フレイヤは、驚きの声をすんでのところでこらえた。


 陞爵というのは、階級が上がることだ。陞爵の理由として最も多いのは、何かしら大きな功績をあげて国や王家へ貢献したというものだろう。


(レイヴァーン伯爵家は領地経営も堅実だし、お父様は局長として立派に勤められているけれど……侯爵家に上がるほどの明らかに大きな功績かと言われると……うーん……? どちらかというと、ソフィアお姉様の箔付けの意味合いが強いのかしら? でも、そのために陞爵はやりすぎな気もするわ。考えられるとしたら……王家はアーデン侯爵家を排除した何者かがいると確信していて、レイヴァーン伯爵家に干渉しづらいように立場を上げる必要があると考えられたとかかしら)


「けど、陞爵には反対の声も出るだろうな。派閥の勢力図にも影響が出るからさ」

「オビエス公爵が後ろ盾になるからには、内心はどうあれ、表立って反発する家はないんじゃないか? 多少苦言を呈するとすれば、フォンティーヌ公爵くらいかな」

「ああ……ありえるな。あそこはあんまり関係がよくないらしいし」

「やれやれ……しばらくはあちこちの動向に注意しとかないとだな。ゴタゴタに巻き込まれないためにも」

「そうだな」


 彼らの話は再び、たわいない世間話へと移り変わっていく。フレイヤは父との約束までまだ時間があることを確認してから、今聞いた話について考えを巡らせた。


 オビエス公爵というのは、フレイヤの父であるレイヴァーン伯爵の上長にあたる法務大臣だ。

 公明正大な人物として知られており、父との関係も良好だと耳にしている。レイヴァーン伯爵家は、派閥的にはオビエス派に属していると言えるかもしれない。


 もっとも、当の公爵が勢力を広げて幅を利かせるような人物ではなさそうなので、『派閥』と表現するのが妥当かは悩みどころである。


 フォンティーヌ公爵家は、度々宰相を輩出している、ベリシアン王国屈指の名家だ。現公爵も宰相の地位についてから長く、他の公爵家とは一線を画するほどの影響力を持っている。

 フレイヤが関われるような相手ではないので、あまり詳しくは知らない。


 オビエス公爵との関係が微妙だというのも初耳だが、下級官吏たちの話しぶりからすると、王城務めの間ではごく一般的な認識なのだろうか。


(フローレンス様ではなく、ソフィアお姉様が王太子妃になった方が都合がいい人物として考えると、オビエス公爵が当てはまるかもしれないわ。お父様の上長なのだし、公爵で大臣だもの。伯爵家ではなかなか太刀打ちできないわ。だけど……お父様の話でも社交界の評判でも、毒を盛るなんて非道で悪辣なことをするような方だとは到底思えない。フォンティーヌ公爵は今でさえ十分すぎるほどの力を持っているのだから、わざわざ危険を冒してそんなことをする理由がないわよね。……ユーリも言っていたけれど、本当の狙いは王太子殿下だったという可能性も十分にあるわ)


 王太子が狙いだった場合、話はもっと単純かもしれない。


 王太子に何かしらまずい情報を握られたとか、他の王位継承者を王太子にしたいとかで排除しようとしたところ、一緒にいたフローレンスがその毒を食らってしまった──という線だ。


 ただ、この場合は、フローレンスと婚約を解消する必要性が薄い。

 メイマイヤー子爵令嬢が書店で目撃したのは、フローレンスその人である可能性が高いとフレイヤは思っている。ユーリの情報からも、彼女は既に回復していると見ていいだろう。

 狙いが彼女ではなく、回復したにも関わらず婚約を解消し、ローガンと婚約済みだったソフィアを召し上げるのは不可解だ。


 そうせざるを得ない理由があるとしたら……と考えて、フレイヤはハッとする。


(フローレンス様は、一見回復したように見えても、後遺症が残ってしまったのかしら。たとえば……子を成せない可能性があると診断されたのなら、婚約解消せざるを得なかったというのも納得できるわ)


 フレイヤは暗澹あんたんたる気持ちになり俯いた。


「お嬢様、そろそろ参りましょう」

「ええ……」


 エヴァに促され、人目につかないようそっと小庭園を出る。

 歩きながら深く息を吐いて、フレイヤは心を落ち着けようと試みた。


(すべては憶測にすぎないし、考え過ぎは駄目よね。ユーリが言っていたように、フローレンス様は再び毒を盛られることを危惧して王太子殿下の婚約者の座を降りたのかもしれない。狙いがどちらだったにしても、フローレンス様に実害が出ている以上王家も無理に慰留いりゅうはできないから、後遺症がなくとも婚約解消に至っても不思議ではないもの。こちらの問題はややこしすぎるし、私がどうにかできる範疇のものではないから、一旦諦めた方がいいかしら……。今日はお父様に探りを入れて、ソフィアお姉様が安全なのかどうかだけでももう少し確証を得たいわ)


 考え事をしながら歩いているうちに、法務局の執務区域に差し掛かる。


 二つある局長室のうち、レイヴァーン伯爵に割り当てられている方の扉をエヴァがノックして、来訪を告げた。


 補佐官が応対をしてくれて、フレイヤたちは応接室へと通される。ソファに座るより前に、執務室から父・レイヴァーン伯爵がやって来て、二人は婚礼の日以来初めて顔を合わせた。


「お父様、本日は急遽お時間をいただきありがとうございます」

「驚いたが、お前から会いに来てくれて嬉しく思うよ。さあ、座りなさい」


 使用人がてきぱきとお茶の準備を整えてゆく。親子の前にカップが置かれたところで、フレイヤは人払いを願い出た。

 父は、フレイヤが王城までやって来た時点で何かを察していたのか、訝しがるでもなく理由を聞くでもなく、すんなりとそれに応じる。


 二人きりになったところで、フレイヤは単刀直入に切り出した。


「……お父様は、どこまでご存知なのでしょうか」

「……ほう?」


 柔和な顔はそのままに、父は少し目を細める。やはり何かしらを知っているのは間違いなさそうだ。

 そして、どこか面白がるような雰囲気を感じ、それを隠さないあたり、掴んでいる情報をある程度は明かしてもらえるのではないかとフレイヤの期待が高まった。


「なんのことかにもよる」

「まずは、フローレンス様のことについてです。お姉様の安全にも関わってきますから。……そうでしょう? それから、陞爵についても耳にしました」

「そうか」


 あっさりとした返事のあとに続いたのは「お前に話せることはない」というこれまたあっさりした言葉だった。


「そんな……!」

「不確かな話を無責任に話すことはできない。ただ、ソフィアのことならば心配はいらないだろう。何事にも絶対はないが、限りなく絶対に近づくよう、王太子殿下が手を尽くしてくださっている」

「……!」


 フローレンスと陞爵の件に関しては、情報が不確実な状態で不用意に話すことは立場上確かに難しいだろう。

 しかし、一番の懸念だったソフィアについては、意外にもはっきりとした答えをもらうことができた。


「そうですか……。それをお聞きできて安心いたしました」

「状況がわからず不安だったろう。滞りなく婚約式に漕ぎ着けられるよう、レイヴァーン伯爵家も尽力する。式には無論、アデルブライト家も招待されるから、ソフィアの晴れ舞台をフレイヤも見守ってやりなさい」

「はい、お父様」


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