第四話

 それは丁度一年ぐらい前の話。


 冬水亜紀という人間の才能は、誰にも認められたためしがなかった。


 魔術が使えなければ、名のある名門からの出自というわけでもなく、現代の社会において前時代的な剣術しか取り柄のない少年が、エリートの通う”魔術学園”へ入学できたという事実を、彼自身の胃を終始痛くしていた。


 確かに、いくら古臭いとは言え剣術のようなものは今でも重宝されている。代々王に仕えてきた騎士団は、事実魔術と剣術を組み合わせた新しい技術を応用している。が、ここは魔術師の世界。魔術にしか能のない連中は、科学というものを長らく敬遠していた。


 ゆえに、唯一無二の長所であるはずだった亜紀の剣術は、魔術が使えるならまだしも相当な足枷となっていた。


 魔術の実力至上主義という風潮は、そんな亜紀を容赦なく追い詰めた。


『君がやったのであろう? 冬水。皆君が犯人であると証言しているのだ』――――少しばかりの情けを含ませながら、冷ややかに見下してきた当時の担任教師を、亜紀は絶対に忘れない。


 入学試験以来の苦い記憶。亜紀は朝のホームルームで一人席を立たされていた。

 亜紀以外の生徒は静寂を守って席に着いている。その時の教室内では亜紀が一番目立っていた。さも、晒しあげるかのように。十五年間という人生において、あれほどの屈辱は二度目のことだった。 


 教師の言い分を、亜紀は何度も否定した。ホームルームの時間が終わり、一時間目の授業が始まろうとも。しまいには放課後に生徒指導室へ呼び出され、数時間にわたった事情聴取も行われた。


 許せなかった。亜紀を一番に不快にさせる罪がその冤罪だ。罪もない人間に濡れ衣のようなもの、ましてや存在しない罪を被せるのがなんとも腹立たしかった。


 それでも、宿敵である例の風潮はここでも亜紀の邪魔をする。魔術の使えない者は下層民に等しい。意見が取り入れられることはなく、人格は否定され、ただ上の者に従うしかない。民主主義という制度の欠点に他ならなかった。


 もう一つ記憶に残っていることと言えば、なによりも亜紀へ衝撃を与えたのが『裏切り』という行為だ。当時の教室には、今好意的に接してくれている出雲湖東之という人物と、それなりに親しかった友人もいた。


 たとえ誰から軽蔑されようとも、そんな友人と呼べる存在がいたから、心を壊すことなく半年間ここまでやって来ることができた。それなのに、亜紀が無実の罪を問われた瞬間、他人の風を装って知らんフリときた。

 

 魔術が使えないというだけでここまで人間が醜悪になるということを、亜紀はその体験を持って学んだ。誰も亜紀の問題提起に耳を傾けなかった。それだけで、人間という種に絶望するには十分だったのだ。


 行き場のない怒りはやがて亜紀を黒い復讐心へと豹変し、月沈という人物と引き合わせた。


『覚悟しろ、坊主』


 会って早々、腰を曲げた老人はそんなことを口にした。夜中だったこともあってか鮮明にはその表情を窺えなかったが、重苦しい雰囲気だけは感じ取ることができた。

 凄まじいほどの恐怖。その瞳は常に深淵を覗いていた。


 師から教わった、『勇敢、名誉、正しさを重んじる』という三つの事は、月沈の教えとは全くもって異なるものだった。

 

 騎士が戦闘をするのなら、亜紀は戦闘をする前に勝敗を決める。どんなに卑劣で外道であっても手段は選ばない。それこそ、争いに勝てる唯一の方法である。そう信じてやまなかった。




「亜紀君は今帰るところ?」


 授業が終わって部活のない生徒達が下校する時刻。

 下駄箱から使い古した靴をとり出し、学園のサンダルから履き替えながら昔のことを思い出していると、不意に後ろから出雲湖東之いずもことのという女子生徒に話かけられた。

 湖東之は生徒会の副会長だったはずだ。副とはいえ、生徒会長を補佐する立ち位置から会長よりも忙しいのではないかと疑問に思う。そんな余裕はあるのか気になるが、おそらくきっと、たまたまここへ寄っただけなのだろう。


「あぁ、そうだよ」


 それに対し亜紀は、無情に、覇気もなく、ただそう短い一言で答える。


 片時も忘れたことはない、むしろソレは日に日に増してゆく。


「そっか――そういばさ、亜紀君が笑ったことって、一度もないよね?」


 特に深い意味はなく、亜紀を引きとめようという一心で口にしたのだろう。

 

 亜紀は誰にでもわかりやすく、胴を硬直させながら頭だけを湖東之の方へ向けた。

「だってさ、クラスの皆が笑ってるときも、亜紀君だけ真顔だったじゃない? あれ、何気に渾身のギャクだったんだけどな~?」


「ごめん、そうだったんだ。正直何が面白いのかわからなくて……」

 

 言葉と表情が一致していない。湖東之に向けた謝罪には悪びれた様子もなく、いつも通りの真顔であった。


「い、いや……いいの。別に謝る事のほどでもないから……それじゃ私、生徒会の用事があるから!」

 戸惑いを必死に隠そうと師ながら、湖東之は二階への階段を逃げるように駆け上っていく。






 幸せそうな人間を見るたびに、亜紀は思う。

 

 ――――あの時僕が、勇者を目指さず他の道を歩んでいたなら、僕は救われていたのだろうか……と。




 闇に堕ちた少年は背中を夕焼けの日差しに照らされながら、砂で敷かれた運動グラウンドの上を歩いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る