第20話 賢者の加護を受けた治癒師、奇跡を起こす


「治癒を始めるよ」


 アレスが迷宮の地図を描き始めた頃。

 マジック・オーラを受けたルビー=メルムが最初に向かったのは、この治癒院でもっとも豪華な部屋だった。


 そのベッドに寝ているのは、ラング=エイジス。

 迷宮都市最強の一角として有名だったパーティー『迷宮の刃』のリーダーだ。


 20年前、『迷宮の刃』は当時の最深攻略記録であった80層に挑み、そして敗北した。

 彼らがたった一人の死者も出さずに済んだのは、ラングが魔物を食い止め、他のメンバーが退避に成功するまで持ちこたえたからだ。

 ラング自身はその後、奇跡的に生き残ったのだが……体に負った無数の傷によって、両足と右腕、そして首はほとんど動かせない状態で、今まで20年も病床で暮らしてきたのだ。


 攻略失敗の後、リーダーを失った『迷宮の刃』は解散し、メンバーは紆余曲折の末『栄光の導き手』に加入した。

 この治癒院が設立されたのは、そのメンバー達が加入の条件として『ラングに最高の療養環境を提供してほしい』と頼んだことがきっかけだったりする。

 とはいえ、どんなに最高の療養環境を用意しようが、治せないものは治せないのだが。


「ルビーさん、いくらアンタの治癒魔法でも、俺は治せねえよ。……魔法は他の、治る奴に使ってやってくれ」

「分かってる。でも、今の力で試してみたい」

「……ありがとう」


 ルビー=メルムの言葉を聞いて、彼はそう言って頷いた。

 彼自身、もう自分の身体が治らないことは分かっている。

 このレベルの怪我による後遺症が治った例など、この世界には存在しないのだから。


 それでもまだ自分のことを諦めず、試せる手を試してくれる。

 そのこと自体が、彼にとっては救いだったのだ。

 魔法を無駄遣いさせることに罪悪感がないといえば嘘になるが、その申し出を拒否できるほど、彼の心は強くなかった。


「アルティメット・ディヴァイン・ヒール」


 ルビー=メルムが発動したのは、一度使えば再発動までに10日もかかる、治癒術師のエクストラスキルだ。

 だが、彼女がこの魔法をラングに使うのは始めてではない。

 彼女が新しい魔法を習得するたびに、エコーはそれをラングに試してみるように依頼したし、それはエクストラスキルであろうとも例外ではなかったからだ。


 詠唱とともに、まばゆい光がラングを包み込む。

 その光が収まった後、ルビーは彼の体を観察して、満足げに口を開いた。


「どう?」

「……どう? と言われても……」


 ルビーの言葉を聞いて、彼はキョトンとした顔をする。

 彼はもう回復魔法の後も、自分の身体を試しに動かしてみることもしない。

 自分の身体が魔法で治らないことなど、最初から分かっているからだ。


 だが『死者すら癒やす者』ルビー=メルムは、彼の体の状態を、彼以上によく理解していた。

 体が動く状態かどうかくらいは、見るだけで分かってしまうのだ。


「えい」


 そう言ってルビー=メルムがラングの襟首を掴み、地面に放り投げる。

 ヒーラーとはいえ68レベルもあるルビーの腕力によって、ラングはあっさり宙を舞った。


「……は?」


 ラングは困惑しながらも、とっさに受け身を取る。

 吹き飛ばされれば受け身を取るのは、冒険者がどうとかではなく、人間として当然の反射だ。

 だが彼が転ぶことなく、すぐさま立ち上がれたのは、冒険者時代の研鑽のおかげかもしれない。


 ……そう、彼は立ったのだ。

 ここ20年動かなかった、2本の脚で。


「は? ……え?」


 自分の脚とルビー=メルムを交互に見ながら、ラングが目をきょろきょろさせる。

 まだ実感が追いついていないようだ。


 だが、ひとしきり困惑した後……彼は涙を流し始めた。

 動けるようになったという事実に、ようやく実感が追いついたのだ。


「……ありがとう。まさか本当に、俺の体を治せるとは……」


 ラングの言葉に、ルビーが首を横に振る。

 彼の治療を可能にしたのは自分ではなく、強化魔法を使っているアレスだからだ。


「私の力じゃない。……えっと」


 そう言ったところで、ルビー=メルムは思い出した。

 今日の治癒にアレスが関わっていると明かすのは、厳重に禁止されているのだ。

 少し悩んだ挙げ句、ルビーは上を指した。


「加護」


 この世界では、天界にいる神が信仰されている。

 本当にルビーが指したのは天界ではなく、ずっと近いところ……具体的にはこの建物の2階なのだが、上を指して『加護』などと言えば、普通は神のことだと勘違いするだろう。

 治癒に使った魔法が聖属性であれば尚更だ。

 嘘はついていないが、アレスの関与も疑われずに済むというわけだ。


「神のご加護か……」

「似たようなもの」


 ラングの言葉に、ルビーが頷く。

 ラングは神に感謝し、ルビーはアレスに感謝した。


 ◇


 それから1時間後。


「俺も治してくれ!」

「1000万持ってきた! これで左腕を動くようにしてくれるのか!?」

「俺の脚を……頼む……!」


 ルビー=メルムが治療を始めて1時間と少し経った頃。

『栄光の導き手』の治癒院は、大混乱に陥っていた。

 体の一部を失った者たちが、次から次に押し寄せてきているのだ。


 冒険者の引退理由の1位は死亡、そして2位が負傷だと言われている。

 正確には、負傷の後遺症だ。


 実のところ腕を丸ごと切り落とされるような冒険者は、さほど多くない。

 というか、そういった怪我の場合はほとんど生きて帰れないので、『負傷』ではなく『死亡』のほうにくくられる。


 だから街を歩いていても『腕がない人が多い』などという印象は受けないのだが……実は迷宮都市では数十人に一人が、怪我の後遺症を背負っていると言われている。

 魔物による傷を受けた後、体の動きが悪くなるというのは珍しくないからだ。


 軽度ならそのまま冒険者を続けられることもあるが、階層を落とさざるを得ないので稼ぎは悪くなるし、階層が落ちるのでレベルも上がらなくなる。

 万全の状態の冒険者との差は、冒険者生命すべてに渡って広がり続けるわけだ。

 運良くほかの仕事にありつければいいが、怪我で引退した冒険者ができる仕事は限られているので、多くの場合は片腕の動きが悪いまま迷宮に潜ったりすることになる。

 そういった人間が、どういった末路を迎えるかは……お察しというものだ。


 重度の後遺症の場合、結果はさらにひどい。

 冒険者は比較的稼げる職業ではあるが、一生分の貯金を作れている冒険者などほとんどいないので、下手をすれば野垂れ死にだ。


 だからこそ、生き残る冒険者は無理に階層を上げない。

 たった一度の怪我が、冒険者生命を終わらせることを知っているからだ。

 部位欠損と同様、後遺症だって治す手段はないのだから。


 だが、もし後遺症を治す方法があるとすれば……エコーが設定した、数百万から数千万という値段は、決して高いものではなかった。

 後遺症が生涯収入に与える影響に比べると、10分の1あるかないかだろう。安いとすら言える。

 レベルが高い冒険者の治療費は高くなるが、彼らは力を取り戻した時の収入も多いのだから。


「押さないでください! ここでは受付を行っていません! まずはギルドの訓練場で、料金の説明と整理番号つきの治療票を……」


『栄光の導き手』の職員は混乱を納めようと拡声魔法を使い、押し寄せる人々に呼びかけている。

 だが列は収まる様子がないどころか、混乱は増すばかりだ。

 ただでさえ人が密集しているところに、新たに患者たちが訪れるからだ。


 患者たちは必死だった。

 治療を受けられるかどうかによって、文字通り人生が変わってしまうのだから。


 ある程度の混乱が起きるであろうことは、アルトリア=エコーの予想のうちだった。

 しかし想定外だったのは、元気になったラング=エイジスがすぐさま街に繰り出し、ルビー=メルムの功績を喧伝し始めたことだ。


 もう20年も前のこととはいえ、当時最強パーティーのリーダーであり、その全員を守って傷を負ったラング=エイジスの名前は有名だ。

 冒険者歴の長い者であれば、彼の顔も、彼が動けないはずであることも知っている。

 そんな彼が自分の脚で歩き回り、自分が歩けている理由をあちこちで話せば、当然こうなる。


 結局、ルビーが魔力を使い果たした後も患者は集まり続け、後遺症の治癒を求める者たちは『栄光の導き手』の本部まで押し寄せることになった。

 ルビーが治癒院から出ようものなら暴動になりかねないので、帰りはアレスと同様、地下通路からこっそり抜け出したくらいだ。


 この日に治療を受けられなかった患者たちは予約リストに名を連ね、ルビーとアレスはその処理に追われることになる。

 治療希望者のほとんどはこの予約リスト送りになったので、今日の治療を受けられた人々は、非常に運がいいと言えるだろう。


 その『運がいい』冒険者の中には、『深淵の光』のリーダーであるベルドも含まれていた。

 もっとも……彼が治療を受けられたのが、本当に幸運だったと言えるのかは、また別の話だ。


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