自分にとってのメガネ

霜月かつろう

自分にとってのメガネ

 朝起きて手が届く所にないと不安になるもの。けれど、朝起きて手が容易には手に入れられないもの。朝起きて思いがけない場所にあって一日の始まりから盛り下がらなくてはらないもの。


 それが自分にとってのメガネだ。


 いつから? なんてのは愚問。覚えていない時期から身につけているもの。何代もの歴を重ね今のメガネにたどり着いている。


 たまに聞かれる。コンタクトレンズにしないの? そんなのも愚問だ。もはや体の一部と言ってもいいもの。ないと落ち着かないし自ら手放すなんてとんでもないことだ。


 最近は手術で視力回復も話を聞くようになってきている。施術を受けた人達の言葉に耳を傾ければ、よかったの一言。メガネから解放、コンタクトレンズからの解放。不便な生活からの解放。いい事ずくめ。多少値が張るけれどそれだけの価値が彼らにはあるらしい。


 どんない魅力的な話を聞いてもやっぱりメガネを手放す気にはなれなかった。


 顔を洗って鏡に写った自分を確認する。視力が悪すぎてぼんやりとしか見えない。仕方ないので鏡と鼻がくっつきそうになるところまで近づいて確認する。


 やっぱり、別人にしか見えない。メガネを掛けていない自分はまるで他人のように思える。まるで見覚えない人でしかない。それを見るたびにメガネは自分の身体の一部だと思うのだ。


 洗面台の横に置いておいたメガネを手に取るとかける。まるでそこが定位置とでも言わんばかりにすっぽりとハマる感じがする。そこでようやく目も覚めてくる。


 毎日これをしなければ自己を確立できない。もはやそんな人間なんだ。メガネなしで生きていける気がしない。


 ふと、いつもの自分になれない気がして、メガネをゆっくりと外す。目に近づけながら観察。すぐに見つけられる違和感はない。フレームに歪みはない。レンズも同様だ。ツルが曲がった? ちょっとの違いだったりすれば気が付かないかも知れない。違和感もほんのちょっとだ。


 もう一度メガネをかけてみる。やっぱりどこかおかしい気がする。毎日のことだ。なにかの拍子にどこかがズレてしまったのか。


 ちょっとしたことだけど、気になるところだ。劣化も気になってきたし。新しいものに変えるチャンスなのかも。


 何代目になるのか分からないが新しいメガネとの出会いを楽しみにしている自分がいる。


 まあ。自分にとってメガネはきっと人生のパートナーなのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

自分にとってのメガネ 霜月かつろう @shimotuki_katuro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ