「ヒッ……」

「フレイヤをどこにやったか答えろ。フレイヤを傷つけたならば、貴様の両手両足の指を先端から少しずつ刻んでやる。サムエル・フォンティーヌ。貴様もだ」

「や、やめろ……!」

「気絶しても何度でも叩き起こして、歯も一本一本抜いてやろう。それから貴様らの目玉を抉り出しても、フレイヤを傷つけた代償にはまだ足りない。……とっとと答えろ。フレイヤはどこだ」


 フレイヤの側からローガンの表情は見えないが、さぞかし恐ろしい目をしているのだろう。

 薄いガラスはあまり室内の音を遮ってくれず、声がはっきり聞こえるために、フレイヤまで「これは本気だわ」と背筋を凍らせた。間近で睨まれている二人は、命の危険すら感じていそうだ。


 海千山千の公爵はそれでも口を閉ざしたままだったが、サムエルの方は早々に音を上げた。


「ほ、本当に知らないんだ! あの女を縛ってそこに転がしておいただけで、いつの間にかいなくなっていて──」

「……言い遺すことは、それだけか?」


 怒りを通り越したのか、感情が丸ごと削がれたような無機質な声だった。

 フレイヤまで硬直しつつ、頭の片隅でぼんやりと思う。


(“氷の獅子”なんて二つ名がまだ生ぬるく思えてきたわ……。“氷の処刑人”という感じではなくて……?)


 すっかり存在を主張するタイミングを逃し、木の枝の上で立ち尽くすフレイヤ。

 その時、ふと窓の外へ視線を向けたジンと目が合い──彼の口がぽかんと開いた。


「あ、あの……ローガン様。そ、外に……」

「黙れ、ジン。フレイヤの居場所を聞き出すのが先だ」

「ヒィッ! お願いしますから窓の外を見てください!!」


 飛び退ってローガンとの距離をあけつつ、ジンはフレイヤがいる方を指差した。

 射殺しそうな目が、暗闇の中木の枝に立つフレイヤを見つけた途端、大きく見開かれる。


「フレイヤ!!」


 剣をジンへと押し付けると、ローガンは一目散にバルコニーへと駆けた。


「ローガン様……!」


 考えるより先に、フレイヤも駆け出していた。


「フレイヤ!」


 先ほど飛び移る時はものすごく怖かったのに、今回はただローガンに引き寄せられるようにして、フレイヤはバルコニーへ向かって躊躇いなく跳躍した。

 ぎょっとしたローガンが慌てて手を伸ばし、フレイヤをしっかりと抱きとめる。


「無茶をするな! 落ちたらどうする!」

「ご、ごめんなさい……」

「いや、怒鳴ってすまない。それより、大丈夫か!? 怪我はどこだ? すぐに医者を呼ぶ!」

「はい、あの……大した怪我ではないので……」

「傷を見せてくれ」


 手を差し出すと、再びローガンの瞳に青白い炎が宿る。


「……刻む」

「ま、待ってくださいローガン様! これはちょうどナイフを隠し持っていたので、自力で逃げようとして縄を切った時にうっかり少しだけ失敗してしまっただけで……」


 いくら自分を攫った犯人とはいえ、目の前で指先から刻むのは遠慮願いたい。

 フレイヤが慌てて弁明のような言葉を連ねると、ローガンの剣を持ってバルコニーに出てきていたジンが「いや、なんで奥様、ナイフ隠し持ってて木の上にいたんすかね……」と遠い目をした。


 フレイヤは気恥ずかしくなり俯く。


「すみません。ローガン様が助けに来てくださるなら、大人しくしておくべきでした。かえってご心配をおかけして申し訳ありません」

「フレイヤが謝ることは何一つない。フレイヤを一人にした俺の落ち度だ。怖い思いをさせて……危険に巻き込んで、本当にすまなかった」


 ぎゅっとフレイヤを抱きしめるローガンの腕は、微かに震えていた。


「……すまない。みっともないな」

「そんなことはありません」


 それほどまでにフレイヤの身を案じてくれていたのだと思うと、猛烈に愛しさがこみ上げてくる。

 フレイヤも震える手で、ローガンを強く抱きしめ返した。


 お互いの微かな震えが収まってきたところで、ローガンはフレイヤを横抱きにして、室内へと戻ろうとする。


「あの、ローガン様……! 歩けますので、下ろしてくださいませ」

「靴がないし、足も怪我しているだろう」


 足の怪我にも気づかれていたのかと、フレイヤは言葉に詰まった。

 硬い樹皮によって、少しではあるが確かに足の裏が切れてしまったのだ。


「……靴は取り上げられたのか?」

「いえ。枝に飛び移る時に邪魔ですし、逃げる時に必要かと思って、バルコニーから下へ投げてしまいました」

「……ジン、取ってこい」

「はい!」


「ジンさんは犬ではないのですから」と言いかけるが、自分が何か言うと逆効果になりそうな気がして、フレイヤは口を閉ざした。


 フレイヤを横抱きにしたままのローガンが室内へ戻るのとほぼ同時に、廊下側から足音が聞こえてくる。

 現れた人物の姿を見て、フレイヤは驚きに目をみはった。


「皆、ご苦労だった」

「はっ!」


(お、王太子殿下……!?)


 艶やかな銀髪に、青みがかった灰色の瞳、細身の引き締まった体躯。

 パンツにシャツ、ベストという簡素な出で立ちでも不思議と威厳があるのは、王族なればこそだろうか。


 ローガンはフレイヤを抱えたままで礼をするので、フレイヤは生きた心地がせずに彼の胸を軽く叩いて下ろすようにと無言の訴えをする。


 しかし──。


「そのままでいい」


 堪えきれない笑い混じりで王太子に言われ、フレイヤは羞恥心に両手で顔を覆って沈黙した。

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