第13話 修学旅行3日目──サグラダ・ファミリア
サグラダ・ファミリア──建築家ガウディが設計した、現在進行形で未だに完成していない、不完全な芸術。
修学旅行に来て、日本とはまるで違う街並みに驚きの連続だったが、サグラダ・ファミリアに来て荘厳で巨大な空間を見上げて、目眩がした。
スキルなんてものがなかった時代に考えられ、建築されていったこの建物から、人間というものの無限の可能性を感じさせられる。
スキルがなくともこれくらいは出来てしまう。人間とはなんて素晴らしいものかと。
「口、開いてるよ曲直瀬くん」
「え? あ、ああ……いやあまりに凄くてな……なんか、分かんねえけど、感動して泣きそうになった」
目からジワっと込み上げてくるものがあり、それがこぼれないように天井を見上げていたのかもしれない。
そんな俺を見て氷室さんはクスクス笑っていた。
「生きてるみたいじゃないか?」
「そうだね、有機的な雰囲気があるよね。私はダンジョンに似てるなと思ったよ」
「あ、やっぱ氷室さんもそう思う? てことはダンジョン生き物説が補強されるなあ」
ダンジョンとは何なのか、これは現在において分かっていない。
昨日まで何もなかった場所に突如として、前触れもなく出現する。正体については学者が様々な研究をしているが、20年以上経っても明確な答えは出せていない。
ただ、未知の生物、または未知の生物、宇宙人がもたらした人工物、そんな説が根強い。
ダンジョンマスターである俺も理解はしていない。コアであるブランカはダンジョンの仕組みなどは教えるが、誰が一体どういう目的で作ったのか、そもそも作られていればの話ではあるが、そういったことに関しては知らないのだ。
俺だって、別の生物にお前はなんだ? と聞かれても俺は俺だとしか言えない。明確に自分が何者であるかを説明するのは難しい。
ブランカもそんな感覚があるようで、自分に関することを全て知っているわけではなかった。
ただ、何となく分かるのは明らかに自然発生によるものではなく、また生き物でもあり、人工物でもある。
そんなどちらとも言える存在だということだ。理屈として説明は出来ないが、感覚として分かる。これ以上の説明は無理だが。
「そろそろ行かないと本格的に皆とはぐれちゃうよ、私も感動して立ち止まって気がついたら曲直瀬君しかいなかったって感じなんだけどね」
「おお、マジか……っておい!」
「え、何? どうしたの?」
氷室さんに移動しようと言われた矢先のこと。彼女の背後に近づいている女と目が合った。
そしてどう見てもヤバいと一瞬の動揺が出ていた。
スリだ。完全に他の観光客と同じような格好をしていたから油断していた。
俺はその女に怒鳴りながら近付いて氷室さんのバッグに伸ばしていた手を掴んだ。
が、何も持っていない。
「何ッ!? 確かに財布を抜いているのを見たぞッ! 俺はッ!」
いや、待て。声をかける前に、その女にすれ違った男がいた。あいつは……いたッ! さっき見た財布持ってやがる!
「テメェらグルだなッ! 日本人はカモとでも思ってんのか舐めやがってこのボケどもがッ!」
俺はすぐに財布を持った男を追いかけるべくダッシュの姿勢に入り地面を蹴った──はずだった。
「ッ!?」
あるはずの地面がなく、空振る。あり得ない、地面が急に消えたか、俺が浮いてるかどっちかじゃあないと説明が出来ない。
答えは両方正解。
足元の地面は消え、俺は一瞬浮いていた。
そしてすぐに襲いかかってくるジェットコースターが落下している時独特のヒュンとした嫌な感覚。
「うおああああああああッ!?」
叫びながら俺は真っ暗闇に落ちていった。
***
「……何なんだよ!? 落盤事故か? 手抜き工事してんじゃねえだろうな、何がガウディだクソッタレ! 歴史があるって築年数高いんだからよく考えたら危ねえだろうが!」
自分でも言いがかりとは理解しているが悪態をつきながら、やや痛みの残る身体を撫でて起き上がる。
「は……?」
そして、目の前に広がっている景色は落盤したサグラダ・ファミリアの地下──ではなく、誰がどう見ても典型系なダンジョンの様相を呈する空間だった。
「曲直瀬君ッ! どうなってるの!?」
「いやこっちが聞きたいって。取り敢えず氷室さん無事で良かったよ……あ、スリがあそこで伸びてるわ。ちょっと待ってて……オラッ! 何人のモン盗んでんだこのボケッ!」
気絶している男が握りしめていた彼女の財布を奪い取り、脇腹に蹴りを食らわせておく。
こういう人の物を奪うようなカスに俺は敏感になっているのだ。
彼女の目が無ければもっと蹴っている。感謝しろ。
「はい、財布」
「うん、ありがとう……何もあそこまでしなくても……って、そんな呑気なこと言ってる場合じゃないよね?」
盗まれた財布を取り返して渡して、素直に受け取ったが、確かに財布どうこう言ってる場合ではない。
「ああ、どう考えてもヤバいだろ。ダンジョンに何の装備も無しにスリ風情とただの観光客とパーティは組めない。2人で脱出を図ろう……いやしかし、素手なのは困るな。何か武器になるものがあると良いんだが……」
「え? 気にするところそこなの!?」
「いや、そりゃそうだろ。ぶっちゃけ、頼れるのは戦いに向いたスキル持ってる氷室さんだけだ。こいつらは足を引っ張る。信用出来ない奴に背中を預けたくない。
出来るだけ早く離れよう」
「見捨てて良いのかなあ?」
「人に心配してる場合じゃないだろ、大体、言葉通じないんだぞ。氷室さんスペイン語か英語でコミュニケーション取れる?」
「いや無理……」
「な? バベルの塔だって言語が違ったから建築出来なかったんだし、サグラダファミリアにタイミング良く……いや、悪くか、発生して巻き込まれたダンジョンで協力なんて土台無理。
むしろ、自分たちの命を脅かすと思った方がいいぞ。日本人じゃないんだ。災害時の協力なんて望んだら絶対に痛い目見る。
デモが発生したら略奪とか発生するような文化圏だからヨーロッパって」
「めちゃくちゃ言うね曲直瀬君、そんな口悪かったんだ……」
「今遠回しな発言して同じ日本語喋ってるのに認識に齟齬があったらまずいだろ。わざと強い言葉使ってんの……いや、口悪いのは事実か。ビビらせたなら悪い」
「ううん、言われてみれば確かにって思うから良いよ。そうだよね、知らない人全員が善人とは限らないもんね。私たち子供に見えるだろうし、利用されるって可能性もあるか……」
「そういうこと……やっぱ電波は通じないか。でも流石に異変には気付いているだろうから現地のハンターが救助に向かってくれるはずだよな。
まずは安全な場所を確保しよう、ここじゃいつモンスターに襲われてもおかしくない。無防備過ぎる」
サグラダファミリアの内装っぽいデザインが残っているがここはダンジョン。
今いる場所は薄暗く、電車の車両くらいの幅の道だ。
少し下がったところは行き止まりになっているし、ここでジッとしていてモンスターが来たら逃げ場が無くなってしまう。
今すぐに移動すべきだ。
「なんか、慣れてるっぽいけどダンジョン行ったことあったりしない……よね?」
「それ、うちの親に内緒で連れて行ってもらったことあるか? って意味の質問ならノーだ。
そんなことしたら母さんに顔が変形するくらい殴られてるだろうよ」
「お母さんなんだ……でも、オロオロされるよりは心強いよね」
「強がってるだけ。態度がデカいだけで、氷室さんに比べたら俺は無力だ。ぶっちゃけ、戦いが必要になったら頼むぞ、本当に戦力としてアテにしない方がいい」
格好つけて言うことかよ、とも思うが戦力を過大に見積もられると危ないからな。ここは正直に俺は使えないとハッキリ言っておく。
絶対に彼女の力が必要だ。だからと言って人任せにするのではなく、俺は俺の出来ることをする。
とにかく、彼女を疲れさせたらいけない。精神的に疲労させるのもまずい。彼女の力を温存することが俺自身が生存することに繋がる。
「曲直瀬君さ……」
「シッ! この先にモンスターがいるぞ!」
壁越しに慎重に奥の方を見ると、スライムとコボルトがうろついていた。スライムは雑魚だが、素手で倒すのには無理があるモンスターだ。
酸性の身体だから直接触れると火傷してしまう。
コボルトは小学生くらいの背丈の二足歩行をする犬のモンスターだ。嗅覚が鋭いからここが風上ならじきに気付かれるだろう。
ぶっちゃけ、風上とか実際は分からんもんだ。慣れなんだろうな。
「氷室さん、あいつらやれそう?」
「多分……実際にモンスター殺したことってないし。絶対とは言えないけど」
「そりゃそうだよな」
俺もまさか人生初のダンジョンがこんなタイミングとは思ってなかった。いや、厳密には自宅のあれもダンジョンでゴブリン殺してたか。
でも数は少なかったし、出来るだけの装備で挑んだからな……ん?
「忘れてた! このリュック防刃性能あるんだった!」
店員に言われるまま買ったリュックだが、思わぬタイミングで心強くなる。
「氷室さん、俺がこいつを使って壁役になるからその間にまずはコボルトを殺そう! スライムは動きが遅いから最悪走って逃げられる」
「だ、大丈夫なのそれで……」
「でもコボルトはどのみち殺さないと追跡されるし厄介な相手だと思うよ。一応海外行くからってんで狂犬病ワクチン打ったけど噛まれたら困る」
「いや、モンスターだから狂犬病とかにはならないと思うけど……分かった、やるしかないみたいだね。出来たら1箇所に集めて欲しいな」
「よし、じゃあ、あの曲がり角に誘導するからそこに入った瞬間背後から狙えるか!?」
「うん大丈夫、私曲直瀬君を守るから!」
「頼んだぞ……おーい! こっちだコボルト!」
俺は姿を見せて大きな声でコボルトの注意をこちらに向けさせる。
ギャウギャウと叫びながら走ってきた。うわ、ゴブリンより全然足速いっ……てか走る時は犬と同じなのかよ……速すぎるッ……!
モンスターの速度を見誤った。曲がり角に入るより前に一匹は俺に触れることが出来る距離にいる。
「ウォッ!?」
間一髪、飛び掛かって噛みついてきたコボルトは俺ではなくリュックを噛んだ。俺がバランスを崩したから偶然狙いが逸れただけだが、それでも致命傷は避けられた。
そのままコボルトの重みを感じながら走るのは止めなかった。
曲がり角に飛び込む。
「今だっ!」
「氷柱(アイスピラー)ッ!」
氷室さんのスキルが発動して俺にまんまと誘導されたコボルトは氷漬けにされる。
「グギャギャアッ! グルルルッ!」
「曲直瀬君ッ! リュックから離れてッ!」
すぐにリュックから腕を抜いて氷漬けにされたコボルトの隙間を走る。
「ハァッ!」
氷室さんが俺のリュックごとコボルトを氷漬けにして、なんとかこの場にいたコボルトの殲滅に成功した。
「はあはあ……あ〜ビビった……死ぬかと思った。コボルトよりも氷室さんの攻撃の火力の高さの方がビビったわ。下手したら巻き込まれてただろ」
「酷っ……!? 流石にそこまでスキルの扱い下手じゃないからね……これでもそれで高校特待生なんだし」
「悪い悪い、攻撃的なスキルを直接自分に向けられた機会なんてそうそうないだろ? 人に向けたらダメって教えられるしよ。
だから、その威力の凄さに力の差を感じたんだ。でもその分心強いって心底思ってるよ今は」
「……褒めてるのよね? それ。褒めてるならいいか」
「あれ……これ、殺せてないのか? もしかして? 死んだら消えるはずだよなモンスターって」
息を整えながら会話していると、氷漬けのコボルトが残ったままなことに気がついた。
「ああ、多分仮死状態ね……これはこうやったらバラバラになるから」
氷室さんが何かをした。何をしたのかは分からないが手をかざすと、コボルトを覆っていた氷は砕けた。
液体窒素に入れた花のように乾燥して冷気をまといながらボロリと崩れる感じだ。
いや怖っ……ハンターの卵でこんな強いわけ? 改めて思うがスキル持ってる奴って同じ人間とは思うくらい差があるなあ。
そう考えたら母さんのお説教プラスゲンコツって相当に加減されてたんだな。あれで日本トップクラスなんだから本気で怒らせてたら秒で消し炭にされてた可能性もある。
「お……ドロップアイテムだ。マナストーンと、ダガーだ! 氷室さん、これ俺装備していいよな? 倒したのは氷室さんだから所有権はもちろん氷室さんのものだけど、ここを切り抜けるまで貸すってことで……お願いします!」
もうここは土下座一択。地面を舐めてでも生存率を上げる為に伏してお願い奉る。
「いきなり頼もしかったり下手に出て雑魚っぽくなったり、私曲直瀬君のこと全然分からないよ……」
頬を掻いて気まずそうにする氷室さんだったが、ダガーを借りて装備することは出来た。これで攻撃手段を手に入れられたわけだから、多少の安心感はある。
さて、問題はどうやって脱出するか、出口の捜索だな。
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