第4話 噂の仮面青年 【Chats】

「おはよう、結愛ちゃん!!」



朝から元気な声。

何となく周りから視線を感じたけど、気にせず聞こえた方を向く。

声の主は茶色っぽい髪を横にポニーテールにしているクラスメイト。

有野莉子さんだ。


「おはよう」


彼女は、席が私の後ろだからか、入学式の日以来、一人でいる私にずっと話しかけてくれる。

友達作りや人間関係が苦手で、学校内に友達がいない私にとって、唯一の友達……いや、よく話す人だ。


彼女は私のことをすぐに「結愛ちゃん」と、下の名前で呼んでくれているけど、私にはまだそんな勇気はない。

有野さんは、アニメやアイドルとかいろいろなものが好きで、私と話す内容のほとんどがそういうものだ。


「結愛ちゃん、宿題終わった?」


「数学の?」


「うん。あの問題集の」


「……一応」


私が通う中学校、城山市立泉中学校は何かと宿題が多い。


「早くない!?分からない問題だらけで全然進まないんだよぉ」


「……教えようか?」


「ぜひ!!」


有野さんが犬みたいに喜ぶ。

この人懐っこい顔。

見ていてちょっと癒される。


有野さんは鞄から分厚い問題集を出して、ぺらぺらめくる。


まだ4月なのに授業の進みは速いし、宿題や提出物も多い。

どうやらここ城川市含めこの地域はそれなりに頭の良い高校が多く、勉強に力を入れている中学も少なくないそう。

公立はもちろん、私立高校の評判も良い。


「そうそう、これ!」


開いたページを私に見せてくれる。


計算問題。

1つの式に分数や小数があったり、二乗がついたり、そしてマイナスがついている複雑な計算。


有野さんの計算式を見てみると、だいぶ苦労した様子だった。


「どうしても計算が合わなくてさ……」


こういう計算はカッコの中の計算を先にやって、次に割り算と掛け算の計算。

最後が足し算と引き算。

莉子ちゃんはそれに従って解いているみたい、だけど。

何が違うんだろう。


「あ、わかった。ここじゃない?」


「へっ?」


間違っているところを指さす。

分数と小数が混ざっている時はどちらかに直すのが基本。

そこは良いんだけど、計算間違いをしているみたい。


「ほんとだ!ありがとう!!すっきりしたよ」


有野さんは、丁寧に間違い直しをして、つけていた付箋を外し、代わりにマーカーで印をつけた。


……友達がいない私にとって、こういう時間は貴重なものだ。

周りを見ればグループとかできているのに、私だけ友達ができていないし、小学校が同じだった子なんて覚えていない。

席替えをすれば、いずれ有野さんとは話さなくなる。


それに、部活だって決めていない。

気持ちがどんどんずっしりと、暗く重くなっていく。


「結愛ちゃんって何でもできるよね~」


有野さんの声にハッとすると、くりくりの目で私を見ていた。

えっと……私が何だって?


「勉強できるし、運動もできるし」


勉強は予習と復習は必ずやるようにはしている。

元々暗記が得意だからかもしれない。

ただ……運動は別に得意でも何でもない。


「それに、結愛ちゃんってすんごいび、」



「えーやば!!」



急に大きな声が聞こえて肩が震える。

な、何今の。


「やばいでしょ!?絶対イケメンだって!!」


「これだけ目撃情報があるなら会えるじゃん!!」


「え、会ってみたい!!」


キャッキャ騒ぐクラスメイトの女子たち。

何を話しているんだろう。

すごく盛り上がってるけど。


「あれ、何の話題……?」


有野さんに聞いてみる。

私が聞くと有野さんは少し考える。


「たぶん、怪盗Chatsのことだと思うよ」


「怪盗、Chats……?」


あれ、何でだろう。

聞いたことあるようなそんな気がする。


「最近ネットで目撃情報が多いんだ。元々はヨーロッパでよく目撃されていたんだけど、最近は日本でよく目撃情報がある、らしいよ」


「どうしてあんなに盛り上がるの?怪盗だから?」


「それもあるけど、すごくカッコいいんだって」


「カッコいい……?」


「ネットで見ただけだからそんなに詳しくないんだけど、金髪のセンター分けで、猫耳をつけていて、仮面で顔は見えない……とか」


ちょ、ちょっと待って。

猫耳……!?


「ね、猫耳をつけてそのあたりに出歩いているの?」


「そう、みたいだね。インフルエンサーか何かって思われてるけど、なーんか事件の香りがするんだよね」


声色と共に目つきが変わった有野さん。

……何が始まったんだろう。


「過去に怪盗Chatsっていう怪盗が実在したみたいで、私はその後継者か何かって思うんだけど、結愛ちゃんはどう思う?」


「ど、どう思うって……」


「あっ、そうだ、Chiens警察って知ってる?」


ずいずい話を進める有野さん。

目が輝きだした。

これは何かが始まってる……!


「えっと、何?」


「Chien警察。世紀の大怪盗、怪盗Chatsを捕まえるために作られた特別な警察なんだって。どう特別かというと、18歳未満でも入れることだよ」


特別な、警察。

どうしてかわからないけれど、また何か引っかかった。


「ちなみに怪盗Chatsは100年前にめちゃくちゃ有名だった怪盗なんだ。今はもういないからChiens警察も解散か何かしていたみたいなんだけど、最近それっぽい人が目撃されるようになって、再びChiens警察の活動が再開するんだって」


Chiensと、Chats.

それぞれフランス語で「犬」と「猫」という意味だ。

何で警察の名前が犬なのだろう。


「怪盗Chatsはいろんな宝を盗み続けてきたから警察はお手上げで、Chiens警察が結成されても結局捕まえられずに怪盗Chatsはいなくなったんだよね……だからChiens警察が動くことも減ったんだ。いつか会ってみたいって思ってたんだけど、怪盗Chatsの目撃情報と、Chiens警察が再開してたからこれはバトルが見れるんじゃないかって、すっごく楽しみなの!!」


すごい早口で語り切った有野さん。

顔が近いし、目がキラキラしすぎてる。


「ち、近い、有野さん」


我に返ったように有野さんは元の姿勢に戻す。

その瞳が一瞬、揺らいだように見えた。


心の中にもやっとしたものが煙のように立ち上った。

い、今の言い方が悪かったかもしれない。

口を開こうとすると、


「ご、ごめん、急に変な話をして」


と、有野さんが先に口を開いた。


「べ、別に大丈夫。それより、本当に怪盗なんているの?特別な警察がいるのはまだわかるけど……」


「いるの!!ネットで目撃情報がすごいの」


「ネットの情報って、あんまり信用できない気がする」


「それでもいるの!!本当に!!」


「……そう、なんだ?」


チャイムが鳴り、周りは慌ててそれぞれ教室に戻っていく。

急に静かになった。


心の中では、2つのもやもやした想いがぽつん、と浮かんでいた。

怪盗ChatsとChiens警察の二つの単語がなんでか気になる。

今日初めて聞いたはずなのに知っている気がする。


それから……私は、こんなんで良いのかなって。

自分から踏み出そうとせず、まるで偶然の機会を待っているだけ、みたいで。

友達作りも、誰かが話しかけているのを待っていて、有野さんのことも向こうから話しかけてくれないかなって思っていて。


もやもやしたまま朝礼は始まった。

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