かりそめ妻は円満な離縁を所望します！【コミカライズ原作】

６

　──その日の夜。

「奥様はすらっとしていらして何をお召しになっても素敵ですから、着せ替え甲斐がありますねぇ」

　今日こそはフレイヤの体調が万全であることを念入りに確認し、マーサは昨日と同様に張り切って世話を焼く。

「今日はどちらにいたしましょうか。お花と同じ、薄青なんていかがです？」

　庭園の散歩中にローガンがくれた一輪の花は、萎びてしまわないように、小さな花瓶にさしてある。

　その花とよく似た薄青で、やたらとひらひらとした寝間着を掲げるマーサ。そんな彼女を、レイヴァーン家からついてきてくれた侍女であるベラが、どうしたらいいのかわからないという表情で見つめていた。

　ベラは婚姻の儀が行われた日馬車に同乗しており、辛気臭さが頂点に達していたフレイヤを見ているから、心配してくれているのだろう。

「……そうね、それがいいと思うわ」

　頼りなくてもいいからとりあえず何か着たくて、フレイヤは適当に頷いた。

　一通りの支度が整うと、侍女たちは皆下がり、広々とした夫婦の寝室に一人きりになった。

『君には指一本触れない』

『この結婚が本意でないにしても……俺は、君を傷つける気はない。結婚した以上、昨日のようにいつまでも触れないというわけにもいかないが……無理強いはしないと、騎士の剣と我が名にかけて誓う』

　昨夜、そして今朝の言葉が蘇る。

　ローガンは当面の間、夫婦としての触れ合いをする気はなさそうだが、気持ちの整理がつけばいずれと考えているようだった。

　ならば、夫婦仲が悪いと喧伝（けんでん）するような真似はしないはずだ。

　つまりは、この寝室に来る可能性が高い。

（……今日は、適当に時間を潰したあと出ていくつもりかしら。でも、今後もそうだと、私がこの広い寝室を占領することになるし、ただでさえお忙しいローガン様のおやすみの時間も遅くなってしまうわ。私がソファでしばらく起きていて、自室に戻るとかした方がよさそうだけれど……）

　耳年増なフレイヤは、しかし、それでは怪しまれるだろうと首を横に振った。

（侍女たちは今日が初夜だと思っているはず。初めてのはずの私が自力でさっさと部屋に戻っては、どう考えてもおかしいわよね）

　考えこんでいると、小さなノックのあとに扉がゆっくりと開く。

　現れたのは、昨日と同じく寝間着姿のローガンだった。

「ローガン様……！」

　目を見開くフレイヤに、ローガンは「誤解するな」と、ひそめた声で短く告げる。

　扉を閉めて室内に入ってきた彼は、フレイヤの向かいのソファに腰掛けた。

「今朝も言った通り、何もする気はない。だが、結婚早々寝室を別にしていては……その、余計な詮索を招くだろう」

「ええ……」

　この結婚は、両伯爵家の希望と合意によって成立したものだ。

　当人たちが不仲らしいという話がそれぞれの両親に伝われば悲しませてしまうだろうし、あれこれとせっつかれ始めるまでの期限も短くなる。

　そうなると、ローガンがゆっくり気持ちの整理をする場合ではなくなってしまうだろう。

　フレイヤもローガンも、それを望んでいない。

「私はここで寝る」

「ええっ！？」

　ここで、とローガンが指差したのは、今座っているソファだった。

　三人座れる大きさなので寝られないこともないだろうが、長身で騎士らしく体格もしっかりした彼が横たわるには、どう考えても窮屈すぎる。

「私がソファで寝ます」

「いや、君はベッドだ」

「どうしてですか？」

「私は騎士だ。なんなら床でも眠れる」

「でも、私の方が小柄ですし、ここはローガン様の家です。ソファで寝るなら私の方でしょう」

「ここは君の──とにかくだめだ。ソファは寝心地がよくない」

「でしたらなおさら譲れません。お勤めに支障が出たらどうするのですか」

　ローガンは騎士、それも王太子を側近くで守る重要な役割を担っている。

　寝不足になったり、どこか寝違えたりでもしたら、仕事に支障が出て、彼自身にも王太子にも危険が及びかねない。一方フレイヤなら、多少寝不足になろうが昼寝をすればいいだけで、自分にも周囲にも危険はない。

　騎士の役目について触れると、ローガンは反論しづらいようで、ぐっと言葉に詰まった。

（というか……）

　ちらりと、フレイヤは大きな寝台へ視線を向ける。

　女性ならぎゅっと詰めれば四、五人くらい寝転がれそうな広さがあり、いかに彼が体格に恵まれているといえど、二人で寝るくらいなら十分な距離を保てる。

　ローガンは、人道として、一応は妻をソファに寝かせる気はない。

　そしてフレイヤも、大事な役目を負った夫をソファや床に寝かせる気はない。

　この件については両者譲らないことは間違いないので、この部屋で二人が寝るにあたり、妥協点は一つしかなかった。

「一緒に寝ましょう」

「……！」

　憮然とした表情で、ローガンは寝台とフレイヤを交互に見る。

「あれだけ広いんですもの。端と端で眠れば問題ないと思いませんか？」

「…………」

　たっぷり十秒ほど沈黙した彼だったが、やがて、先ほどのフレイヤと同じ結論に至ったようだった。

「……そうだな」