探検家ロカテリアと大蛇(4)
「大蛇よ、この身を捧げます。どうか村に、ひとときの安らぎを」
ゆっくりと鎌首をもたげた蛇は、少女の目に山のように映った。
口の中に並ぶ鋭い歯に、すくみそうになる足を励まして、食べられるより前に、喉の奥へ飛び込む。
バクンと音がして口が閉じると、あたりは完全に真っ暗になり、蛇は少女をギチギチと締め付けながら腹の奥へ呑み込もうとした。
「手が、自由に、なるうちに」
全身を包み込む恐怖に負けないように、声を出しながら、革袋を取り出す。
そして中身の軟膏薬を、手探りで蛇の口腔内にぬりたくる。
手のひらからジンジンと痺れはじめ、ビクン、と自身の体を包む蛇が震えたと思ったのを最後に、少女は意識を手放した。
蛇の頭が想定より高い位置から落下したことに、ロカテリアは舌打ちして少女の身を案じた。
あの巨体の自由を奪うほどの効能だ、直接薬に触れた少女も意識を失ったと考えていい。
とはいえ、呼吸が確保できている保証は無く、少女救出までの制限時間は三分だ。
「急ぐよ!」
ロカテリアが言った時にはすでに、助走をつけて走って来た男が蛇の頭に飛び乗っていた。
ガイ、ガイ、ガイイィンと、三連撃は固い音ではじき返される。
峠鬼として名を馳せた大男の腕力でも、炎の力が封入されているという紅輝石の穂先をもってしても、大蛇の脳天は貫き通せない。
弱く首を振っている大男の肩を叩いて、諦めるなと励ます。
「蛇の口をあけて、お嬢ちゃんを引っ張り出せないか試してみとくれ」
そしてロカテリアは蛇の頭の上にヒザをつき、脳天の真上のウロコに向かって拳を振り下ろした。
巨大なウロコの中央に向かって、無心で殴り続ける。
「ハハハ……お互い、年をとったねぇ」
何度も何度も挑んできたから分かる、この大蛇もすでに充分に老いた身であることを。
五十年前と比べて、遙かにウロコの強度は下がり、目は濁った、たぶんこのたびは大嫌いなロカテリアが側に近寄ってきたことさえ、気づくことができなかったのだろう。
「人間がオマエの縄張りに踏み込んだのが悪かったのか、オマエが人間の味を覚えたのが悪かったのか」
繰り返し叩きつけられる拳に、ウロコの中心に薄くヒビが入りはじめる。
前かがみになりすぎて、肩口から滑り落ちてきたおさげを、ロカテリアはピッと後ろへ払った。
「どっちにしたって、長く、不幸なことだったね」
老婆の拳も、皮膚が裂けて血が滴っている。
「婆さん、メガネの子、引っ張り出せた! ちゃんと生きてる!」
「よくやった、槍持って上がってきな」
だいぶ離れた場所に寝かされた少女を確認してから、ロカテリアは大男を引っ張り上げた。
「赤い印を狙いな、今なら脳天まで貫通するはずだ」
自身の血でついた赤い的を指さして、老婆は不敵に笑う。
微かに足元の蛇が身じろぎして、ギョロンと巨大な目玉がふたりを見つめるように動いた。
「今なら……婆さんがやれるんじゃないのか? 因縁の相手なんだろ」
紅輝石の槍を譲ろうとする大男に、ロカテリアは白濁した目玉を見つめ返す。
「どうする?」
老婆が大蛇に問う声は、深く優しい。
蛇の瞳はそれをひどく嫌がったように、再びギョロンと下にむいてそらされた。
「アハハ、そうさね、因縁が長すぎて、情が沸いたみたいなもんだよね」
ロカテリアは、大男にしっかりと槍を握らせた。
「アタシの力じゃ、もう、貫けないさ。やっておくれ、用心棒」
こくんと、
誰かを怖がらせて奪うためでなく、弱き者を守るために使う力。
旅の道すがら、きまぐれに教えてくれた老婆に、全力の感謝をこめて槍を振り上げる。
「おおおおお!」
血の赤い印に、研ぎ澄まされた紅輝石の穂先は、吸い込まれるように深く深く埋まった。
すでに大地に伏している大蛇は、
崖下の景色として、静かに巨体が横たわっている。
しかしその災厄は、二度と動くことはない。
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