終幕《裏》


 ──王都最大の書店、ハーピーパピリアの二階。


 高価な専門書が並ぶ書庫は人払いがされ、ソファに腰掛けて本を読む男性を除いて無人だった。


 ただ一人いるのは、銀髪に、青みがかった灰色の瞳を持つ人物──ベリシアン王国の王太子、オウェインである。

 読書に集中しているように見えた彼だが、書庫の扉が開く微かな音を聞き逃さず、顔を上げた。


 そこには、町娘のような格好ながら、歩く所作一つをとっても洗練されていることが隠しきれぬ、一人の令嬢・・がいる。

 今の彼女は黒髪だが、本来の色はそうでないことをオウェインは知っていた。


 彼女の名は、フローレンス・アーデン。

 アーデン侯爵家の次女にして、元婚約者である。


 その姿を見て、オウェインはゆるりと唇に弧を描いた。


「久しぶりだな。我が共犯者殿」


 対するフローレンスは、わずかに目を眇め、溜息を零す。


「……あのでたらめな思いつきをここまで見事に完遂するなんて、恐ろしいお方。わたくし、あなたと結婚せずに済んで本当によかったと思いますわ」

「何を言う。その“思いつき”は君のものだろう? 本当に恐ろしいのはどちらなのだか」


 ──二人の関係は、まさに“共犯者”。


 フローレンス毒殺未遂事件に端を発する、宰相フォンティーヌ公爵およびその関係者の断罪劇は、二人が仕組んだものだからだ。


 先日オウェインがフレイヤに話して聞かせた内容はおおむね事実だが、最も重要な部分では偽りを含んでいる。


 宰相は、過去の犯罪については真っ黒だが、フローレンス毒殺未遂事件に限って言えば、無実。

 毒を盛ろうとした事実すらもないのだ。


 宰相がこれまで数十年にわたり、殺人を含むいくつもの重大事件に関与していることは疑いようもない。直近では、フレイヤを誘拐する際に雇ったゴロツキのうち一人が、報酬として渡された酒に混ぜられていた毒で死亡している。


 そして、フローレンスが危惧した通り、王太子妃候補決めの過程にもその力が及んでいた可能性は非常に高かった。


 アーデン侯爵家に婚約の話が伝わった時、打診というよりは確定事項としての通達のようであったこと、通達に関与したのが宰相一派の者であったことから、ほぼ確実と言ってもいいほどに。


 権力を強め専横せんおうに走ろうとしている宰相を排除したいオウェインと、婚約が決まってしまったものの、どうにか解消に持ち込みたいフローレンス。


 しかし、王族との婚約解消は、いくら王室が庇ったところで大きな瑕疵かしとなる。

 厄介な状況に頭を抱えつつ、フローレンスはふと呟いたのだ。


『わたくしが死んだことにでもして、その罪を宰相のものとすればいいのではありませんか?』


 死んだことにし、名前を変えて国外で学問の道を進みたいという、ほぼ実現不可能とわかった上でのフローレンスの投げやりな発言だったが、それはありだなとオウェインが頷き、計画が始まった。


 ただ、死んだことにしても、フローレンスは顔が知られているので事が露見する可能性が高く、その他の懸念も大きい。

 そこでオウェインは、どうにか正攻法で宰相を排除する道を探りつつ、どうしても駄目だった場合には、『宰相がフローレンスに毒を盛った』ことにしようと決意したのだ。


 オウェインが調査に乗り出してからの二年弱で数回宰相の悪事の証拠を掴みかけたが、あと半歩というところで手のひらをすり抜けていく。

 これでは埒が明かないと最終手段の決行に踏み切り、ギデオンを取り込むと同時に公爵家に何人か送り込み、準備を整えるのに約一年。


 フローレンス毒殺未遂という、宰相にとって寝耳に水の架空事件を作り出し、送り込んだ者たちにでっちあげの証拠を仕込ませて断罪に至ったのだ。


 オウェインがここまで手段を選ばないとは思わなかったのか、とことんまで追い詰められた宰相がやけくそでフレイヤに手を出そうとしたのは予想外だったが、それ以外は概ね計画通り。


 フローレンスは被害者として同情を集めつつ婚約を解消することに成功し、オウェインは宰相一派を排除、ソフィアとの結婚までの道のりも順調に進んでいる。


「……わたくしはあと二ヶ月ほど“療養”したのち、国外に出ます」

「例の医学博士と結婚するのか」

「ええ。毒を盛られた私の治療をしてくれた彼と、療養生活の中で自然と想い合うようになったということで」


 フローレンスには想い人がいた。彼は、アーデン侯爵家の私学で知り合った、隣国の年若き天才だ。

 一人で医学を大きく進歩させているような人物で、フローレンスは得意とする薬学で彼とともに研究をしつつ暮らしたいと願っていた。


「わたくしはこの国の権力争いなどに微塵も興味はありません。保険として、わたくしの身に何かあれば、ソフィア様に“真実”が伝わるようにしてありますから、どうか妙な気は起こさないでくださいませ」


 フローレンスの言葉を聞いたオウェインは、不本意だというように片眉を上げた。


「私は随分と信用がないな」

「殿下を信用していないわけではありませんが……事が事ですので。念のための保険ですわ」

「気持ちは理解できるが、杞憂だと改めて言っておこう。私は国のために汚れ役になる覚悟は決めているが、不都合な人間を誰彼かまわず始末していては、奴と変わらなくなってしまうだろう」

「……ええ、そうですね。殿下のそういったところを、わたくしはとても尊敬しております」

「それは光栄だ」


 二人は静かに見つめ合い、やがてどちらからともなく微笑んだ。


「この度はご婚約おめでとうございます。それでは、ごきげんよう」

「ああ。達者で過ごせよ」


 ──密やかな再会は、こうして幕を下ろした。


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