闇の傀儡術師は笑えない【Black Berserk Battalion】

C.C.〈シーツー〉

二億年後から。

第一話 

 それは、もう何年も前のこと。

 全ての始まりは、一冊の幼稚な英雄譚からだった。


 幼稚と言えど、その書物は少年にとって呪文の連なる魔導書同然だった。

 文章に慣れるのに数ヶ月、物語の内容を大体把握するのに一年。細部まで理解するのならそれ以上の歳月を費やした。


 普通じゃないかもしれない。そんなものを、たった六歳の少年が毎日熱心に向き合っているのだ。

 常人であれば、ページを一枚開いただけで即座に読書を断念するだろう。


 しかしそこまで彼を引き立たせたのは、本棚の中にある無数の本のうちの一冊。

 表紙にデカデカと描かれた、勇者の剣を掲げる姿がなぜだか脳裏に焼き付いて離れなかったからだ。


 当時感じた“胸の高鳴り”を思い出そうとする頃には、既に脳が記憶を不必要と判断し、勝手に取り去ってしまった後だった。


 だが少年は憧れを裏切らない。例え、夢中になれるような理由が消え去っても、もしくは最初からそんなものは存在しなかったとしても、


 “勇者に必要な四つの心構え”


 かつて、剣の師匠だった人から唐突に教えられた。


 幼いながらにも思った。

 “なぜ、勇者ではない師匠が勇者を知ったように語るのだろう”と。


 純粋な疑問である。

 確かに、師匠の養子として引き取られてから今の今まで師匠の身の上話は一つとして聞いたことはなかった。そう考えると、彼が師匠の事を何も知らないというのも当然の話だ。


 修行の基本、始まりにして終わりでもあるその“教え”は、彼がこの先、青年期……場合によっては壮年期まで時間をかけて答えを得る筈だった……。


 そう、筈だった……。

 結局それは、理想を並べ立てるだけの机上の空論に過ぎなかった。

 

 そもそもこの世は平等ではない。

 人に限った話でないのは当然のこと。産まれた瞬間から他者との優劣が決定されるというのは不条理だ。どんなに努力しても乗り越えられない壁は、この世に幾多もそびえ立つ。


 そんな鉄則をもっと早いうちにわきまえることが出来ていたならば、救われる道も確かにあった。


 つまり、――――彼は有象無象の一人に過ぎないということだ。


 他者よりも上に立つということは、他者よりも秀でた何かが必要だ。そして彼には、勇者を目指す上で必要な“才能”が無かった。 


 努力でも補えきれないほどの、天賦の才に恵まれなかったという現実は、人生で初めて懐いた夢を諦めてしまうのには十分すぎる理由だった。


 その瞬間の事だけは、一瞬たりとも忘れたことは無い。


 自分の瞳を見つめる憐れみの表情を。背中に集中する数々の好奇な視線を、気配で感じ取った。視界と頭は真っ白に。まるで、脱水症状に陥ってしまったかのようだった。

 快晴の空はまるで夢の絶たれた自分を嘲笑しているかの様にさえ思えてきて、彼の自尊心は粉々に打ち砕かれた。

 

 “もう、どうでもいいや――――”


 それは一種の『燃え尽き症候群』だった。

 しかし少年の話に限っては、少し異なる意味合いなる。


 燃え尽き症候群は少なからず回復するもので、少年の絶望ソレは回復する見込みのないものだ。

 根本から詰んでいた。

 物心つく前から心に刻まれた信念は曲げる事も出来ない。もちろん、自分の意思とは関係なく、だ。

 なぜならそれ以外の“生きがい”を知らないからに他ならないのだから。


 やがて世界は灰に、感情は虚無へ。


 唯一の夢にさえ裏切られた彼は、今も呆然と、自分が何をしたいのか分からないまま街中をさすらえる。

 

 ――だが、そんな彼にも転機は訪れた。

 

 これから始まる物語は、身の丈に合わないほどの夢を懐いた少年による、一種の神に対するレジスタンスである。

 

 

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