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「それから」
父はフレイヤに目線で合図をすると、少し身を乗り出して声を潜める。
「……アーデン侯爵令嬢のことについては、そのうちに
(あれだけ噂になってしまっているし、王家かアーデン侯爵家から、公式に何か発表するのね。でも、混乱って……? もしかして、もう犯人の目星がついているのかしら。犯人がいるとしたら貴族でしょうし、混乱は必至よね)
「ローガン君も忙しくなるだろうから、お前は勝手に抜け出して街歩きなどをしないように」
「は……はい」
既に抜け出した実績があるので、フレイヤは少し目を泳がせつつ頷いた。
円満離縁計画も王都開業計画も一旦止めた方がいいのは間違いないので、父の忠告通り、しばらくは別邸で大人しく過ごしているのがいいだろう。
「それより……そちらはどうだ。仲良くやっているか?」
「ええ……大丈夫です」
仲良くかと言われるととても微妙なところだが、何か行き違いが生じている可能性もわずかに見えてきたため、今後にまったく希望がないわけでもない。
フレイヤは、若干ぎこちなくなってしまったが、微笑んで答えた。
父伯爵は少し目を
「落ち着いたら遠乗りでもして、二人の時間を作るといい。お前は外に出た方が落ち着くし、生き生きできるだろう?」
「ええ……」
夫婦仲が絶好調というわけでないことはあっさり見透かされたが、政略結婚としてはかなりいい縁の分類なので、そこまで心配はしていないのだろう。
父の的確な助言を受けて、フレイヤは神妙に頷いた。
結婚以来となる親子の対面を終えたフレイヤのもとへやって来たのは、以前ララを届けてくれたジンという騎士だった。
彼によってもたらされたのは、王太子とともにローガンが王城を出ているという残念な情報で、フレイヤは密かに肩を落とす。
「ファビアーニ様。夫に伝言をお願いしてもよろしいでしょうか」
「はっ!」
「夜会の日には一度お帰りになり、共に出発できるようにしてくださいませ、とお伝えください」
「かしこまりました!」
今回はすれ違ってしまったが、フレイヤが王城に来て、ローガンの秘書官に直接伝言を頼んだのだ。『夜会前に絶対に帰ってきてください』と、最上級に圧を込めた思いは伝わるだろう。
フレイヤはローガンに『逃げられると思うなよ』と言われたことを思い出し、いつしかフレイヤの方が追いかけ捕まえようとしていることに気づいて、なんだかおかしくなるのだった。
はたして、ローガンはきちんと夜会までに帰ってくるのか。
はらはらとしながら、フレイヤはさらに二日、一人で別邸で過ごすことになった。
三日後の夜会当日も朝から気が気でなかったが、午前中に『夕方には屋敷へ戻る』とローガンから連絡があり、ひとまずほっとする。
──そうして迎えた夕方。
侍女たちがフレイヤの髪を整え終わり、ドレスの着付けに入ったあたりで、ローガンが帰宅したとの一報が入る。
「これから旦那様も身支度でしたら、ちょうどいい時間になりますね」
マーサの言った通り、フレイヤの身支度が終わる頃に、ローガンの出発の準備が整ったと家令から伝えられた。
玄関に向かえば確実にローガンと対面できるのだとようやく実感が湧いてきて、フレイヤは落ち着かない気持ちになる。
(合間にいろいろあって衝撃が薄れていたけれど……よくよく考えたら、あの口づけのあと初めて顔を合わせるのよね)
頬が熱を持ちそうになり、フレイヤは慌ててあの夜のことを頭から振り払った。
「これでよいでしょう! さあ、奥様。参りましょう」
「ええ……」
マーサとともに向かった玄関広間では、濃紺の騎士服を着たローガンが待っていた。
今日のフレイヤの装いは、ごく淡い紫色のドレスだ。
ベリシアン王国では、既婚女性は首から胸元にかけてやや大きく開いた意匠のドレスをまとえるのだが、フレイヤの胸元には先日ローガンに付けられた口づけの痕が残っている。そのため、襟元が詰まったものを選んだ。
フレイヤはまだ年若く、結婚したばかりなので、未婚女性のような初々しさを感じさせる意匠のドレスでも違和感を覚えられることはないだろう。
なお、先日ローガンから贈られた髪飾りを使おうかと一瞬考えたものの、控えめで夜会には物足りないため見送った。代わりに、耳飾りは雫型をした薄青色の宝石があしらわれたものを選んでいる。
「……フレイヤ」
手を差し出してくるローガンに、睨むような眼光の鋭さはない。それは大変結構なことなのだが、フレイヤは彼がどことなく沈んでいるように思えて気になった。
先日の
(積もる話を馬車の中で済ませたいわ)
そう思いつつ、フレイヤはローガンの腕に手を添えた。
「では、行ってくる」
「行ってらっしゃいませ」
家令と侍女たちに見送られ、二人は馬車に乗り込んだ。
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