(サムエルって……まさか、サムエル・フォンティーヌ!? 犯人は、宰相とその息子たちだというの……? いえ、でも、ギデオン様は反対しているみたいだし一枚岩ではなさそうだわ。それに、“あちらが破滅させようとしている”というのはどういうこと……?)


 次々と疑問が湧いてくるが、予想していた通りで、フレイヤが人質として使われる予定だということははっきりした。


(交渉相手は……王族かレイヴァーン伯爵家か、アデルブライト伯爵家よね。一番可能性が高いのは王太子殿下かしら……なんて、考えている場合ではないわね。それより脱出の方が優先よ。とにかく、ここを離れないと)


 フレイヤを運んできた二人組がこの建物を出たのは物音からしてほぼ間違いない。ただ、廊下側に見張りがいないとは限らないし、物音に気づかれる可能性も高いので却下だ。


 残る脱出経路は窓しかない。


 隣室では、反対していたギデオンとおぼしき若い男性が、弟のサムエルと公爵によって拘束されているのだろうか、「おい、やめろ! 離せ!」など、抵抗する声や激しい物音が聞こえてくる。


(……! 今なら窓を開けても気づかれない……!)


 多少の物音を立ててもかき消える、絶好の機会だ。そう判断したフレイヤは、バルコニーへ続く窓を開けた。そして、逃走経路に気づかれるまでの時間を少しでも稼ごうと、元通りにきっちり閉め直す。


(思っていたより高いわね……)


 夜の少しひんやりとした風が、フレイヤの頬を撫でた。


 下は芝生だが、二階とはいえ結構な高さがあるので、飛び降りたら最悪の場合足が折れるかもしれない。

 飛び降りる決心がつかず、バルコニーの手すりを握りしめ──フレイヤは、目の前にあるものに目を留めた。


(この木の枝に飛び移って、木の幹伝いに降りるというのは……?)


 大きく立派な木は、枝が建物に触れそうになったのか、途中で切り落とされている。


 しかしそのことによって、飛び移れないこともない距離にある枝はしっかりと太く、フレイヤ一人くらいの体重なら受け止めてくれそうだ。


 位置はバルコニーと同じくらいの高さで、距離は目一杯脚を伸ばせば届くほど。

 ドレスで動きにくいのが難点だが、フレイヤなら飛び移るのは不可能ではない──と信じたい。


(もし上手く飛び移れなくても、手が引っかるとかして勢いを殺せたら、足も無事に済む確率が上がるはずよ……たぶん。ええ)


 手が震えるが、怯えている間にも、フォンティーヌ公爵とサムエルがフレイヤの逃走に気づくかもしれない。

 気づかれたら最後、より厳重に拘束されてナイフも取り上げられ、二度と逃げ出すことはできなくなるだろう。


(やるしか、ない……!)


 大きく深呼吸したフレイヤは、靴を脱いで芝生の上へと放り投げた。

 少し踵が上がった華奢な靴を履いているよりは、裸足の方がまだ安定するはずだ。


 バルコニーの手すりによじ登り、震える手を強く握りしめる。

 何度か軽く膝を曲げて緊張を誤魔化し、両手を大きく振って勢いをつける。


「三、二、一──!」


 囁くような小声で数え下ろすことで踏ん切りをつけ、フレイヤは跳躍した。


「ひっ……!」


 木の枝に足が届き、勢いのまま幹の方へと数歩駆けるように進む。

 太い幹に抱きつくようにして掴まり、フレイヤは浅く速い呼吸を繰り返した。


「た、助かった……?」


 エヴァが聞いていたら「地面に降りるまでが脱出です」と言うかもしれない。

 そんなことを思いつつ、地面に降りる道筋を考えていた時──先ほど脱出したばかりの部屋の方がにわかに騒がしくなる。


(もう気づかれた……!?)


 慌てて木から降りようとするが、それより先に「フレイヤ!!」と大声が響いた。


「ローガン、様……?」


 フレイヤの口から、そよ風にすらかき消されそうな、微かな声が漏れる。

 今の声は、間違いなく──。


「……フレイヤ! どこだ!!」


 ダン!と勢いよく扉が蹴破られ、ローガンを先頭に、ジンやその他騎士団員が室内に雪崩込んだ。

 フレイヤはよろよろと、少しでもローガンに近づこうと、枝の先の方へ足を進める。


 しかし、団員が手にしているランタンの灯りに照らされた室内からは、暗い外の様子は見えづらいらしく、ローガンはじめ騎士たちがこちらに気づく様子はない。

 その間に、隣室にいたフォンティーヌ公爵と次男のサムエルが捕らえられたようで、騎士たちによってローガンの前へと連れてこられた。


「離せ、無礼者!」

「父と私を誰だと思っている! 貴様ら全員ただで済むと思うなよ!」

「…………」


 ローガンは、先ほどまでの勢いが嘘のように沈黙し、ソファの上を凝視していた。

 やがて身をかがめ、布と縄の切れ端──先ほどまでフレイヤを拘束していたものの残骸を手に取り、握りしめる。


 顔を上げた彼の姿を見て、フレイヤは身を竦めそうになった。


 ──ローガンは、とてつもなく激怒していた。


 これまでフレイヤが見た険しい顔なんて比ではない。

 眼光だけで人を殺せるのではと思うくらいに冷たく、それでいて高温の青い炎を思わせるような瞳で、ローガンは公爵を睨みつけた。


「──フレイヤに、何をした」

「……っ!」


 喚き散らしていたフォンティーヌ公爵もサムエルも、おののいたように口を閉ざす。


 が、腐っても公爵にして宰相。

 すぐに表情を取り繕い、「なんのことやら」とせせら笑った。


「ベリシアン王国宰相の大役をあずかる私を罪人のように捕らえるなど、貴様は気狂いでも起こしたのか?」


 フレイヤがいないのをいいことに、フォンティーヌ公爵は知らぬ存ぜぬを通すつもりのようだ。

「私はここにいます! その人たちに誘拐されました!」と木の上から叫ぶのはあまりにも間抜けに思えて、フレイヤはどうしたらいいのかわからないまま室内の様子を見守る。


「黙れ」

「……!」


 冷たく言い放ったローガンは、目にも留まらぬ早業で抜剣し、抜身のやいばを公爵の首筋にぴたりと当てた。


「この縄と、血のついた布はなんだ」

「わ、私は何も──」


 しらばっくれる(血については本当に知る由がないのだが)公爵だったが、言い終える前に刃が首筋に食い込み、「やめろ!」と叫ぶ。


 一度剣を引いたローガンは、その切っ先を眼球すれすれのところに突きつけた。


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