2
「慣れない環境というのはただでさえ気疲れするものですし、じっと引きこもっているなど、お嬢様には苦痛でしかないのではないかと思います」
「その通りよ……。読書も好きだけれど、こんなにずーっとじーっとしているなんて、どうにも落ち着かないわ。それに、結婚の話があまりにも突然で、街の顔なじみに何も言わないまま三ヶ月以上経ってしまったし、心配されているかもしれないわね」
レイヴァーン伯爵令嬢だった頃のフレイヤは、月に一度くらいは城下の街へお忍びで遊びに行っていた。見た目で絡まれたりしないように、長身を生かした男装をして。
ただ、遠目には十五、六歳くらいの少年に見えたとしても、間近でまじまじと見られたり、話したりすれば、女だということは隠しきれない。
なので、街でできた顔なじみには『裕福な商家の娘が、親の目を盗むために男装して屋敷を抜け出し息抜きをしている』という設定で通していた。
何かを偽る時には、嘘の中に事実を混ぜると説得力が増すと言うが、まさにその通り。
加えて、お忍びで街にやってくる大富豪や貴族の子女は“稀によくいる”くらいの存在らしく、商いをする者たちにとっては上客なので、深く突っ込まれることもこれまでなかった。
だが、アデルブライト伯爵家の使用人たちに「ちょっと男装して最低限の護衛だけ連れて街に出かけてくるわね!」と言うわけにはいかない。
「街へ出かけたい」と言ったならば、大所帯を引き連れ、おまけに「アデルブライト次期伯爵夫人」としての装いで赴くことになるだろう。それは避けたかった。
フレイヤは悩んだ。
(皆に“外出したい”と伝えたら、半月も妻を放置しているのが悪いのよって、暗に非難していると取られかねないわよね。それに、ローガン様と一緒じゃないのにフレイヤとしておおっぴらに街に行けば、夫婦仲を疑われそうだわ。かといって、こっそり抜け出したと気づかれるのも……)
そこまで考えて、フレイヤははたと気づく。
(堂々と外出したら、“失敗”することはないわ。だけど確実に三つは大きな悪影響がある)
まずは、暗にローガンを責めるような行動になりかねないこと。
次に、街でアデルブライト次期伯爵夫妻の不仲説が出ること。そうすると、遅かれ早かれ社交界にも噂が広まる。
最後に、はっきりと顔を覚えられたり、街での顔なじみがフレイヤに気づいたりした場合、これまでのように自由に街を歩けなくなるだろうこと。
それに対しお忍びで出かけた場合は、たとえ事が露見したとしても、しばらくは屋敷の中だけで情報を留めておける見込みは高い。
(本当は、ここで大人しくしているのが一番だってわかってる。だけど……このままだと、息が詰まりそうだもの。ローガン様やみんなには迷惑がかからないように、どうにか最善を尽くしましょう)
目を閉じて長く息を吐き、フレイヤは顔を上げた。
「……エヴァ」
「はい、フレイヤ様」
「ユーリに連絡をつけてちょうだい」
「かしこまりました」
「それから、便箋と封筒の用意を。私の不在に気づかれてしまった時は、まず家令に手紙を渡してほしいの。護衛は連れているから、どうか騒ぎにせず、帰るまで待ってほしいと書くわ」
フレイヤの作戦はこうだ。
まず大前提として、忍び出たことが露見しないように、細心の注意を払う。
しかし、それでも使用人たちに気づかれる可能性はゼロではない。
もし気づかれてしまった時は、屋敷に残すエヴァから事実を伝えてもらうのだ。
家令へ向けては、『旦那様の不在への当てつけなどではなく、大仰な外出で手間を取らせたくもなかったので、勝手は承知の上で少しだけ息抜きに出ました。今回だけはどうかお許しください』という旨の手紙を書いておく。
なにせ半月放置された実績があるし、アデルブライト家の古株である家令ならば、小さい頃のフレイヤのやんちゃぶりを多少は耳にしているはずだ。納得感と、多少の同情くらいは得られるだろう。
そして帰宅次第、忙しいローガンを煩わせたくないので内密にしてほしいと家令たちを改めて説得すれば、なんとかなるのではないかと思う。
……猪突猛進なようでいて、フレイヤは案外したたたかでもあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます