二人の掃除時間

古田地老

二人の掃除時間

私、もう知らない。あの子なんて、もう――


池谷いけたにアユリは速足はやあしで階段を駆け上がる。クラスルームの始まりのチャイムが鳴り出した。アユリは教室までの道程みちのりを進みながら、ふと内省する。

(この気持ちは怒りなの?でも、あの子が私に嫌なことをした訳じゃない。じゃあ、諦め?「もう知らない」って思ってるってことは?でも私、あの子に何か期待してたんだろうか。あの、いじめられっ子に――。)


・/・/・/・


アユリの所属する小学校では六時間目が終わってから掃除があり、その後クラスルームがあって下校ないし課外活動が始まる。低学年は給食を食べてすぐに下校をするので、その子たちが掃除をするのは自分たちの教室とその前の廊下だけ。児童全員が使う音楽室や視聴覚室といった特別教室は、アユリたち六年生を含む高学年の役目だ。


「なんかさー、みんな使ってる特別教室なのに、なんで先輩の私たちが掃除しないといけないんだろうねー。」

「アユリ、先くじ引いちゃうよ!」

アユリのクラスでは掃除の担当場所が毎週変わる。六時間目が終わった毎週月曜は、掃除時間が始まるまでの十分間にくじを引き、掃除場所へ移動する。

「え、やった!今週は音楽室~♪あそこエアコン効いてて最高なんだよねー。」

「サワめっちゃいいじゃん。私は……ああ、最悪。」

「アユリどこ?」

「図工室。」

「マジ?」

「マジ。図工室ってさ、エアコンなくてジメっぽいし、薄暗くて、なんかボンドとか雑巾の変な臭いするし。トイレより格下だわ。」

「トイレ以下って。あ、私も音楽室!」

「えー、キミカもー。私ぼっちじゃん。」

「ぼっちじゃなくない?図工室も広いから二人でるじゃん。」

「サワとキミカの二人と一緒じゃないってこと。ほんと、これでペアの子が良くなかったら今週だるいわー。」

「アユリの良い子って……田熊くん?」

「えっ、ちょっそんな訳ないでしょ!どっからそんな話?また変なうわさ流さないでよ!」

「野原くんに聞いたー。この前、一緒に帰ってたって。」

「いや、だから、その日は――、」


「あのー、池谷さん?」

アユリ、サワ、キミカの三人で喋っていたところに、くじを持った大久保おおくぼエノが話し掛けてきた。

「え。」

「掃除場所、図工室って聞こえたんだけど。」

「あー、そうだけど。」

「私も図工室。先行ってる。」


「大久保さんと一緒かあ。」

「アユリって大久保っちと喋ったことあった?」

「なかったけど。ってか、サワって大久保っちって呼んでんだ?」

「ああ、これ癖みたいなもん。五年の時同クラおなくらだったけどさ。なんか知らないけど、男子が結構避けてたり悪口言ってたりしてて。私ら女子もなんか関わりづらくて、『ぼっち』だから『大久保っち』。」

「あー、確かに大久保さん一人でいること多いわ。」

「まあ、端的言えば、男子からいじめられてるんじゃないの?」


掃除開始のチャイムが鳴り、教室に残っていた児童が慌ただしくそれぞれの掃除場所に移動し始めた。

「やば。掃除時間、始まった。」

「じゃ、また後で。」

アユリは図工室のある一階へ階段を駆け下りた。


図工室では既に椅子が机の天板に上げられていて、エノが一人、床を履いていた。校舎の北側にある図工室は電気がいていても、ぼんやりと暗い。

「……あー、大久保さん、先準備ありがとう。」

アユリも掃除ロッカーからほうきを取り出して、エノとは反対の入口側から履き始めた。

「池谷さん、箒は私が遣るから、池谷さんは椅子下ろして、机の雑巾掛けしてくれない?」

「あ、ごめん。ありがと。」

アユリはロッカーに箒を片付け、隣のスタンドから雑巾を手に取り、絵の具の汚れで現代アートみたいになったシンクの蛇口をひねった。干した時の形のままの硬く乾いた雑巾からは、しっかり乾燥しているはずのに薄っすら生乾きの臭いが漂う。その臭いごと洗い流すように雑巾を濡らし、固く絞ったアユリは、エノが下を履いた机から順に椅子を下ろして、その広い天板を拭き始めた。


「大久保さんってさ、実は初めてクラス同じになったんだよね。なんか珍しいよね。」

「池谷さんとは多分一年生の時、同じクラスだったと思う。」

「あれ?そうだった?もうその頃の記憶、曖昧だわー。」

「……。」

「……。」


「七月にもなって初めて大久保さんと話すじゃん?」

「そうかも。」

「遠足もなんだかんだ二回も雨で結局中止になっちゃったし、友達以外のクラスの子と喋る機会って、意外と無かったかも。」

「そう。」

「大久保さんはクラスの誰と友達なの?」

「別に。」

「……別にって。友達いないってこと?」

エノはちり取りに集めたごみをごみ箱へ入れながら、あっさりと言った。

「そうなんじゃない?」


(何それ。)

机を拭き終わったアユリは、エノの素っ気ない返答を呆然ぼうぜんと聞きながら、雑巾を洗うためにシンクへ向かった。ロッカーに箒と塵取りを戻したエノもシンクに立ち、アユリの左に並んだ。洗い終えた雑巾を絞るアユリの隣で、エノはスポンジでシンクの絵の具汚れを落とし始めた。

「今からそれ掃除するの?掃除時間中に終わんなくない?」

アユリの問い掛けにエノが応えないまましばらく経ち、掃除時間の終わりのチャイムが鳴った。

「ね、ほら、掃除終わったよ。いつまでシンク、磨いてるの?」

アユリの問い掛けに、エノは一瞥いちべつして応えた。

「もうクラスルーム行かないと。間に合わないよ。」

エノは応えない。

「その汚れはさ、もう取れないし。綺麗にならなくても、うちらの責任じゃないからさ。」

今度はエノは応えた。

「池谷さん、一人で帰っていいよ。」

「え、何?もう掃除時間終わったんだから、教室戻るよ。」

「私、ここ綺麗にしてから行くから。」

エノのこれまでの言動を受けて、アユリは少しいら立った声で話し掛けた。

「あのさ!そんな勝手な行動してたら、クラスに迷惑掛けると思わない?前々から少し思ってたけど、大久保さんさ、ずっと一人行動してるじゃん。友達とか作ったり、グループ行動したりしてないから、んじゃないの?」

アユリの言葉に、エノが手を止めて顔を向ける。

(言ってしまった。)

アユリがエノの目線から顔をらして斜め下を見ていると、エノが口を開いた。

「池谷さんは私をいじめてるの?」

「え、いや……。」

「私をいじめてるの?」

「……男子がいじめてるんじゃない?」


時計の分針の進んだ音が響いて聞こえた。

「……教室、帰るよ。」

「後から行くから。」

「もう、戻らないと。時間ないよ。」

エノはもう応えなかった。

「私、戻るように言ったからね。」

アユリはそう言うと、図工室のドアを開けた。

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