それから一週間ほど経ったある日、フレイヤは三度目となるお忍び外出を決行することにした。


「いいこと、特にベラ。私たちは読書仲間として白百合の茶館へ行くのだから、あまりにもかしこまった言葉はなしよ」

「善処……いえ、頑張ります……!」


 ベラは、コクコクと頷く。握った手に力が入っているので、馬車での移動中に少し緊張を解いておいた方がいいかもしれない。


「フレイヤ様、私も本当にご一緒してよろしいのですか? 年が離れておりますし、浮いてしまうのではないかと……」


 遠慮がちに言うのはエヴァだ。彼女は二十九歳で、今回出かける三人の中では最年長だが、フレイヤが知る限り彼女の容姿は二十代半ばあたりからほとんど変化していないように思う。

 落ち着いた雰囲気はあれど、浮くことはないだろう。


「あら、大丈夫よ。読書仲間に年は関係ないし、少しお姉さんという感じがするだけで、そう離れているようには見えないわ」

「そんなことは……。ですが、謹んでご一緒させていただきます」

「ええ、よろしくね」


 白百合の茶館は、先日カフェの店長グレースと、商家の息子パトリックにおすすめされた、王都で今話題の茶館だ。

 特に女性客に人気で、席ごとに衝立ついたてなどで区切られているため、人目を気にせず市民から貴族まで幅広い客層が訪れるという。


 貴族として訪れると最上級のもてなしになるだろうが、視察としては客層のうち中央あたり、すなわちそこそこ裕福な商家や市民に対する接客を体験したい。

 そこで、フレイヤはいつもどおり裕福な商家の娘、エヴァはその家庭教師、ベラはフレイヤの友人で、三人は読書仲間であるというていで店へ行くことにした。


 近頃のフレイヤの暇つぶしに付き合い、二人の侍女も読書をする時間が増えていたので、この設定はあながち嘘というわけでもない。


 なお、エヴァはフレイヤが三歳の頃に当時十五歳でレイヴァーン伯爵家にやって来たため、今年で三十歳。

 ベラは伯爵家に長年仕えている侍女の娘で、フレイヤの一つ下の十七歳なので、そのあたりも鑑みての設定となった。


 貴族も通う店なので、一見してフレイヤだとバレないように黒髪のかつらをかぶり、装飾が控えめな淡い緑のドレスをまとう。

 エヴァは落ち着いた青、ベラは薄桃色のドレスで、二人とも髪色は黒と栗色でそのままだ。


「さぁ、行きましょう」


 マーサに「行ってらっしゃいませ」と見送られ、使用人用の馬車に乗って街へ向かう。


 今回も護衛はもちろんいるが、全員少し離れたところでの待機だ。

 店の近くで馬車を降りて入口へ向かうと、仕立ての良い正装姿の男性店員が三人を出迎える。


「白百合の茶館へ、ようこそお越しくださいました」


 混雑していなさそうな午前中を狙って行ったのだが、茶館は既に賑わい始めていた。

 しかしまだ席はあいており、小さな庭が見える窓際の席へと通される。


「いろいろあるのね……」


 一般的な銘柄のお茶や、様々な種類の香草茶。

 飲み物だけでも何ページも続くメニューは、飲み物を片手に長い時間お喋りを楽しみたい時に退屈せず、もってこいだろう。


 菓子も小ぶりで、その分一つ一つの価格は抑えられており、「少しずつ色々なものを飲んだり食べたりしたい」という女性の気持ちに寄り添っている。

 それに、少し背伸びをして来店した市民でも、お菓子一つと一般的なお茶のセットなら頼めそうな価格設定だ。


 もう一冊のメニューブックは、装丁からして上質なものだった。


 中を見てみると、南方の小さな島国でしか生産されていない希少なお茶、一流の菓子職人が考案した菓子など、大商家や貴族向けであろう高価ながらも上質な品々が並んでいる。


 三人それぞれに注文をし、最近読んだ話についてお喋りをしながらしばらく過ごしていた時だった。


「特別室がもう埋まってしまっているなんて……本当に人気なのですね」

「あら、でもこちらの席もお庭が見えて悪くありませんね」

「ええ、本当に」


 衝立で仕切られた隣の席に三人組のご令嬢がやって来て、賑やかに話し始める。


 特別室というのは、白百合の茶館にある貴族専用の豪華な客室だそうだから、彼女たちはどこかの貴族の娘なのだろう。


 主要な貴族については頭に入れているフレイヤだが、ちらりと見えた彼女たちのうち二人には見覚えがなかった。

 もしかすると、お披露目を控えている少女たちかもしれない。


 唯一知っている一人は、メイマイヤー子爵令嬢だ。夜会や茶会で見かけたことがあるので間違いない。


 彼女たちは、注文の品が運ばれてくると、声を潜めつつも、不安と微かな好奇心を隠せないような声で噂話を始めた。


「ねぇ、お聞きになりまして? 筆の君のお話」

「毒……だとか。ああ、本当に恐ろしいわ」


 フレイヤはハッとして、衝立越しに聞こえてくる会話に耳を澄ませた。


(『筆の君』それに『毒』……これって、ユーリが話していた……?)


 学術に秀でた人物を多く輩出してきたアーデン侯爵家の紋章には、万年筆の紋様が入っている。

 筆の君というのは、王太子の元婚約者で、病に倒れたとされているアーデン侯爵令嬢フローレンスを指す暗語だろう。


(ユーリが“フローレンス嬢は病気ではなく毒を盛られたのかも”と話していたけれど……お披露目前の子たちも嗅ぎ付けるくらい、噂が広がっているのかしら)


 今、社交界でどんな情報が流れているのか……。

 夜会や茶会より遠乗りが好き、結婚するなら姉のあとだろうと悠長に構えてあまり社交の場に顔を出していなかったフレイヤは、噂話にかなり疎い。


 フローレンスの一件は姉の安全にも関わってくるかもしれないので、少しでも情報を得ようと、エヴァとベラに目配せをして沈黙した。


「筆の君は大丈夫なのかしら。未だに面会もできない状態なのですよね」

「ええ……」

「あなたはかの方と親しくしておられたでしょう? 容態について何か耳にされていまして?」

「…………」


 控えめに返答したのち沈黙したのは、声からしてメイマイヤー子爵令嬢だ。


(ユーリは、お医者様が頻繁に訪れている様子はないし、親しい人に直筆の手紙で返事があったから回復傾向にあるはずだと推測していたけれど……)


 あの時自分が思い浮かべた、最も物騒な仮説が再び頭をよぎる。


『フローレンス様は、ちゃんと回復されたのかしら……? お医者様が通っていないのは……その、実は亡くなっていた場合も考えられると思うのだけれど』


 背筋がゾッとして、自分の腕を軽くさする。


 しかし──メイマイヤー子爵令嬢が続けた言葉は、フレイヤの予想の斜め上をいくものだった。


「わたくし……この間、筆の君をお見かけしたかもしれないのです」


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