僕の物語
甘宮 橙
第1話
僕には三分以内にやらねければならないことがあった。この部屋からの脱出だ。
それは全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れがこちらに向かっているからだ。
僕は新調したばかりのスクエア型のブルーのメガネを装着して玄関のドアを開ける。近づく振動から、群れがもう近くまで迫っている事実を察知する。
「おかしくなってしまった世界。バッファローに追われるのはこれで3回目かな?」
矛盾を孕んだこの世界は壊れてしまった。現実ではありえないことが次々と起こるようになり、やがて破綻を起こす渦が大きくなると、僕は気を失い、そして何度も同じ朝を迎える。
僕は青いロードバイクに乗って田園地帯を走る。本来なら今日は、大学進学による東京での一人暮らしを始めるための住宅の内見に向かう予定だった。
だが、天変地異が起こることを知っているのならば、人の多い場所へは向かえない。
どうせ元に戻るとしても、できるだけ人を巻き込みたくはないのだ。だって、この世界の「矛盾」の中心は僕自身なのだから。
ロードバイクで10分ほど走らせると、春に向けて耕された田んぼが広がる田園地帯へと到着した。ここで次に起こる何かに向かって身構える。
しかし、何の前触れもなく、それは突然始まった。
青い空がささくれ立つように割けると、その切れ目の奥から気球のように優雅に宙に浮かぶ、巨大な金色の箱が現れた。そして、その蓋がひとりでに開くと、箱の中にこの世界の色が引き込まれていった。
「ここまで超常的な現象は今までにない! ついに終わりが訪れるのか?」
箱の中に次々と吸い込まれて色を失っていく世界の中で、僕の心に浮かんだものは恐怖ではなく安堵だった。
僕は作者さんが書き始めた小説の主人公だった。だが彼は途中で行き詰まってしまったようだ。そこで主人公を女性に変えると滑るように筆が進んだ。
だがこれは、見落としだったのか、あるいは保存のし忘れか? 物語の中で断片的に「僕」が残ってしまったのだ。
いてはいけない僕がこの世界にいる矛盾から、破綻したストーリーは閉じることもできずに世界を壊し続けていった。
「だが、作者さんは推敲で、やっと僕の断片に気がついてくれたようだ。最後の修正により僕の物語は終わる。願わくば、新しい主人公がこの物語の中で、いきいきと動き回ってくれることを…………」
*****
ボクは新調したばかりのボストンフレームの丸メガネをかけて鏡に向かう。
「なかなかどうして、ボクもイケるじゃないか」
これからバスと電車に2時間揺られて住宅の内見に向かう。
無事に志望の大学に合格して春から東京で一人暮らしだ。お父さんはそこまで過保護な人ではないのだけれど「一人暮らしをするのならセキュリティーはしっかりとその目で確認してこい」との命令だ。
男の子のように振る舞ってきたボクだけれど、女であることをちゃんと自覚する年頃だと付け加えられた。
あまり話さないで難しい本を読んでいるような人だけれど、しっかりとボクのことを見てくれているのを知っている。だからボクはお父さんが大好きだ。
「さて、そろそろ出かけようか? とりあえず電車に乗って、早く着いたら東京を少し散策してもいいかな?」
大通りに出ると、目の前を青色のロードバイクが走りすぎる。その爽やかな光景に、ボクはなぜだか、やがて訪れる春の気配を感じた。
そう、もうすぐボクの新しい物語が始まろうとしている。
僕の物語 甘宮 橙 @orange246
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