第二話 

 そこは、極東管区に属する政都せいとという都市の、中心から右下に位置する商店街だった。


 誰かの為に――――なんて、もう何年も頭によぎる事はなかった。


 万人を救い、悪魔を打倒すべき勇者を夢見ていた頃は、人助けという行動をまるでどこかネジの外れた機械かのように続けていた。


 そんな大層な夢を挫折して数年。現状はそれよりももっと苦境だった。


 脳は死んでいたが、人助けをしていたのだからまだ良い方だ。

 問題なのは、生きる意味も見つけられず、心は朽ち、そして事なかれ主義を貫くという人格そのものだった。


 少年の失意な皮肉るかのような快晴の下、愚者は今日も相変わらず孤立していた。


 休日というだけあって人出も多く、北風の吹く冷たい昼下がり。身を竦ませながら互いに関心を見せることもなく行き交う人々を傍観し、冬水亜紀ふゆみずあきはベンチにすわり陽だまりで体を温めていた。

 

 着古した長袖の貫頭衣かんとういに手荷物一つすら持たないという緩んだ風体は、この盛んな商業地ではいかにも場違いであろう。


 仕方の無いことだ。

 何故なら彼は、わずか一年前と半年前に来たばかりの田舎者なのだから……。



 まぁそんなことはどうでも良くて――――


 ついさっき、何の気なしに鍛冶屋で購入してしまった刀剣を、亜紀は複雑そうに見下ろす。


 腰に帯剣しているそれは一風変わった剣で、従来の片手剣であれば剣身が直刀の形状だが、これは中心辺りから大きく湾曲した、剣としては奇抜な形をしている。

 外国から伝わってきた剣だそうで、片手で軽々扱うことができる上にできるだけ長く作られていた。


 亜紀がこんなものを購入した理由は、故郷で師との剣術訓練をふと思い出してしまったからだ。

 剣術の修行をやめてから一年になる。たったの一年だ、とも思うかもしれないが、瞬発力だったりは数日怠けただけで直ぐに衰える。本来なら毎日続けるべきなのだ。


 一応学園の授業でも剣は扱うが、そのどれもが履修済みの内容だったために、修行の内にも入らないのである。

 師が唯一実体のある物を与えてくれたのが、そんな鉄剣だった。今では錆びてしまっているが、磨けば問題ない。

 遠い故郷の地、朱雀村すざくむらにいる師への心遣いが大きな理由だ。


 意味がないと自覚しつつも、自分の贖罪を償いたいという一心。

 今の亜紀には生きがいというものが欠如している。全ての言動には、彼自身の”想い”が籠もっていないのだ。自分の心の在り方がわからない。


 気を取り直し、その湾曲刀を鞘へ直すとベンチからゆっくりと立ち上がる。区画の変化にやや難儀しながらも、本来目指す場所であった地へ向かった。



 そこは人影のない密集住宅地の路地。見てわかるとおり、この場所は先程の街とは全く異なる風景だ。円形に建てられた巨大な城壁極東管区の一区画。そこは政府が黙認し、手をつけようとしない訳ありの町だった。掃除を行わなければ道から草が生え、建築物は崩れ落ち、まるで廃墟のようだ。


 亜紀はそんな町の中をさも勝って知ったる風を装って進む。完全無人というわけではなく、所々に薄着の汚い服を着た老人やら中年の男性もいた。


「来たか、坊主」

 

 目の前には、柔和な顔つきをする白髪の老人がいた。しかしこんな薄汚れた場所にいるという事実が、どこかその老人を不気味にさせる。息遣いに隙はなく、齢七十を超えていながら確実な足取りだった。


「……」


 亜紀は沈黙を守る。老人は亜紀の目を一目見ると、ついて来いと意思表示をするようにゆっくりと後ろを振り向く。その際の横顔は、常軌を逸したような、その皮膚の下に化け物を飼っている顔だった。


 老人の色翁月沈しきおうげつじんとの関係は、術師の世界で言うなら師匠と弟子ということになるだろう。


 だが、剣術を社会や人を対象としててでなく単なる”殺し”の手段として教えた月沈にとって、亜紀の師匠となったつもりは毛頭なかった。月沈という老人は、ただ自分の”磨きあげた技術”を教え込んだというだけのこと。とはいえ、それはかつての自分と、目の前の亜紀が同じ瞳をしていた頃の話だ。自分の師匠にすら見せたことのない、亜紀の漆黒に塗られた側面も、月沈は知っている。


 鉄でつくられた重い扉が開かれる。余計な挨拶は一切抜きに、亜紀は無言のまま室内に入ってドアを閉める。


 月沈とはそこまで親しい仲ではない。亜紀自身は新しい師である月沈を冷酷な人間であると認識している。外見は足腰の弱そうな老人そのものだが、その外見とは対に、隠された裏側は決して優しいもではない。


 月沈は慣れた手つきで火床に木炭をくべる。

 この場所は、色翁家に伝わる剣の鍛錬道場。はるか昔から今に至るまで、数々の名刀を生み出した有名な家系だ。しかし魔術というものが発見されてからは、刀鍛冶という伝統は時代と共に廃れていった。現存する刀鍛冶師はそのどれもが量産性に特化していて、そこに伝統的な文化なんてものは存在していない。だが、そんな刀鍛冶の家系はこのように都市のどこかで今もなお隠れ潜んでいる。


「なんだ、その剣は」


 ゴツゴツした石を持つ月沈は、亜紀の腰にかけてある奇抜な剣に注目した。


 珍しく自分の打つ剣以外に興味を示した月沈に、亜紀は内心驚きつつも真顔を装ってその剣を抜いて見せた。


「ふむ、刀身が反る剣か……今まで一度も見たことない種類の剣だが、それはどこで入手した?」


 刀鍛冶のプロである月沈は、人一倍刀の特性について詳しい。

 その湾曲刀には反るだけの必要性があることも、既に一目見て理解していた。


「知らないんだ。この剣は隣町の鍛冶屋でたまたま見つけた。ちなみに作者は不明だ」


「不明……か、どんな剣でも書物でも、後になって有名になるなぞ、よくある話よ」


 打った刀剣は、審査に合格さえすれば誰であろうと店で売ることができる。名門家の鍛冶師が一度も見たことがないほどに珍しいということは、作者である当人がこの剣を作り上げて死したか、未だ世界のどこかにいて匿名を貫いているということだろう。


 魔術の道を選んだ人類に、科学を発達させることはできまい。加えて鍛冶師という職人の、”勘と度胸”は科学ですら説明できないほどに磨かれた技術だ。継承する者が消え、その何代も紡がれた”経験”は、後世にとっては再現不可能な技術なのだ。


「その剣、悪いが俺に預からせてくれ、この技術は非常に優れすぎている。これを基に新たな剣を直々に打ってやろう」


 月沈は職人によくある頑固な性格で、亜紀にすら、自分の打った駄作を握らせるだけで自慢の刃物は一度といて許されなかった。


 亜紀の見つけた剣は、刀の時代を先取る一品だった。

 この魔術の世界に、刀という落ちぶれた武具が形を変えてもう一度復活しようとしている。

 かつて彼が志した夢は、道半ば才能という壁によって断たれた。

 

 もしかすると近い将来に、魔術をも超える力を持つ人間が、誕生してしまうかもしれない。そんな予感が、月沈にはあった。

 

 

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