3章 不穏な噂
1
ローガンが自分のために、忙しい時間を縫って花を摘んできてくれたらしいとわかり、結婚三日目にしてようやく明るい気分で朝を迎えられたフレイヤ。しかしその気分はあまり長持ちしなかった。
それきり、ローガンが屋敷に帰ってこなくなったからだ。
──結婚から約二週間が経ったこの日も、フレイヤは家令から、もうすっかりお馴染みになった台詞を聞かされていた。
「本日も、旦那様はお戻りになられないとのことです」
この言葉を聞くのは、もう十回目だ。
いや、正確に言うと、最初は「本日、旦那様はお戻りになられないとのことです」だったので九回目か。
しょうもないことを考えて意識を逸しつつ、フレイヤは「そう」と力なく頷く。
(これは……避けられているのかしら。それとも、ただ忙しいだけ?)
ついそんな疑念を抱いてしまう。
家令からは、ローガンは王都を出て任務中だと聞かされたものの、そもそも本来あるはずの結婚休暇を消化しきっていないのだ。
王太子周辺が気を抜けないとはいえ、近衛騎士は王族を警護するのに十分な人数がいるはず。そんな中でもローガンが付きっきりということは、それなりに緊迫した状況なのか、フレイヤとあまり会わずに済む絶好の任務だと思ったからか。
どちらにしたって複雑だ。
フレイヤが無言でいると、マーサが「まったくもう、旦那様ったら……!」と憤慨する。
「素敵な奥様を捕まえたのに、十日も放ったらかしにするなんて!」
マーサは、アデルブライト伯爵夫人の遠縁で、ローガンが幼少の頃から知っているのだという。そういうわけで、使用人としての節度はもちろんあれど、他の使用人たちよりは幾分か遠慮がなかった。
彼女が代わりにぷんぷんしているので、フレイヤは逆に気持ちが落ち着き「仕方ないわ」と微笑んだ。
「王太子殿下をお守りするという大切なお務めがあるんですもの。無事に帰ってきてくだされば、私はそれでいいのよ」
「まあ……!」
マーサが感激したような表情になるので、フレイヤの微笑みに苦笑が混じった。
今の言葉もフレイヤの本心の一部であることに間違いはない。だが、ここまで放っておかれるのは流石に心にくる。
それに、未来の伯爵夫人としていずれ義母からアデルブライト家の取り仕切りについて教えてもらう予定だが、今は新婚ほやほや。本来ならば甘い蜜月を過ごしているべき時期で、フレイヤに特に予定はなく、それはもう大変に暇であった。
人間、暇だと余計なことを考えてしまう。
仕事というのは建前で、ソフィアに会う機会がある王太子のそばにいたいのではないか。
屋敷に戻ると、夫婦仲が悪くないと見せかけるために、寝室を共にしなければならないのが憂鬱だからではないか。
仕事でも疲れている上に、望まない妻と顔を合わせれば、距離を詰める努力をしなくてはならないのが億劫なのだろうか、などなど。
読書にも身が入らず、かといってアデルブライト伯爵夫人のもとへ「旦那様に相手にされず暇すぎるので教育を早めてください!」と乗り込めば、夫婦仲を心配されてしまいかねない。八方塞がりであった。
「……ねぇ、エヴァ。退屈っていうのは、一つの凶器だわ。私の死因はきっと“退屈”よ」
結婚から半月、夫と過ごしたのは、式当日を含め約二日。
暇を極めたフレイヤが半ば死んだ目で呟くので、侍女のエヴァは主の限界を悟った。
「フレイヤ様、気分転換をしてはいかがでしょう」
「……気分転換?」
「ええ。私は幼少の
「……! 確かにそうだわ」
思えばこの結婚が決まってからというもの、愛馬と早駆けもしていないし、月に一度くらいはお忍びで出かけていた街にも顔を出せていない。
貴族の結婚というのはやたらと準備することが多く、また、ローガンとソフィアのことについてもあれこれと考えていたから、フレイヤにしては異常なほどに大人しく日々を送っていた。
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