10
帰宅後、早速フレイヤは家令のもとを訪ねた。
「ねぇ、どこかから招待状は届いてないかしら。できれば、大きい夜会がいいのだけれど」
「……夜会、でございますか……」
結婚から一ヶ月少々。
夜会にも茶会にも興味を示さず、招待状の有無なんて微塵も気にしていなかったフレイヤの突然の心変わりに、家令は珍しく驚いた様子だった。
しかしすぐに気を取り直して、手紙の束の中からいくつかを取り出す。
「大きな夜会ですと、このあたりでしょうか。しかし、旦那様はすべて辞退するようにと仰せでして……」
「ローガン様はお忙しいから行けなくても、私が少し顔を出すくらいなら構わないでしょう? 私も社交界で交友を広めないとと思っているの。大丈夫よ、ドレスも宝飾品も手持ちのもので十分だし、散財なんてしないわ」
「そういった心配はしておりませんが……」
結婚してから、フレイヤは大きな買い物などは一切していない。
それも当然家令は把握しているので、フレイヤの言葉に頷いた。
歯切れが悪いのは、夫人が一人で夜会に参加するのはやや珍しいからだろうか。
だが、パートナー必須の会でなければ思い切り浮くということもないので問題はないだろう。
「あら、これはよさそうね」
フレイヤが目を留めたのは、コネリー侯爵家が主催する夜会の招待状だった。
コネリー侯爵は、前侯爵が隠居して最近爵位を継いだばかり。
前侯爵が40歳近くになってできた待望の嫡男だったそうで、年齢はまだ20歳だったはずだ。
年若き侯爵、おまけに未婚で婚約者もおらず、見目麗しい貴公子だそうだから、今最も社交界で注目を浴びている人物の一人。夜会で見初められようと考えたご令嬢たちが多く集まることだろう。
(未婚の令嬢が集まるなら、父兄もエスコート役で多く参加するはずよ。それに、侯爵と繋がりを強化したい有力者も加わるでしょうから……情報収集にはこれ以上ないほどの最高の舞台だわ)
さらに好都合だったのは、招待状が返事を必要としないものだったことだ。
席につき、主催者が丁寧にもてなす小規模な茶会や晩餐会の場合には、事前に参加人数やそれぞれの好みを把握してもてなしに反映するため、どんなに遅くとも一週間前までには返答をする必要がある。当然、飛び入り参加はできない。
だが、大規模な夜会の場合は立食形式が多く、招待状を持っていればそれぞれの都合のいい時間に参加して帰るという気軽なものもあるのだ。
(開催は六日後……大して準備することもないから、問題ないわね)
若き侯爵を射止めんとするご令嬢たちなら、新しいドレスを仕立てたり、肌の調子を整えたりとさまざまに入念な準備をする必要があるだろうが、フレイヤの目的は情報だ。
ローガンの、一応はまだ妻として恥ずかしくない程度の装いができればそれでいい。
「コネリー侯爵家主催の夜会に参加するわ」
「……かしこまりました」
何か有力な情報を掴めたら、全てを解決する糸口になるかもしれない。
落ち着かない気持ちと期待を胸に、フレイヤは招待状を持って部屋へと戻った。
──その夜。
フレイヤはあれこれと考えを巡らせるのに忙しく、紙とペンを手にソファに座っていた。
(夜会はかなりの規模のはずだから、ただぼーっと参加するだけでは情報を得られないわ。ソフィアお姉様を王太子妃にすることで得をする人は誰なのか当たりをつけて、その人や関係深い人から探りを入れていかないと)
いくらじゃじゃ馬と言っても一通り教育は受けているので、高位貴族の名簿は頭の中に入っている。
(アーデン侯爵やフローレンス様には干渉しづらいなら……同格の侯爵家が怪しいかしら。でも、アーデン侯爵は知識人で、国外にも広い人脈を持っているというから、同格や上位の公爵家でも簡単には手を出せないわね。それに、侯爵は学者肌で、フローレンス様を介して王太子殿下に干渉しようという野心もなさそうだし……だからこそ、殿下もフローレンス様を王太子妃にと望まれたのかもしれないわ)
考えてみると、アーデン侯爵と父レイヴァーン伯爵は系統が似ているかもしれない。
権力欲がなく、知識人、文官としてそれぞれ地位を確立している。
王太子がフローレンスを婚約者としたことからして、黒幕は、残る未婚の令嬢の中ではソフィアが最有力候補になるだろうと踏んだのだろうか。
(違いといえば……一番は、階級ね)
アーデン侯爵家は私学を開設しており、貴族のみならず知識階級に広く強い影響力を持っている。
それに対し、フレイヤの父は高位文官──より細かく言うと、大臣を補佐する『局長』と呼ばれる官職の一人だ。
局長は十人で、その上が五人の大臣、そのまたさらに上が宰相、頂点が国王という構図になっている。
(国王陛下が王太子殿下の婚姻を毒なんかを使って阻むのはありえないわね。それ以外で、お父様に強く働きかけられるという観点で怪しいのは……大臣と宰相の六人かしら)
大臣や宰相は、全員伯爵以上の高位貴族だ。
それでも、コネリー侯爵主催の夜会には何人かは参加するだろうが……フレイヤのような小娘が情報を探るには、かなり分が悪い相手である。
「はぁ……少しでも近づけるかしら……」
壁は高く分厚い。
姉とローガン、想い合う二人を元あるべき関係に戻したいという意気込みはあっても、気合だけでどうにかなるものではない。
重苦しい溜息を吐いた時のことだった。
「……フレイヤ」
「ひゃっ!」
唐突に、地を這うような低い声が室内に響く。
俯いていたフレイヤが顔を上げると、寝室の入り口にローガンが佇んでいた。
「ロ、ローガン様……いつの間に……?」
「…………」
無言のまま大股で進んでくるローガンは、いつぞやの再現のようだった。
今回は一体何事かと驚くが、二回目なだけあってフレイヤは瞬発力をもって立ち上がることに成功する。
そして、後退りではなく駆け足で、とりあえずローガンから距離を取るため部屋の隅を目指したのだが……。
「逃げるな」
すぐそばで低い声が聞こえたかと思うと、腕を強く掴まれる。
その勢いでくるりと身体は半回転し、険しい──というより、どこか苦しそうな表情をしている彼と向き合うことになった。
「あの、ローガン様……?」
彼の苦しそうな表情が気になって、フレイヤの声は心配の色を帯びる。
しばらく沈黙していたローガンは、やがてゆっくりと問いを発した。
「……そんなに、俺が憎いか」
「えっ……?」
「逃げられるよりは、刺したいほどに憎い男もろとも手中に収めた方がまだマシだとすら一度は考えたが……君は愛人などいらないと言いつつ、これ見よがしにふらふらと……。どんな
「あの……、えっ……!?」
ローガンが何を言っているのかわからない。
言葉は聞き取れたが、意味が理解できずにフレイヤはおろおろと視線を泳がせる。
そうこうしているうちに軽く肩を押され、フレイヤの身体は後ろにあった寝台へとあっけなく倒れた。
それに続いて、ローガンも寝台の上へあがってくる。
これではまるで──というか、どう考えても押し倒されているような状態だ。
「ローガン様、あの、これは……」
「止めたければ、これを使えばいい」
以前、庭園で花を摘んだ際に使った短刀だろうか。ひんやりとして重い金属がフレイヤの手に押し付けられ、身震いをする。使え──それは、刺せということなのだろうか。
混乱を極めつつ、フレイヤはローガンを見つめる。
薄青の瞳は微かに揺れながらも、フレイヤを捉えて離さない。こんな時だというのにその美しい双眸に一瞬見とれ──次の瞬間、唇が塞がれていた。
「んんっ……!?」
彼の外見から受ける冴え冴えとした冷たい印象とは裏腹に、触れる唇は温かい。
そして、口づけはどこまでも優しく、慈しむようなものだった。
先ほどまでの強引な動作と、今まさにされているキスとのあまりの違い、ローガンの謎の言葉に混乱し、フレイヤはただ固まったままになる。
その間に、一度離れた彼の唇は再び軽く触れるだけの口づけを落とし、それから首筋、鎖骨へと点々と触れながら下っていった。
今日も今日とてペラペラで頼りない寝間着。
そのボタンが外される気配があり、フレイヤはぎょっとして飛び起きかける。
が、動きを察知したローガンに肩を押さえられてそれは叶わず、はだけた胸元に唇が触れた。強く肌を吸われる感覚があり、胸元の薄い皮膚が鈍く痛む。
「ローガンさ、……っ!」
「……さっさと、こうしてしまえばよかった」
「……!?」
もはや言葉も出てこなくなり、酸欠の魚のように口をぱくぱくさせるフレイヤ。
もう一度、胸の合間の際どいところに痕をつけたローガンは、視線を逸らすと、長く深い溜め息をつく。そして、「すまない」と小さく呟いた。
外したボタンをきっちり留め直した彼は、ぐしゃりと乱雑に髪をかき乱す。
「夜会には俺も行く。逃げられると思うなよ」
まるで宣戦布告のような言葉を残し、ローガンは浴室の方へと消えていったのだった。
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