7
広い寝台の両端から、それぞれ布団に入る。
消灯し、真っ暗になった室内は耳が痛くなりそうなほどの静寂に包まれていて、フレイヤは無意識に息をひそめていた。
(お、落ち着かない……。ソファの方がまだ眠れたかもしれないわね)
背中がもぞもぞして、寝返りを打つ。
暗闇に慣れてきた目は、こちらに背中を向けて横になるローガンの姿を映し、フレイヤの口から小さな溜息が漏れた。
広くて逞しい背中は、まるでフレイヤを遮断する壁のように見える。
目一杯手を伸ばせば触れられる距離なのに、果てしなく遠い。
この距離が縮まる日は来るのだろうかと思うと少しだけ悲しくなって、ほんのちょっと挙げていた手を、ぱたりと寝台の上に戻す。
すると、マーサがうきうきと選んでくれた薄青の寝間着の布地が視界に入って、フレイヤは再びなんとも申し訳ない気持ちになった。
それと同時に、彼女が期待していた展開のことを思い一つの懸念が湧いてくる
「あの……ローガン様」
「なんだ?」
呼びかけてみると、彼の方もまだ寝入っていなかったらしく、すぐに返事があった。
「閨を共にした
「は……!?」
驚くほどの俊敏さで、ローガンは起き上がった。
「それっぽくというのは……」
「……その、真ん中のあたりのシーツを、ぐしゃっと乱してみるとか……」
話しながら、フレイヤは「なんでこんなことを提案してるんだろう、私」と脳内で突っ込みを入れるが、口から出た言葉は戻せない。
せめてもの悪あがきに「忘れてください」と蚊の鳴くような声で言って、羞恥心をごまかそうと毛布をかぶった。
「フレイヤ、君は……」
毛布越しに、ローガンが何事かを言いかけたのが聞こえるが、言葉はそこで止まった。
「……いや、なんでもない」
しばらくして、寝台が微かに揺れる。ローガンが再び横になったようだ。
「……私は、明日から
「えっ」
もうですか?と続けそうになるのを、フレイヤはなんとか押し留めた。
「殿下の周辺は、安全とは言い難い。あまり離れるわけにはいかないんだ」
(そういえば……ローガン様が一近衛騎士から王太子殿下の側近騎士になったのは、殿下を襲おうとした賊を倒して御身をお守りしたからだって言ってたわね)
王太子は、いずれ国王となる身。
そんな人を害そうとする人間が少なくないとは、物騒な話だ。
しかし……と、フレイヤは陸続きの諸外国や王太子について考えを巡らせる。
ベリシアン王国周辺には、友好国だけでなく、長期停戦状態で予断を許さない関係の国もある。
それに、自らが取り立てた騎士の婚約者を自分の妻にと望むあたり、王太子はあまり褒められた性格をしていないのかもしれない。
欲しいものは、その立場を使ってでも手に入れるような人であれば、少なからず恨みを買っていそうだ。
(お姉様は、大丈夫なのかしら)
王太子が狙われるなら、その婚約者となった姉にも危害が及ぶ可能性は否定できない。
不安に駆られ、フレイヤは毛布から顔を出して、ローガンの背中に問いかけた。
「お姉様は……お姉様に、危険はないのですか?」
フレイヤの不安が伝わったのだろうか。
それとも、話題が彼の真に愛する人であり、元婚約者のソフィアのことだったからだろうか。
寝返りを打ってこちらを見たローガンは、「大丈夫だ」と力強く頷いた。
「殿下はソフィア──様のことをとても大切に思われている。彼女の周辺の守りは鉄壁だ。それに、殿下と彼女がそばにいる時は、私が二人を必ず守る」
「よかった……」
フレイヤは、初恋絡みの勝手な事情と劣等感で素直になれずにいるが、姉のことは好きなのだ。
優しく穏やかで、触れれば折れそうな儚げのある見た目とは裏腹に、内面は強く、しっかり者の姉。
活発すぎるフレイヤと姉はタイプが違いすぎて、一緒にいる時間は弟の方が断然長かったとはいえ、大切な家族であることに変わりはない。
だというのに、ローガンの「必ず守る」という真剣な言葉が、妙にジクジクと胸の奥を痛ませる。
(私は、また……本当に辛いのはお姉様とローガン様なのに)
『殿下と彼女がそばにいる時は、私が二人を必ず守る』という、先ほどの言葉を思い返す。
──現在、ソフィアは王太子妃、そして未来の王妃になるための教育を王城で受けている。
王太子妃教育は本来数年かけて通いで行われるのだが、今回は急遽婚約者となったために時間があまりない。そこで、王城に呼び寄せ大急ぎで教育が行われているというわけだ。
王城は広いとはいえ、外部から様々な手続きを踏んで訪れるよりもずっと気軽に会えるだろう、王太子とソフィア。王太子の方から是非にと望んだことからして、その機会は頻繁な可能性もある。
王太子の側近騎士であるローガンは、今も心を寄せている女性が自分の主君のそばで婚約者として振る舞うのを見なくてはならない。
ソフィアも、一度は将来を誓い合った相手の前で、王太子の婚約者になった自分を見せるなんて、とても辛いはずだ。
考えれば考えるほど、フレイヤには王太子が残酷な人に思えてならなかった。
それに、敵が多いのに、側近騎士にまで恨みを買うような真似をするなんて、正気の沙汰とは思えない。
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