ユーリへの使いを出し、家令への手紙を書き終えてから二時間ほど。


 “今日の夕食は果物だけもらう、しばらく一人にしてほしい”と告げてエヴァ以外の侍女には下がってもらい、フレイヤは自室にこもっていた。


 夕暮れ時が近づいてきた頃、微かな羽音が聞こえたのに気づき、エヴァがバルコニーの窓を開ける。

 そこから入ってきたのは、一羽のカラスだ。脚には、手紙を入れるための小さな筒が固定されている。


「ありがとう」


 筒の中から取り出した手紙には、ユーリからの指示が書き連ねられていた。


 どの時間帯に、どこからどうやって抜け出すのが最も成功率が高そうかという、実に細かい脱走──ではなく、お忍び外出計画だ。


「この短時間で、よくこれだけ調べたわね……」

「フレイヤお嬢様が大人しくしていらしたので、彼も暇だったのではないでしょうか。いずれこういう日が来ると予想して、用意していたのかもしれませんよ」

「それはありえそうね」


 ユーリというのは、レイヴァーン伯爵家で雇っている腕利きの護衛の息子だ。


 歳はフレイヤの一つ上で、彼自身も相当な実力者。

 将来レイヴァーン伯爵となるフレイヤの弟、ルパート専属護衛への任命が内定している。


 そんなユーリだが、幼少期は毎日のようにフレイヤの剣術の稽古に付き合わされ、フレイヤがそこそこ令嬢らしくなったのちもお忍び外出の護衛を任されている苦労人だ。


 とはいえ、彼もなんだかんだ楽しんでいる節があるので、フレイヤとしても気兼ねなく頼ることができる、兄のような存在なのであった。



◇◇◇



「それじゃあ、行ってくるわね」

「はい。どうかお気をつけて」

「ええ」


 エヴァに見送られ、侍女のお仕着せに身を包んだフレイヤは、静かに部屋を出た。


(うう……早く行かないと、なまっている身体にこの体勢は辛いわ……!)


 ふんわりとしたスカートの中で膝を曲げ、侍女にはいない長身をごまかして、もし誰かに見られても怪しまれない範囲内での最高速度で進む。


 仕えるべき相手がローガンとフレイヤの二人しかいない別邸なので、使用人の数はそこまで多くない。

 加えて、エヴァが教えた人気ひとけの少ない道筋を辿ったおかげで、フレイヤは誰とも会うことなく庭園へと出ることができた。


 さすがにスカートのままでは身軽に塀を越えることはできないため、背が高い生け垣の中に隠れて、お仕着せを脱ぐ。スカートからはみ出ないよう、たくし上げて着ておいたスラックスの裾をくるぶしまで下ろせば、簡素なシャツとスラックス姿の完成だ。


 かつらも短髪のものに付け替え、ユーリからの手紙で示された位置に向かうと、すぐに縄梯子が掛けられた。


 実家にいた頃は幾度もこうして抜け出したので、フレイヤはさくさくと塀を越え、別邸の敷地の外に着地する。


「よっ、お嬢様。いや、もう奥様ですね」

「やめてよ、外ではただの“レイ”なんだから」

「へいへい。んじゃ、さっさと行きますよ。見張りの交代が終わっちまう」


 ユーリがここを指定したのは、屋敷の見張りから見えにくい位置だから。そしてこの時間は昼から夜の見張り番へと交代が行われ、ごく短い時間ではあるが、さらに監視が弱まるからだそうだ。


 薄闇に包まれてゆく道をしばらく進むが、追ってくる人はいない。

 どうやら「抜け出す」という第一関門は突破できたようだとわかり、フレイヤはほっと息を吐いた。


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