第5話 契約完了
トンカツ屋でちょっとした揉め事があり、会計をして店を出た。ここまでが、冒頭の経緯になる。
「満足じゃ。他の場所も案内せい」
「俺は良いのですが……国に帰らなくて大丈夫ですか?」
「それはそうなのじゃが、簡単にはこの世界には来れぬのであろう? ならば、容易には戻れまい?」
「いや戻れますよ。というか戻らないと心配する方々がいると思うのですが?」
「何? 戻れるのか? いや、またこのニホンにいつでも来れるのか?」
「それは陛下次第ですね」
「要領が掴めんな、簡潔に説明せよ」
「では、一旦戻りますか……陛下、お手を」
「何じゃ、このような路地に連れ込んで。何を考えておる?」
「そんな不躾なことは考えてませんよ。先ほどいたあの場所に戻るだけです」
人目につかないように、路地裏に入って陛下の手を取りダンジョンに転移した。
「ほう、シオンは魔法が使えるのか。それも空間魔法とは大したものだ」
「魔法とは違うんですけどね」
「日本の科学なるものの力か、誰でも空間魔法のようなことが出来るのか?」
「これは俺だけの力ですが魔法とはちょっと違うのですよ、説明します」
俺はこの世界にダンジョンなるものがあり、そのダンジョンをマンション化して、管理人という立場にあることを話した。
ミュリエルの世界にもスキルに似たようなものがあることが分かったが、どうやら仕組みなどが微妙に違うらしい。
「なるほどの。じゃが、これを部屋と呼ぶのか? 大きさで言えば小屋じゃろうて」
「それは陛下の……女王基準の感覚で言うならばそうですが、我々の国ではそれなりの大きさですよ」
この2LDKを小屋扱いとは。ワンルームに住んでる人が聞いたら怒るだろう。
「大きさは陛下からしたら満足いかないかも知れませんが、住み心地は悪くないと思いますよ?
日本の伝統的な風呂という文化があります。湯浴みなどされてはいかがですか?」
「湯浴みなら、金のある貴族なら出来るぞ」
「ここはそこまでお金がかからず手軽に出来るのですよ……ほら、もうお湯が出ます」
俺はシャワーからお湯を出して、ミュリエルに触れさせる。
「おお、湯気が出とるし確かにお湯じゃな。この僅かな時間に湯を出す魔道具か、これならばすぐに入れるな」
「そちらの世界に洗髪剤などありますか?」
「石鹸のことか?」
「いえ、髪を洗う為のもので髪の指通りが良くなりますよ」
「ほう、そのようなものがあれば貴族の女には売れるだろうな、試してみるか……では頼む」
「お湯が溜まるまで他のものも見せましょう」
***
続いて、テレビやエアコン、冷蔵庫、部屋に最初から用意されていた家電について説明する。
魔道具なるものに似たような効果があるようで、機能自体に大した驚きはなかったが、かかる費用についてこちらの方が段違いに安いらしく、費用対効果の方に驚いていた。
貴族の中でも裕福なものにのみ許される贅沢だろうと眉間に皺を寄せながら呟いていたのが印象的だった。
そして、テレビだが彼女は異常なほど食いついた。これは魔道具でも似たようなものがないらしい。
「これは……余の意を民に伝えるのに向いている。これはこの国の民ならば殆ど誰でも使えると言ったな?」
「そうですね、珍しいものではありません。街中にもありますし、買っておらずとも見れますよ」
「これがあれば、どれだけ政(まつりごと)が容易か……言うても分からんのじゃろうな」
「情報を広く伝えるということの価値についてはある程度理解しているつもりですがね」
「これを余の国に持ち帰り普及させることは出来ぬか?」
「無理でしょうね、道具だけ持って行っても仕組みが理解出来ていなければ運用は出来ないでしょう。
実現するにしても相当な時間がかかると思います」
「であれば、このニホンにて学ぶしかないか」
テレビをジッと見ながら真剣に自分の国に導入出来るかを検討していた。こういうところ見ると本当に女王なんだなと思わされる。
「お湯が溜まったようです」
「では行くか。シオン頼んだぞ」
「……はい」
もはや突っ込むまい。服を脱がせろと言外に指示しているミュリエルのシャツとズボンを脱がせる。
「何をよそ見しておる」
「いえ、俺の国の倫理観としては抵抗があるので」
「女王はともかく、女の裸くらい珍しくもあるまいに。シオン、お前はまだ色を知らんのか?」
「知りませんよ。陛下の国の男は俺くらいの歳なら女を知っていて普通ですか?」
「まあ、普通じゃな。平民はそのくらいの歳で子を持つのが普通じゃからの。それよりこれは良き香りがするのぉ」
普通なのか。日本でも昔はこれくらいに結婚していたって話は聞くけど今は高校生なら半分くらいの割合なんじゃないか?
大体、エリートのいっぱいいる高校でスキルのない俺がモテるはずもないからな。
「シャンプーと言います。これで髪や頭皮についた汚れを落とすことが出来ます」
髪を流している間は背中と頭くらいしか見えないのでまだ心が穏やかだ。
結構汚れてたので何度かつけては洗い流しをしていると、わざわざ本人に言う必要もなかろうと淡々と作業をこなした。
コンディショナーも使って揉み込みながらタップリと髪に浸透させる。
「なるほど、洗い流した後も滑るような感触は残るのか」
「乾かせばより仕上がりが顕著に分かるかと」
「では楽しみにしておこう」
指通りを確かめながら、ミュリエルは上機嫌に笑った。そう言えば年齢聞いてなかったな。見た目的には25くらい? かと思うが、怒られる可能性あるから聞きにくい。
「陛下に子や夫はいるのですか?」
「いや、おらぬよ。18になって夫のおらぬ女王など笑えるであろう?」
「え、陛下俺と1つしか歳変わらないんですか?」
「老けて見えると言いたいのか? これでも美人として諸国には名と顔が売れておるのだが」
「人種が違うので見た目で年齢を推測するのが難しいのですよ。俺と同じ歳の女よりは大人びて見えます」
「ハッハッ! そりゃ女王として国を動かす身になれば他の娘よりは大人びようて!」
一瞬、不機嫌そうな顔を見せてヤバいと思ったがすぐに破顔して笑い声が浴室に響いた。
皮肉めいたジョークを言ったように受け取られたらしい。
「じゃが、夫も子もおらぬのは、今は孕めばつまらぬ弱点を敵に与えるからと理由はある。だから女にして王となる者は歴史から見ても少ないのであろうな」
「そう言えば、旅の道中に襲われたとか……危うい立場なのですか?」
「何言っておる? おっと、ニホンには王などおらぬから分からぬか……王とは危うい立場ぞ。誰であろうと、いつであろうとな」
ダモクレスの剣、王の立場の緊張感、恐ろしさを伝える逸話にそんなのがあったなと思い出した。野暮なことを聞いてしまったな。
「そうですね、失礼しました。ただ……お命が危ないと思った時に、安全な逃げ場を用意しておいても良いのではと思いますよ」
「ここのことか。住人を求めているのであれば余から頼みたいの。いつでも来れるのであろう?」
「はい、この鍵を使えばここに繋がる扉が現れるようです」
スキル『管理人』の力によって契約した者に鍵の譲渡が出来る。
コアの説明によると、空中に差し込んで捻れば扉が現れるらしい。
ここまで話した相手がいつか急に殺されるというのも気分が悪い。セーフハウス的な役割として是非利用してはどうかという提案をさせてもらった。
「テレビなるものも学びたいしな……よかろう、契約しようではないか……シオンそれはちと、視線が露骨過ぎるな。悪い気はせぬが」
ミュリエルはバスタブに浸かりながら、足を組み替えつま先から水滴を垂らしてそう言った。
動く者に視線が吸い寄せられるのは俺のせいじゃないだろ。一々扇情的なんだよこの女王。
「となると、対価を払う必要があるが……何が欲しい? 魔石か金貨で良いのか?」
「俺の力でこの世界における同等の価値のものに変換されるのでものは何でも構いませんよ」
「であれば用意しやすい大金貨とするか。1月ごとの支払いと言っていたか?」
「1年分まとめてでも良いですけどね」
「では、1年まとめて払おう。面倒じゃ……異なる世界の知識、安全な場所、見知らぬ道具や料理、大金貨1000枚くらいが妥当かの?」
「俺は大金貨の価値を知らないので妥当かどうかは……」
【日本円にして、約10億円の価値です】
コアの回答が頭の中に響いた。流石王様、金銭感覚がぶっ壊れてやがるな。だが、俺としては長い間スキルを家賃としてもらいたいから、無理のない範囲で長く住んでもらえるようにして欲しい。
「陛下、それは高過ぎます。恐らく臣下や国民が困るでしょう。大金貨10枚くらいにしておいてください」
「テレビを我が物に出来れば大金貨1000枚など端金となるほどの影響力があると思うがの」
「それは陛下の世界での話ですからね。俺が陛下と同じ世界に住んでいたのなら分かりますが、陛下がテレビを普及させようが、こちらに影響がないのでそれ程に法外な値段を請求する意味が俺にはありませんよ」
「既得権益や影響を気にせずに済むか。では金の問題ではなく、こちらの世界にないものを譲った方がシオンの利となるであろうが。まだ、手頃なものが思いつかぬな。取り敢えずは大金貨10枚としておこう」
良かった。なんとか彼女の国の国庫を空にする心配は無さそうだ。それが気がかりだった。
***
「ドライヤーにヘアオイル、ニホンは美にこだわりがあると見えるな」
髪を乾かしてサラサラになったミュリエルは自分の髪を何度も触っていた。
こだわりってか、高温多湿だから乾燥した欧米とは生活が違うだけな気もするが。
「服も洗っておきましたよ」
最初に着ていた服は飯を食べに行ってる間に洗濯機に放り込んで、乾燥までさせておいた。
変に縮んでなくてホッとしたのだが、これも管理人の力らしい。
管理人……どっちかと言うと凄い世話してくれる大家さんじゃないか? 俺の力。
「これもまた良き香りだ。臣下どもが心配しているであろうし、そろそろ戻ろう。世話になったなシオン」
「またいつでも来てください。握手で契約は完了です、支払いは本当に暇な時で問題ありませんから」
「握手、それだけか? 簡単で良いな。女王の手を握れるなど、平民であれば涙を流して喜ぶであろうこと故、余の身分では気軽に出来るものではないのだがな」
「では、ありがたく……」
俺とミュリエルは握手をした。細くて白い指だが、手のひらには剣を握って出来たマメの硬い感触もあり、握力も結構力強かった。
【ミュリエルとの契約が完了しました。ミュリエルは鍵を使いいつでもこのダンジョンにアクセスすることが可能となりました】
「気をつけてくださいね、取り敢えず戻る場所は陛下にとって一番安全なところに繋がりますけど」
「安心せい。またニホンの食事を楽しむまでは死ねぬわ」
いや、ご飯目的の食いしん坊みたいになってますよ、陛下。とは言えずに苦笑いで彼女を見送った。
元の世界に戻る際は部屋の中にワームホールみたいな時空間の繋ぎ目のようなものが現れるようだ。
そこに飛び込んでいったミュリエルの姿はもうない。
「な〜んか、急に寂しいな」
先ほどまで賑やかで久しぶりに人と長時間話した気がする。シンとなった誰もいない部屋は、やけに広く感じた。
彼女が小屋といったほどの大きさの部屋だ。
【ミュリエルと契約したことで管理人であるシオン・マナセに力が与えられます。
サブスキル『豪運』を獲得しました】
新たな力が俺に備わった。だが、思っていたよりも嬉しさは込み上げてこなかった。
俺はダンジョンの改造候補からマンションなんて選んだのは寂しかったからなんだなと一人になって喪失感をやたらと覚えて理解したのだった。
「もっと、賑やかになるといいな……」
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