終章

終幕《表》1


 それから数日後。


 すっかり足の痛みが引いた頃合いで、王城からお呼びがかかり、フレイヤはローガンとともに登城することになった。


 なお、フレイヤはもう傷は完治したと言っていいのではないかと思っているのだが──ローガンは「これは完治──いや、甘えるな。まだ薄く痕が残っている……」などと言って、まだ“けじめ”は続行中だ。

 フレイヤの方も、好きだからこそかえって踏ん切りがつかない気もして現状にほっとしている部分もあるのだが、もっと深く触れたいという思いもあるので複雑なところ。


 ともかく、夫婦仲は初々しくもようやく正常な形となり、2人は穏やかに幸せな休暇を過ごしている。


 ──さて、王城の応接室に通されてしばらく。


「……フレイヤ!」


 結婚後初めて対面するソフィアは、入室するなりフレイヤを強く抱きしめた。


「心配したんだから……」

「……ごめんなさい、お姉様」


 しばらくしてフレイヤを離したソフィアは、向かい側のソファに腰掛ける。


「あとでオウェイン殿下もいらっしゃるわ。それまでは私も、フレイヤとアデルブライト卿の誤解を解くお手伝いをするように、ですって」


 王城の侍女たちが紅茶を淹れ終えたところで、ソフィアは彼女たちに合図をして下がらせる。


「それで……何から話しましょうか。よくよく考えてみたら、フレイヤとじっくり話したことってあまりないような気がして……なんだか気恥ずかしいわね」

「はい……」


 フレイヤは、姉とは二歳違いで、弟のルパートは年子だ。

 嗜好の違いもあり、正直なところソフィアよりルパートと過ごした時間の方が断然長く、ローガンの件もあって少し距離を置いていた節すらある。

 話題に悩み、誤解に関するものならばと思いついたのは一つだ。


「お姉様とローガン様は、いつも何をお話されていたのか伺っても構いませんか?」

「ええ、もちろんよ。話していたのは……」


 ソフィアの言葉は尻すぼみになり、フレイヤへ答える前に、ローガンに尋ねる。


「誤解があったのなら、もう少し具体的に言っても構わないかしら?」

「……構いません」


 渋い顔でローガンが頷くと、ソフィアは可笑しそうに笑った。


「たいていは、あなたの話よ。フレイヤ」

「えっ……!?」

「彼があなたに避けられて落ち込んでいたようだから、私が知る限りでのフレイヤの話をしていたの」

「そう、だったのですか……?」

「ええ。気になるなら花束でも持って話しかけに行けばいいじゃないって、何度もそそのかしていたのよ? けれど、私から見ても、あなたは彼を視界にも入れないようにしていたから……『好きでもない男に花をもらっても迷惑だろう』と言う彼を無理に後押しすることもできなくて」


 恋心を自覚し、あまり間を置かずして散ったと思い込んでいたので、フレイヤはローガンのみならず、家族や姉に想いを悟られないようにと徹底していた。

 臆病な自分がすれ違いの元凶に思えて少し凹むが、あのローガンの照れたような表情が自分に関わるものだったとわかっただけで、気分がふわふわしてくる。


「フレイヤは小さい頃、彼にべったりだったでしょう? だから根本的には嫌いではないだろうとは思っていたけれど、あなたの意に反した結婚になっているんじゃないかと心配ではあったから……幸せそうで本当によかった」


 優しい笑みを浮かべるソフィアに、フレイヤも「ありがとうございます、お姉様」と微笑んだ。


 その後、先日の夜会のように簡素な格好をした王太子が入室する。

 フレイヤは王太子について詳しく知らないが、彼はあまり堅苦しいのを好まないのかもしれない。


「休暇中に呼び出して悪いな、ローガン」

「いいえ。フレイヤにも知っておいてもらった方が、誤解がありませんので。ご機会をいただけて感謝しております」

「ああ」


 鷹揚に頷いた王太子は、ソフィアの隣に腰掛けると、フレイヤを面白そうに眺める。


「フレイヤ夫人」

「はい」

「ローガンから報告を受けたが、フローレンス侯爵令嬢の件について調べていたそうだな」

「……ええ」


 夜会の翌日、フレイヤはこれまでの行動とその裏にあった思考について、ローガンに洗いざらい話した。


 ローガンは『フレイヤの行動力を甘く見ていた……それでナイフまで持っていたのか』と頭を抱え、もう危ないことはしないように、何かあったら自分を頼るようにとそれはもう熱心に言い聞かせたのだ。


 離縁目的で半ば暴走していたことをからかわれないことから、王太子にその辺りのフレイヤの思考までは報告していないらしい。


「……さてと。これから君に話すことは、この件に関わったごく一部の人間しか知らない機密情報だ。そのことは心得ておいてくれ」

「かしこまりました、殿下」

「どこから話すか……まずは、私の婚約についてだな。アーデン侯爵家のフローレンス嬢と婚約が決まったが、実のところ、彼女はそれをまったく望んでいなかった」

「……!」


 最初から驚きの情報に、フレイヤは目を見開いた。


「フローレンス嬢は、歴代アーデン侯爵家子女の中でも屈指の才を持っている。もちろん、王太子妃として文句の付け所もないが、彼女は学問の道を進むことを望んでいたんだ。私には嫌がる女性と結婚する趣味はないから、次の候補を探そうとしたが……そこで彼女から気になる話を聞いた。彼女が婚約者として選ばれた過程に、疑問があると。──ここまでで、何か質問は?」

「……殿下とフローレンス様のご婚約は、お二人とも特に希望されたわけではなかったのでしょうか」

「そうだな。父から、婚約者としてフローレンス嬢はどうかと尋ねられ、アーデン家であれば野心もなく、彼女自身の才覚も十分で問題はないだろうと受諾した」


 王族の結婚、それも将来国王となる王太子のものとなると考慮するべき点が多くて、恋だの愛だのより能力や生家の方が重要そうだ。


 王太子がフローレンスとの婚約に至った経緯は、随分と事務的なものだった。


「だが、フローレンス嬢は、彼女が筆頭候補になったのは作為的かもしれないと言う。その時点で証拠はなかったが、確かに可能性はあった。公爵家にも年が近く素養も十分な令嬢がいたが……その令嬢は途中で他国の王族からの縁談が舞い込み、私の婚約者候補からは外れたからだ」


 ほんの数年前のことなので、フレイヤもその件を記憶していた。

 建国から続く由緒正しき公爵家の令嬢が、近隣友好国の第三王子と結婚し、両国でそれなりに話題になっていたはずだ。


「私が真っ先に怪しんだのは、宰相のフォンティーヌ公爵だ。奴はそうとは悟られぬように、長年かけて少しずつ宰相の権限を強化していた。それに、あそこには三代続けて男子しかいない。そんな中で他の公爵家が王太子妃を輩出すれば、己の権力が相対的に弱まることを危惧したのではないかとな。加えて、他国の王族とも太い繋がりを持っていたから、かの縁談に関与したとしてもおかしくはない」


 王太子の話はおおむね納得できるのだが、フレイヤは同時に疑問も抱いて、微かに首をかしげた。


「腑に落ちぬという顔だな?」

「いえ……そこまでのお話に疑問はありません。しかし、フローレンス様を王太子妃にしようとしたのが宰相であれば、その彼女に毒を盛ったのは一体なぜかと思いまして」

「それは……言ってしまえば、私の方から奴が動くように仕掛けたからだな」

「えっ!」


 今度こそフレイヤは驚きの声をあげた。


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