、死の世界にきてから知ることができた。


「‥‥‥もう良い?」

「あ。はい! ありがとうございました!」


 温かくて柔らかい右手を名残惜しく見送っていたら、吹っ飛ばされた。


 分布相応な幸せの反動かと思ったが、推しも同じく攻撃を受けているのを見て、現実の出来事だと思い直す。

 私ならともかく、推しにダメージを与えるのは許せない。攻撃の主を睨みつける。


 馬だった。

 前の世界で、移動手段で使っていた馬だった。


「ヒィィィぃィィィィィぃィィぃィぃィィィぃぃぃィぃぃィン!」


 馬が長めの鳴き声をしている時は、威嚇をしているという説がある。


 これは、ちょっとヤバいかも。

 

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