９
「ええっ！？」
二人の令嬢たちと一緒に、危うくフレイヤも「ええっ！？」と声を出すところだった。
「本当ですの？」
「詳しくお聞かせくださいませ」
「ええ……。でも、確証はないのです。わたくしの思い違いだったかもしれません。ですから、この話はここだけにしておいてくださいね」
「もちろんです」
「お約束します」
内心「怪しいものよ、その二人、噂話が好きそうだもの」と思うフレイヤだが、話を聞きたいのは彼女たちと同じだ。より一層耳をそばだてた。
「先日、本を買いに出かけた時のことです。ハーピーパピリアの二階には高価な専門書が並んでいて、身元が保証された方しか入れないのですが……そこに、まるで町娘のような格好の方が見えたのです」
「もしかして、その方が……？」
「ええ。お顔立ちがよく似ていらして……。でも、格好はとても簡素なものでしたし、黒髪でしたから……他人の空似だったのかもしれません」
フローレンスは、蜂蜜のような黄金色の髪だったはずだ。
おまけに侯爵は公爵に次ぐ高位貴族。その令嬢が町娘のような格好で出歩いているとは、通常であればなかなか考えづらい。
しかし、フローレンスそっくりさんがいた場所と、彼女が置かれている状況からして、フレイヤはそれが本人である可能性は高いのではないかと感じた。
それは、メイマイヤー子爵令嬢も同じだったようだ。
「ですが……かねてより不穏な噂は耳にしておりましたし、それが事実で、筆の君がご病気でないなら……身を隠されているのもおかしくないと思うのです。声を掛けてはご迷惑になるかと控えましたし、確証もないのですが……わたくしは、あの時お見かけしたのがかの方であればと願わずにはいられません」
「……その方がいらしたのは、ハーピーパピリアだったのでしょう？ だとしたら、ご本人である可能性は高いと思いますわ。だってあそこ、かの方の親戚筋の方が趣味で営まれているお店だそうですもの」
「筆の君は博学であらせられると聞きますし、専門書庫の方にいらしたのなら、やはりそうなのではありませんか？」
令嬢たちも同じ意見にまとまったようだ。
フレイヤはフローレンスがどうやら無事回復した模様であることに安堵しつつ、その事実を隠したがっていることが気になってしまう。
（ユーリの話と、メイマイヤー子爵令嬢が見かけたフローレンス様らしき女性……やっぱり、彼女は病気で臥せっているのではなく、毒を盛られて命の危険を感じ、王太子妃候補から降りたと考えるのが一番納得できるわ。回復を隠しているのは、再度狙われるのを避けるためよね。ということは、王家もアーデン侯爵家も、狙われたのは王太子殿下ではなくフローレンス様だと確信しているのかしら）
王家を
「筆の君がご無事そうなのは何よりですけれど……一体、誰の仕業なのかしら」
「一番怪しいのは、後釜にすわった月の君のお家なのだけど……」
フレイヤはギクッとする。
生家のレイヴァーン伯爵家の紋章には、月桂樹が入っている。
文脈からしても、月の君というのはソフィア、そしてレイヴァーン伯爵家のことを指していた。
（た、確かに……お父様がそんなことをするはずはないから全然考えていなかったけれど、怪しまれても仕方がないわ……！）
ちょっとした衝撃を受けるが、先日のユーリとの会話が再び蘇る。
『ソフィア様は大丈夫ですよ、きっと。旦那様も奥様もうろたえていないのが、何よりの証拠です』
（お父様もお母様も、ソフィアお姉様に危険はないってある程度確信しているのね、と心強く思ったのだけれど……レイヴァーン伯爵家が、フローレンス様の排除に関与していたら……？ ──って、いえいえ、お父様に限ってそれはないわ！）
父は伯爵、そして文官として十分な地位を築いているし、権力争いとは無縁の穏やかでおおらかな人だ。
才女と名高く、周囲からも認められていたフローレンスを土壇場で排除してまで、ソフィアを王太子妃にしようなんて野心を抱くとは思えない。
「それは……ないでしょうね」
「ええ。野心がなく心の広いお方だと、お父様も話しておられましたわ」
（よ、よかった……！ 今夜はお父様の人徳に乾杯よ……！）
ここで「ええ、あの方ならやりかねないわ」「きっとそうよ。
しかし、一体誰が、なんのためにフローレンスを排除したのかは相変わらず見えてこない。
（犯人がいるなら、かならず目的、動機があるはずよ。毒を使って王太子妃候補を次々に排除するわけにはいかないから……犯人は、フローレンス様を排除したらソフィアお姉様が次の候補になると踏んでいたのかしら？ そして、お姉様が王太子妃になった方が、犯人にとっては都合がいい……？）
「でも……このまま月の君がご無事なら、月の君やそのご生家の方が、犯人にとっては好都合だったということになりますわね」
「ええ……」
フレイヤと同じような考えに、名前がわからない二人の令嬢も至る。
そんな中、メイマイヤー子爵令嬢が、何かに気づいたように「あっ……」と声を上げた。
「どうなさったの？」
「いえ……あの、口に出すのも恐ろしいことなのですが。筆の君も月の君もご生家はかなり有力でしょう？ わたくしたちからすると、替わったところで手も足も出ない存在ですわ」
「ええ」
「あっ、ということは……」
彼女たちは揃って沈黙した。
いくら衝立があろうと、カフェで話すべき内容ではないと思ったのだろう。
（そっか……そうだわ。犯人にとって、ソフィアお姉様が王太子妃になった方がいいなら、それはアーデン侯爵家よりレイヴァーン伯爵家の方が御しやすいと思ったからと考えるのが自然よ）
つまり。
犯人がいるなら、レイヴァーン伯爵家より力がある立場──侯爵や公爵家である可能性が高い。そうでなければ、レイヴァーン伯爵家の弱みを握っているか何かだ。
（仮定の上に仮定に仮定を乗せたただの憶測だけど……もしこの考えが正しいなら、このままお姉様が王太子妃になるのはまずいのではなくて……？）
ソフィアは芯が強いし、父は穏やかではあるが、どちらも簡単に言いなりになるような人ではない。
しかし、毒を盛るような恐ろしい相手が、次にどんな手段を使うかはまったく読めない。
思いがけない強引な手段で、父や姉を意のままに操られたら……。
（……って、ちょっと待って。これって、フローレンス様に毒を盛った犯人を突き止めれば、すべてが丸く収まるのではないかしら）
毒を盛られ、暗殺から逃れるために身を潜めていると思われるフローレンス。
フローレンスの退場により、ローガンとの婚約が解消されて王太子の婚約者となったソフィア。
だが、まだ王太子妃教育の最中のため、結婚までは猶予がある。
（犯人が判明して処罰されれば、フローレンス様の身に危険はなくなって、王太子妃候補に戻れるのでは……？ そして、お姉様はローガン様のところに戻れる。──私がいなければ）
姉の代わりに妹と結婚、しかしすぐに離縁して当初の予定通り姉と結婚となると、外聞は悪いだろう。
だが、王家が関わっている以上、表向きの理由付けはなんとでもできるはずだ。
たとえば──フローレンスが毒に倒れ、犯人を探しつつ油断させるために、アデルブライト家とレイヴァーン家の協力の下、ソフィアを王太子の婚約者とした。
犯人の思い通りに事が進んでいると見せかけ、水面下では犯人を探し、見事確保。
偽る必要がなくなったため、それぞれの婚約者をもとに戻した。
国家を揺るがすような大事件を解決するためにやむを得ない偽りである、とか。
フレイヤとローガンの結婚だけはちょっと話から浮いてしまうが、犯人に偽りだと悟られないための茶番だったとして押し通せるかもしれない。
実際のところ、フレイヤとローガンの間には何もない、白い結婚だ。
ローガンと王家にそれを保証してもらえれば、フレイヤの新たな嫁ぎ先も見つかるだろう。
……実際に、王家に仇なす存在を見つけるための協力者になれたなら、この思い付きを現実のものとできるかもしれない。
（王都開業計画は一旦置いておいて……フローレンス様の身に何が起きたのか、黒幕が誰なのかを突き止めたいわ）
ぬるくなった紅茶を心ここにあらずの状態で飲みながら、フレイヤは決意を固めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます