第2話

 これは異世界転生というやつだろうか。

 名付けるならば、「謎の眼鏡店に行ったら異世界転生したんだけど、そこは全裸の世界だった」みたいな感じか。

 まず異世界転生ものを読むことがないから全くわからない。


 俺の煩悩が深すぎて、異世界に転生してしまったのか……?



 ただ、よくよく見ると、さらに気づくことがある。

 あまり見たくないが、歩いているおっさんの股間の部分を見ると、モザイクがかかっていた。

 確かにパンツは履いていない。でも、形がどんなものか確認できない。凝視することができないので、何とも言えないが、どうやらモザイクが掛かっているっぽい。


 そんなことを考えていると、近くのバス停にバスが止まった。そこから、女子高生たちが降りてきた。そして、彼女らも全裸だった。


 俺はラッキーなのかもしれない。


 そう思って見てみると、やはりモザイクが掛かっていた。そして、おっさんたちには掛かっていなかったが、女性陣は胸の部分にもちゃんとモザイクがかかるらしい。


 少し凝視してしまったので、かなり不快な目で見られた。



 ここはどういう異世界だ。全裸世界ではあるけども、ちゃんとモザイクがかかる世界か……?

 確かに今どきはコンプライアンス重視の世の中で、今じゃお色気シーンでもおっぱいが出てくることはない。


 でも、異世界くらいいいじゃないか。


 おかしいだろうよ。


 そんな時、近くの高層ビルにあるデジタルサイネージにVRゴーグルのCMが流れて始めた。そこで気づいた。

 これってもしかして、異世界じゃなくて、仮想世界なんじゃないか。もしかして、俺はまだあの占いの館にいて、その中でVRゴーグルか何かをつけられて、その仮想世界の中で遊んでいるだけなんじゃないか。

 そうだ、多分このメガネがVRゴーグルの役割を果たす何かなんだ。


 そう思って、俺はメガネを外した。すると、世界はまたぼんやりと見える。とはいえ、風景は変わらない。ただ、街の人たちは全裸ではなく、ちゃんと服を着るようになっていた。


 どうやら仮想世界ではなかったらしい。


 もう一度、メガネを付けてみる。すると、また街の人たちは全裸になっていた。大事な部分はモザイクで隠して。



 ここで俺はようやく気付いた。このメガネは服が透けて見えるのだと。



 講演会がまもなく始まってしまうので、とにかく会場に急いで向かった。

 ただ、講演会への興味なんてほとんどなくなり、このメガネの効能への興味にほとんど移っていた。本当はあの眼鏡店はなんだったのかと考えたいところだが、急ぎながら、しかもメガネの効能を試しながらの中では、そこまで考える余裕はなかった。


 講演会の会場のホテルは、商店街を抜けて、さらに歩いた先にある。

 普段なら全く喜ばしくないのだが、商店街は抜けた先の道は、歩道がものすごく狭い。すれ違うのが結構大変だ。ただ、このメガネがある状態だと、それは喜ばしいことになる。

 なぜなら、近くで全裸姿を拝めるからだ。ついでに、本当にモザイクがあるのかどうかも確かめたい。

 その狭い歩道を歩き、数人とすれ違った。その結果、確かにみんな全裸ではある、全裸のようには見えるのだが、やはり肝心の部分には全てモザイクが掛かっていた。どう頑張っても見れなかった。


 くそう。なんだよ。俺は無修正が……。


 そこで俺はミスをしたことに気付いた。そうか、あの“修正”ってこのことだったのか……。


 “修正”をお願いしたことを心底後悔した。




 何とか講演会には間に合った。

 厳密には1分遅刻だったが、その議員が会場到着に20分遅れるということらしく、会は始まっていなかった。もちろん、既に部署のメンバーも全員来ていた。


「遅いじゃないか、高原君」


 部長にそう声を掛けられた。その声で普通を実感しかけたが、やはりみんな服を着ていないがゆえに、現実感が乏しかった。


「すみません。あれ、横田さんは?」


 なぜか男しかおらず、瑞姫がいなかった。もしかして、来ないのか。せっかくこのメガネを付けてるのに来ないのか……?


「ああ、ちょっと今席外してるだけで来てるよ」


 良かった。いや、良かったと思うのは下衆な人間の考え方か……。


 この日の講演会は、ホテルの大宴会場を貸し切っているだけあって、数百人レベルでの人が来ていた。ただ、来ている人たちをよく見てみると、取引先など、うちの会社の関係者が半分くらいを占めていた。ただ、全員が大事な部分にモザイクがかかった状態の全裸でいる。


 こうして見てみると、少し面白い。

 元気そうに笑っている人の腕にリストカットの跡があったり、おじいさんの社長が実は筋肉ムキムキだったり、イケメンっぽい40代の人のお腹がかなり出ていたり、普段知ることのできない秘密を知ってしまう。

 ただ、せっかく隠しているものを見てしまい、少し申し訳ない気持ちにもなった。


 とにかくホテルのスタッフだろうが、偉いっぽい会社の社長だろうが、若い女の子だろうが、全員全裸というのはやはり見慣れない。ある意味、修正があって良かったのかもしれない。全て見えていたら結構しんどい気がする。修正があっても、一度にこんなにも多くの人の裸を見ると、調子が悪くなってくる。


「高原君、顔色悪いけど大丈夫?」


 部長が心配してくれているので、一旦気持ちを落ち着かせるためにトイレに逃げた。一旦深呼吸すると落ち着いた。落ち着いたついでに、用を足すことにした。


 そしたら、またしても驚くべきことに気付いた。


 なんと自分のものについてもモザイクが掛かっていた。


 確かに感触はあるのだが、視覚上はモザイクがかかっている。そして、モザイクの先から水が放射状に出てくる。このメガネはとにかく大事な部分には何でもモザイクを掛けるらしい。



 トイレから戻ってくると、瑞姫がいた。瑞姫の顔が一瞬見えた瞬間、俺はドキッとした。

 いつも日常で接していて、いつもかわいいと思っていた女の子の裸が見れる。


 そのシチュエーションはとにかくエロい。


 いくらモザイクがかかっていてもテンションは上がる。


 少し緊張するが、瑞姫の体を見てみる。



 あまりに衝撃的だったので、最初頭の理解が追い付かなかった。



 一旦目を反らし、一度息を整えて、もう一度見てみる。


 やはり、勘違いではなかった。




 なんと、瑞姫は鉄のパンツを履いていたのだった。




 女性用なのか男性用なのかすらわからない、デザイン性は皆無で、誰が見ても明らかにダサいものだが、堅牢な鉄が下半身をしっかりガードしている。

 このメガネは金属を透けさせることはできないらしく、モザイクもないがその先を見ることは決してできなかった。


 鉄パンツの瑞姫を見て、瑞姫に対する付き合いたいとか裸を見たいとかそういう意味での興味は急速になくなった。

 あのダサい鉄のパンツを履いている姿に、色気も何もない。

 本当に勝手だけども、何だか騙された気分になった。蛙化現象とはまさにこのことなのかもしれない。


 とはいえ、まじまじと見てしまったせいでいつも通り視線を感じて不快に感じたのか、瑞姫は俺に対して露骨に嫌がるような素振りを見せた。


 もはや、変な目で見れなくなったが、逆に瑞姫に人としての興味はかなり湧いたのも確かだ。そもそもなぜ鉄のパンツなんて履いているのか。理由はかなり気になった。そもそもどこで売っているのかも気になる。本心を聞きたいところだが、残念なことにこのメガネに心まで覗き見る機能はなかった。



 鉄のパンツのことを考えているうちに、いつの間にか講演会は始まっていた。

 いつも通りなら、最初に議員の奥さんが過去のエピソードを語り、その後熱心な支援者のうちの会社から支社長が出てきて、応援演説をして、最後に本人が出てくる。

 そして、今回も同じ内容だった。全裸ということ以外は決して変わらない講演会が続いた。


 始まって2時間近く経ち、間もなく終了する時間となった。議員にこの支援者から花束が贈られるタイミングだった。


 とあるホテルマンが花束を渡す補佐をしようと動いていた。何ら不審な動きはない。けれども、俺には明らかに不審に見えた。というのも、胸元にナイフを持っていたからだ。


 俺はどうするか悩んだ。

 もしかすると、このあとケーキでも出てきて、そこで使うナイフかもしれない。あるいは、実はこの人がSPとかで、暗殺者に対抗するためにナイフを護身用に持っているだけかもしれない。もしくは余興で偽物のナイフを……。


 どう考えてもそんなことはなかった。


 そのホテルマンが胸元に入れていたのはサバイバルナイフで、殺傷能力に全振りしたような鋭い刃を持っていた。透けずに見えるということはごりっごりの金属だろうから、偽物でもないだろう。


 間違いなく、そいつはそのナイフをこのあと使うことになるだろう。議員か支援者かはわからないが、多分どちらかを狙ったものだろう。

 できれば、俺以外のやつに気付いてほしかったが、顔色変えず、客観的には不審さがないまま歩いていくので、誰も気付かない。


 俺は通路側に座ってはいたが、突然周りが座っている中で動き出すのは明らかにおかしい。どうすべきか。


 ホテルマンが壇上に上ろうとしたとき、ホテルマンが胸元に手を入れた。俺から見えるのは、それだけでなく確かにそいつはナイフに手をかけていた。


「みんな逃げろーー」


 気づいた時には俺はそう叫んでいた。もはや人の目を気にしている場合じゃないと、判断した。



 その瞬間、時が止まったように、全員が一瞬硬直した。



 俺はそのホテルマンを取り押さえようと走った。

 が、すぐに周りはパニックになった。

 その後、逃げる人々にもみくちゃにされ俺が止めに入ることはできなかったが、ちょうどそのタイミングでナイフを取り出したホテルマンはすぐに十人近い大人に取り押さえられた。特に被害は出なかった。




 悲しいことに、そのメガネがもみくちゃにされている最中に、メガネの鼻の部分が割れ、そのまま落ちてしまった。探したがもう見つからなかった。もしかすると、あのメガネは邪な目的のために使うのではなく、こういうときのために使うものだったのかもしれない。そして、役目を果たしたから、消えていったのかもしれない。


 その後来た警察に残るように言われ、事情を聞かれた。最初に叫んだというのもあったが、それ以上に細い目でにらんでいるようにも見える裸眼の状態だったこともあり、疑われたのかもしれない。メ

 ガネのおかげでナイフがあることを知ってましたなんて言うこともできなかったために、そのホテルマンが怪しかったと言うしかなかった。

 正直、このまま警察署に連れていかれることも想像するほど、向こうの表情は固かったが、他に合理的な理由が向こうとしても想定されなかったらしく、その場で解放された。


 解放されたときには部署のメンバーは既に帰ってしまっていた。

 



 翌日俺はいつも通りコンタクトを入れて、会社に行く。もう見える景色は決して全裸に見えない、普通の今までと変わらない景色だ。


 いつも通り会社に出勤すると、部署のメンバーから、ホテルマンの犯人を見つけたことについて褒められた。かなりしつこかったが、悪い気はしなかった。


 自分の席に座ると、向かいには瑞姫がいる。

 昨日までなら、少しは変な目で見ていたかもしれないが、もうそんな目では見ることはない。

 なぜなら鉄のパンツを履いているからだ。

 もしかすると、昨日だけだったかもしれないが、鉄のパンツを履いたことがあるという事実は間違いなくある。その意味では、俺の中で瑞姫は蛙化してしまった。

 ただ、男女関係なく人として見たときには、興味のある人という意味では間違いない。


「おはようございます」


 突然、瑞姫から声を掛けてきてくれた。いつもと違って嫌々という感じもしない。


「おはよう」


 俺はそう返した。別にそこから何か話が続くわけでもなかったが、進歩だった。


 いつも通り朝礼があり、いつも通り仕事があり、いつも通り帰る、そんな日々に変わりはなかったが、この日から瑞姫から嫌がられたり避けられたりすることがなくなった。

 ちゃんと聞いていないが、俺が変な目で見るのをやめた瞬間に話してくれるようになったということだから、向こうも変な目で見られているという警戒があったのだろう。


 煩悩というのは何も生まないのかもしれないと強く思った。


 あと、鉄のパンツのことを聞けるほどはまだ仲良くなれていないが、今後さらに仲良くなったら、いずれ聞きたいと思う。

 あくまで煩悩としてパンツのことを聞きたいんじゃなく、あくまで人同士のやましくない感じでパンツのことを聞こうと思う。

 そんな荒業が可能かどうか、今後検証していきたい。



 とはいえ、煩悩が捨てられないというのも人間だ。

 メガネをもう一度買うために、「東明眼鏡店」に行った。


 確かにそこに、「東明眼鏡店」はあったはずだが、そこは中華料理店に変わっていた。看板ももちろん出ていない。

 中に入っても、元の占いの館感が一ミリもなくなっていた。店主のおじいさんに話を聞いてみると、その中華料理店は創業70年の店らしかった。

 

 結局あの日あったことが本当なのか、幻なのかはわからない。

 財布から2万円がなくなり、殺人事件を食い止め、瑞姫を変な目で見なくなったという事実しか残っていない。

 今後生きていく中で、いずれ些細なこととして忘れていくのかもしれない。


 ただ、あの日メガネから見えた鉄パンツを履いた瑞姫の姿は一生忘れない、そんな気がした。

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有修正メガネ サクライアキラ @Sakurai_Akira

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