第19話 最強賢者、地図を描く

「ルビーはいつも通り、表から治癒院に入ってほしい。アレスは僕についてきて」


 依頼について伝えられた後。

 そう言ってエコーが、パーティー事務所の一室の扉を開いた。

 部屋の隅には地下に続く穴があり、そこにはハシゴがかかっていた。


「……隠し通路みたいだな」

「みたいじゃなくて、隠し通路だよ。外部の人間に見られないように、君を治癒院の一室に送り届ける」


 どうやらこの通路は、治癒院へと続いているようだ。

 俺の姿を隠す必要がある理由はよく分からないが……まあ、なにか考えがあるのだろう。


「外につながる扉を出たら、部屋に入って扉を締めるまでは声を出さないでね。君が通る通路はすべて人払いを済ませてあるけど、声で君を特定されたくない」

「そこまでするのか……」

「ああ。本来なら、部位欠損の治療は君の手柄だと公表すべきなんだけど……君の安全のために、しばらくは伏せさせてほしいんだ」


 いや、本来もなにも、部位欠損を治すのはルビーだろう。

 俺はただ部屋に閉じこもって、効くのかも怪しい強化魔法を維持するだけだ。


「治すのは俺じゃなくてメルムだろう?」

「表向きはそういうことにするが、もしルビーが回復魔法で部位欠損を治せるとしたら……それは君の強化魔法のお陰だ。少なくとも彼女一人では無理だからね」


 ……死者すら癒やすと言われる彼女でも、一人では直せないのか。

 高レベル冒険者の治癒は難しいという噂は本当なんだな。


 もしギリギリ力が足りないくらいだとしたら、俺の補助魔法も役に立つことがあるのかもしれないが……たとえその微妙な差で結果が変わったとしても、手柄はルビーのものだろう。

 治癒に使う力のほとんどは、彼女自身のものなのだから。


 とはいえ、『死者すら癒やす者』ルビー=メルムは、『栄光の導き手』の有名冒険者の一人だ。

 その彼女が俺なんかの手を借りたという話は、できれば外に漏らしたくないのだろう。名前に傷がつくからな。


「分かった。このことは誰にも話さない」

「すまないね。……手柄を公表できない分、報酬は弾ませてもらうよ」

「……『栄光の導き手』って、固定給じゃないのか?」

「契約書に書いた通りだ。今月の働きへの報酬は、来月の契約金に上乗せするんだよ」


 まるで来月も雇ってくれるみたいな言い方だな。

 もし本当に雇い続けてくれるなら、ルビー=メルムに強化魔法をかけ続けるだけの仕事でも大歓迎だ。

 俺の力では冒険者としてやっていくのは厳しいだろうし、ここを追い出されたら仕事なんてないからな。


 などと考えているうちに、俺達は上につながるハシゴへとたどり着いた。

 ハシゴの上には、魔法陣が刻まれた扉があったが……エコーが魔道具をあてると、扉はひとりでに開いた。


 エコーは無言で上を指し、静かにハシゴを登っていく。

 それから俺達は一言も喋らずに階段を上がり、無人の廊下を歩き……『立入禁止』と書かれた扉を開いた。


 けっこう広い部屋だ。

 長時間過ごすことを想定しているのか、中には座り心地のよさそうな椅子や、パンなどの食べ物が置いてある。

 役立たずが過ごす部屋としては、ずいぶん設備がいいようだ。


 そんな部屋の中にはルビー=メルムともう一人、見知らぬ女性が立っている。

 俺とエコーが部屋に入ると、その女性が無詠唱で魔法を発動した。

 サプレス・ウォールという防音魔法だな。


「アレス、強化魔法を頼む」

「分かった。マジック・オーラ」


 俺はエコーの指示を受けて、ルビーにマジック・オーラをかける。

 少しでも足しになればいいのだが。


「ありがとう。これならやれそう」

「もし治せないようだったら、急いで連絡してくれ。別の方法を考える」

「大丈夫」


 そう言葉を交わして、ルビーが部屋を出ていった。

 ルビーを見送ってから、初対面の女性が口を開いた。


「アレスさんの補佐役を仰せつかりました、ルーナ=メルムです。お姉ちゃんの……あっ、ルビー=メルムの妹です!」


 ルビーと顔が似ているような気はしていたが、妹だったのか。

 強化魔法を使うだけの俺に補佐役なんてものが必要なのかは疑問だが、監視役、あるいは俺が地図を書くように仕向ける係といったところかもしれない。


「彼女は普段、僕の補佐として事務をやってもらっているんだけど……今日は君の補佐につけている。なにか用事があったら、彼女に頼んでくれ」

「分かった」

「じゃあ、よろしく頼むよ」


 そう言ってエコーも部屋を出ていき、後には俺とルーナ=メルムだけが残された。

 ……なんだか少し気まずいな。

 エコーの補佐ができるということは、優秀な女性なのだろうが……何を話したらいいのか分からない。


 とりあえず、彼女の懸念を払っておくか。

 彼女も、どうやって俺に地図を書かせるかで悩みたくはないだろうし。


「ええと、紙とペンをもらえないかな?」

「はい」


 そう言ってルーナが部屋の引き出しを開き、紙とペンを俺に手渡した。

 さすが用意がいいな。


「さて……何層から書けばいい?」

「……層、ですか?」


 俺の言葉を聞いて、ルーナ=メルムはキョトンとした顔になった。

 最初から、地図を書かせる予定だったはずなのだが……とっさに知らないふりをできるあたり、演技力が高いのかもしれない。


「迷宮の地図を書くんだ。そのために俺を雇ったんだろう?」

「そのために雇ったとは聞いていませんが……地図を描いて頂けるのでしたら、大変ありがたいです。マッピングは84層まで完全に完了していて、85層は入口付近までしか終わっていませんね」

「攻略した階層は完全マッピングが済んでるのか。流石だな……」


 俺はそう言いながら、85層の地図を描き始める。

 とりあえず下から順番に全部描けばいいだろう。


 ◇


 それから4時間ほど後。

 俺が86層の地図に取り掛かったところで、部屋の扉が開いた。

 入ってきたのは、ルビー=メルムだ。


「今日は終わり」


 ルビーは部屋に入るなり、そう告げる。

 予定では、夕方くらいまで治療をするという話だったはずだが……なにかあったのだろうか。


「お姉ちゃん、予定より速いみたいだけど……」

「魔力切れ。お客さんが多すぎて、魔力がなくなった」

「……そんなに多かったの?」

「うん。部位欠損が治るって話が広まったみたいで、途中から大変なことになった」


 あのボッタクリ料金で、そんなに人が集まるのか。

 俺も治癒院でも開いて回復魔法で稼ぎたくなってくるが……俺なんかができるなら街は今ごろ治癒院だらけになっているはずだ。

 にも関わらず、このルビー=メルムですら苦労するということは、何かしら理由があるのだろう。

 などと考えていると、ルーナが口を開いた。


「例のメインターゲットは?」

「バッチリ。借金は1500万。利率は10日で5割」

「複利ですか?」

「覚えてない。エコーにもらった契約書のまま」

「じゃあ複利ですね」


 どうやら、片腕を失った哀れな冒険者は何億もの財産を巻き上げられた上、なんだか大変な利率で1500万もの借金をかぶせられてしまったようだ。かわいそうに。

 まあ、俺もその悪行に加担しているわけなので、共犯者とも言えるのだが。


「そんな借金、返せるのか?」

「いい依頼があるから、大丈夫って言ってた」


 なるほど、依頼か。

 超高レベルの冒険者ともなると、怪我さえ治ればすぐに稼げるというわけだな。羨ましいことだ。


「でもエコーは、返せないって言ってた」


 そんな不穏な発言を残しつつ、今日の俺達の任務は終わりを告げた。

 ……返せなかったら、どうなるんだろう?


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