有修正メガネ
サクライアキラ
第1話
恒例の朝礼。普段であれば、校長先生、違った、部長のしょうもない話をたった10分聞くだけで給料をもらえる、この世で最も楽な仕事と思うことができたが、今日はそんな気分じゃない。
5年も付き合っていた彼女と別れた。大学時代から付き合って、就職してから俺が地方勤務になって遠距離になってからも3年続いていた。間もなく、東京に戻れる見込みもあって、そしたら結婚しようと思っていたのに、突然別れを切り出された。
少し大学時代の女友達に探りを入れてみると、どうやら職場の上司と良い感じらしく、俺は切られたらしい。
俺は彼女のことが好きだったから、ショックだった。ただ、それよりもこの3年間、必死に浮気しないように必死に我慢していたのに裏切られたのが許せなかった。こんなことなら、俺も浮気すれば良かった。とにかく人生お先真っ暗な気分だった。
「高原君、聞いてるのか?」
さすがに上の空過ぎて、聞いていなかったのがバレたらしい。
「すみません」
「ということで、皆さん今日は夜よろしくお願いします」
いつの間にか朝礼は終わった。今日の夜何があるか聞き逃した。最悪だ。
うちの部署の唯一の後輩かつ女性社員で、俺の向かいの席に座っている横田瑞姫に聞こうと一瞬見たら、ものすごい嫌悪感のこもった目で見られた。
いつもそうだ。こちらから瑞姫の方を見ると、露骨に嫌がられる。確かに、瑞姫はアイドル級にかわいくて巨乳で、何となく色気を感じる。これが煩悩というやつだと思う。そんな目線で見るなと言われても、どうしてもそういう目で見てしまっているのかもしれない。それを気づかれているのか、避けられている。俺はこれまでは彼女もいたので、それで何ら問題なかった。ただ、せっかく自由な身になったのだから、瑞姫とはこれから仲良くしたい。あわよくば……、なんて考えて、一応瑞姫に話しかけてみる。
「あのさ、今日の夜何があるって言ってた?」
「……」
聞こえていないふりでパソコンを操作している。どうも無視を決め込んでいるらしい。
「横田さん、聞いてる?」
とうとうイヤホンをつけだした。そんなに俺と話したくないか……。てか、会社でイヤホンはありなのか。
そんなことを思っていると、瑞姫が紙を渡してくれた。
その紙はチラシで、「衆議院議員 佐藤秋生 決起集会」と書かれてあった。
佐藤秋生は、今いる場所の選挙区の衆議院議員で、うちの会社が応援している候補だ。そういえば、入社してすぐのときも、決起集会に半強制で参加させられた気がする。話を聞くだけだが、あくまで個人の意思で講演会に参加しただけという体なので、残業代が発生しないので、最も無駄な時間を過ごすことになる。そして、どうもこのイベントは突発的に当日発生する。というのも、人が集まらない見込みが立った時だけいわばサクラ要員として呼ばれるイベントだからだ。これらの理由から、二度と参加したくないイベントだった。
「部長が絶対全員参加って言ってましたー」
なんだかんだちゃんと言ってくれるんだと思って、「ありがとう」と瑞姫に言ったが、イヤホンをしていて、何も聞こえてなかったらしい。
本来なら即部長に行けないと言うところだが、朝礼で来れないって言わなかったのに、今突然行けないと言ってしまえば、朝礼で話を聞いていなかったことがバレてしまう。それにそもそもこんな3年目の若手社員が部長から参加するように言われた会を断ることは形式的には認められても実質的には許されていない。悲しいかな、別に彼女とデートするとかの予定もあるわけないので、あきらめてその国会議員の話を聞きに行くことにした。
仕事を終え、これから講演会の会場のホテルまで向かっていた。
この日は、暴風警報が出るか出ないかというほどの強風が吹いていた。別に立っていられないというほどでもなく、雨も降っていないので、そこまで気にはしていなかった。
職場とホテルの間にある商店街のアーケードを歩いていた時だった。前から強い突風が吹いた。幸い体が飛ばされることはなかった。ただ、その瞬間左目の視力だけ大きく落ちた。
左目のコンタクトが飛んで行ってしまったらしい。
急いで周りを探したが、見当たらなかった。
別にそんなにまずいことでもなかった。
ワンデーのやつを使ってるし、こういうときのために予備の眼鏡も持ってるので、特に意味はない。強いて言えば、いつも眼鏡じゃないのに眼鏡をかけることで、会社の人たちから何か言われるかもしれないが、大したことはない。何なら、瑞姫がギャップ萌えしてくれるかもしれない。
そう思いながら、一旦ベンチに座ってかばんを開ける。
確か、かばんの奥に眼鏡ケースを……。
いや、手前だったかな。
……。…………。
どうやら家に忘れてきてしまったらしい。
家に一旦帰ると、講演会に間に合わない。かといって、眼鏡を忘れたくらいでは欠席はできないだろう。とはいえ、このままだとほとんど周りがぼやけて見えない。それに片目だけ見えている状況が気持ち悪い。
どうすれば良いか。
そんなとき、目の前に眼鏡店があることに気付いた。創業125年と書いてあり、歴史もありそうだった。高そうではあるけども、安いものもあるはずだし、少々高くてもこんな緊急事態だから、仕方がない。普段であれば確実に安い眼鏡店に入る俺はかなり躊躇したが、入ることにした。
歴史ある眼鏡店、入ると普段かばんとかでしか見ない高級ブランドのメガネがあり、金額帯としては十数万円~だった。
心がその時点で折れそうになったが、さらに奥に行くと、2万円台のものがあり、それが一番安いものだった。
安い眼鏡店に行けば、今どき3本で2万くらいだろう。下手するとそれ以上に安い。悩みに悩むが、そうも言ってられない。
その一つを持って急いでレジに行った。
「こちらの眼鏡でよろしいですか?」
白衣なのか、なんとなく少し違ったように見える眼鏡技師(?)専用の服を着た60代くらいのおじいちゃんの店員が対応してくれた。
「はい、これを今すぐ持って帰りたいんですけど」
おじいちゃんの店員は、首を捻った。
「すみません、うちのメガネは受け取りまで1週間頂いてますね。そこらの眼鏡店とは違うんで」
レンズはめるだけで1週間はないだろう。別にブルーカットだとか言ったわけでもないのに。いや、ブルーカットくらいはつけてほしいけども。
「じゃあ、今日すぐもらえるメガネはどれですか?」
「うちではそんなものは取り扱ってませんね」
嘘だろ。今どきの眼鏡店であればどこでも当日受け取り可能だと思っていた。それじゃ、みんな安くて早いメガネ店に行くだろう。
「すみませんね」
そう言われて、そのおじいちゃんの店員は奥に引っ込んでしまった。どうしようもないので、眼鏡店を出ることしかできなかった。
これからどうするか。片目だけ見えてる状況は限界だったので、さっきの眼鏡店のトイレで一応片方のコンタクトも外した。見えないまま講演会に臨むことも可能だが、本当にそれで良いのか。そんなとき、ふと高校時代を思い出した。
視力が悪かったことに気付いていたが、その事実を受け入れたくなかったために、メガネやコンタクトをしていなかった。そうしていると、自然と目が細くなっていたらしくて、「睨んでるの」って何人かの女子におびえたように言われた。あれ以来、人前ではメガネやコンタクトを付けていたのだった。
大したことではないのかもしれないが、俺にとってはそこそこ大きいことだった。そのことを思い出すと、やはり細い目で講演会には臨みたくない。
ネットでコンタクトやメガネの店を検索したが、どれも閉店している。
……。
あきらめて帰るか。別に残業じゃないってことは欠勤にもならないってことだ。つまり、クビにはならない。それでも、これがきっかけで、部長や他のメンバーとの信頼関係が崩れていく可能性がなくもないが、最悪それでも良い。
信頼関係が崩れた結果、また地方に飛ばされても、あるいはここから異動できなくてももうどうでもいい。東京で待ってたはずの彼女ももういないんだから。そもそも待ってもいなかったが。
そう思って、帰りのバスに乗ろうとバス停まで行くと、向かい側の細路地にぼんやりと「眼鏡」と書いた小さな看板が出ているのに気づいた。気づいたというより、もはや何となく書いてある気がするという思い込みに近いものだった。
とはいえ、思い込みに近いそれを信じて、その店に向かうことにした。
店の前まで来てみると、より一層怪しさが増した。
外に出されてある小さな看板には「東明眼鏡店」と書いてあった。
検索してもヒットせず、怪しさは増した。さらに外観についても、視力が悪いので、ぼんやりとしか見えないが、眼鏡店というより占いの館というような外観で、店自体には看板が付いてなかった。それにシャッターも少し閉まっている。一応中の電気はついているので、営業はしているらしい。
普通ならこんなところに入るわけもないが、一応ここでメガネをすぐにもらえるなら、講演会に出れて万事解決なため、入ることにした。
「いらっしゃい」
しわがれたお婆さんの声だった。
中に入っても、メガネは一つもなく、占いの館そのものな内装だった。奥に年齢不詳の白髪で赤縁のメガネをかけたお婆ちゃんが一人座っていて、目の前に水晶もあり、誰がどう見ても占いの館だった。
「あの、メガネを作ってほしいんですけど」
こんなところでメガネの話をしていること自体間違っている気がするが、一応聞いてみた。
「そうだろうねえ、眼鏡屋に来たんだからね」
眼鏡店で合ってたらしい。確かに、眼鏡店に来て、メガネを買いに来ていない方がおかしいか。
「すみません、すぐ作れますか?」
お婆さんは不思議そうにこちらを見てきた。
「もちろん大丈夫だよ、ただここのメガネはちょっと普通と違うからね」
普通と違うって何だろう。
「度が入ってないとかですか?」
伊達メガネとかだと困るので一応聞いてみた。
「度が入ってないのもあるが、もちろん度は入るよ」
「なら大丈夫です」
見えるなら何でもいい。
「もしかして、数十万とかですか?」
そもそもここに現物がないから何とも言えないが、もしかすると高級ブランドと言うことかもしれない。
「値段は2万だ」
普段なら絶対に買わないが、今日に限っては全く良い。一日分の給料以上の額だが、仕方ない。むしろそんな良いメガネをつければモテるかもしれない。
「問題ありません、どのくらいでできますか?」
「7分くらいかな」
「7ふぅん!」
某サッカー選手の解説のように、食い気味に聞いてしまった。いくら何でも早すぎる。うさん臭さしか感じなかったが、ここしか頼れるところがないから仕方がない。渋々頷いたが、お婆さんはもはや俺の反応を気にすることもなくお構いなしに、準備を始めていた。
普通通り視力検査をし、そのままブルーライトなどの希望を聞かれて、そのまま答えると、目の前で手際よく作業をしてくれた。
「ちなみに、“修正”するかい?」
“修正“って何だろう。メガネに修正なんて聞いたことがない。もしかして、フレームのところが頭にフィットするようにすることだろうか。あればうれしいけども、時間や追加料金がかかるならいらないやつだろう。
「時間かかりますか?」
「いや、変わらないよ。一応無料だが、どうする?」
「じゃあお願いします」
「そうかい」
お婆さんは不思議そうな目で一瞬こちらを見たが、すぐに作業を再開し、あっという間に出来上がった。おそらく7分を切っていただろう。
メガネのフレームはどうも1種類だったらしく、銀縁のスタンダードなメガネだった。
「ちょっと掛けてみてくれ」
メガネをくれると、そのまま婆さんは後ろに引っ込んでいった。
掛けてみると、しっかり見える。ぼんやりとした世界が途端にくっきりしてくる。それと同時に、この部屋がいかに不気味な部屋かということも分かった。変な骸骨、変な人形、アニメの秘密結社が使ってそうな謎のマークなどが周りにあることに気付いた。
「どうだい?見えるかい?」
婆さんが裏から声を掛けてくれる。
「はい、見えます」
「じゃあ、そこに2万置いて行ってくれればいいから」
婆さんはもうこっちに戻ってくる気はないらしい。正直このままメガネだけ持ち逃げすることができたが、ちゃんとメガネをもらったのに支払わないほど腐ってはいない。
2万を置いて、「ありがとうございます」と言って、この不気味な眼鏡店を出た。
外に出て、遠くを見てもしっかり見える。むしろ今までのメガネやコンタクトよりよっぽど見えるかもしれない。それにそんなに目も疲れる感じもしないし、メガネ自体も軽い。2万するだけあるなと思って、とりあえず大通りに出た。
すると、驚くべき事実に気付いた。
みんな服を着ていなかったのだ。
街行く人たちが全員例外なくだ。全員が全裸だ。
「嘘だろ」
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