幸いにして手は後ろではなく前で縛られているので、物音を立てないようにそーっと、さり気なく、目隠しを少しずらしてみる。

 

 フレイヤがいるのは、物置のような狭い一室だった。見える範囲では、人影はない。

 慎重に寝返りを打って反対側も見てみるが、見張りなどの姿はなく、ようやく少しだけほっとすることができる。


 少し埃っぽい部屋には、二人組の男が退出したものとは別に、続き間へ繋がっているであろうもう一つのドアがあった。

 隙間からは少し灯りが漏れている。よくよく思い返してみると、貴族らしき男が出てく物音がしたのは続き間の方だったので、そこにいるのだと思われる。


 声を上げたり物音を立てたりすればすぐにやってくるだろうし、薬が切れる頃合いで様子を見に来る可能性もある。脱出は急がなくてはならない。


 フレイヤは深呼吸をして、まずは目隠しを取り払った。両手は身体の前できつく縛られているが、配慮は一応あったのか、厚手のハンカチを巻いた上からなので傷にはなってない。

 それでも、容赦ない拘束によって血流が滞っているのか、指先が少し痺れていた。


(手の拘束さえ解ければ……!)


 フレイヤはそっと上体を起こし、長椅子に腰掛けた状態になる。ドレスの裾を捲って、右足の腿に括り付けてある小型のナイフを外した。


(ええっと……手で持ったままじゃ、手を縛っている縄は切れないから……膝の間にナイフの柄を挟んで頑張って固定して、スパッとやってしまいましょう)


 はしたなさなど、命の危機の前では塵芥ちりあくた以下の些事さじである。

 フレイヤはなるべくしっかりナイフを固定できるようにドレスの裾をたくし上げた。鞘を払い、手首を縛っている縄へとナイフの刃を当てる。


 勢い余って自分まで切らないよう、慎重に少しずつ縄を切り始めた時──隣室から、ダン!と何かを叩くような音が聞こえ、フレイヤは硬直した。


「一体何をお考えなのですか、父上!」

「おい、あの娘が起きたらどうする。声を落とせ」


 先程二人組へ指示を出していた男とは違う声と、老齢の男性の声だ。同室内に見張りはいないものの、隣室に三人もいるという事実が、緊張感を高める。

 フレイヤは多少怪我をしても構わないと思い直し、縄を切る速度を早めた。


 “父上”と呼ばれた男性に注意されたことを受けていくらか声は潜められたが、怒気を含んだ強い口調のためか、その間にも続く会話が隣室からはっきりと聞こえてくる。


「王太子妃殿下となられる方の妹君を攫うなど、正気の沙汰ではありません……!」

「いいや、私はこの上なく正気で、状況を正しく認識している。あちらが手段を選ばず私を破滅させようとしているのだ。正攻法ではなんともならん」

「しかし……!」

「しかしではない! あちらが汚い手を使ったのだ。こちらも多少の汚い手を使って交渉に持ち込むしか、もはや道はない!」

「……っ、元はと言えば父上が──」

「黙れ!」


 パシャリと水音が響いた。


 それとほぼ同時にフレイヤの手の拘束は解けるが、ナイフの刃が親指の付け根あたりをかすめて血が滲み、ぐっと奥歯を噛みしめる。

 幸いにして傷は浅く、緩衝用として使われていた厚手のハンカチで押さえていると、すぐに出血は止まった。

 

(横の修羅場に気を取られて油断していたわ……。猿轡をされていて助かったわね)


 自由になった手で、その猿轡も、足を縛っていた縄も取り払う。脱出経路を模索しつつも、フレイヤは引き続き隣室の会話に耳を澄ませた。


「この出来損ないめが……!」


 吐き捨てるように言う年配の男性の声。

 会話からして父親なのだろうが、ごく真っ当な諫言かんげんをしている息子に対してこの言い様とは穏やかでない。


 と、そこに第三の声が加わった。


「父上、やはりこいつに知らせるべきではなかったのですよ。邪魔にしかならないようですし、こいつも縛って転がしておいてはいかがですか?」

「サムエル……!」


 水か何かを掛けられてから沈黙していた若い男性が、苦味を含んだ声で呟いた。

 そこでフレイヤは、ようやく三人の正体を悟ってはっとする。


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