「フレイヤ」

「は、はい……!」

「……すまない、驚かせてしまったか。花は手で摘むより、鋭い刃物で茎を切った方が長持ちするから……」

「ああ……なるほど……」


 ほっと肩の力を抜くフレイヤのもとへ戻ったローガンは、じっとつむじのあたりを見下ろす。そして何を思ったか、頭部へと手を伸ばしてきた。


「動くな」

「はいっ!」


 まるで、強盗と脅される店主のようなやりとりである。

 再び氷像と化したフレイヤの髪にローガンの大きな手が触れ、三つ編みをまとめてある部分に違和感があった。


(これって……髪に花を挿してくださっている、のよね……?)


 一歩下がったローガンは、「ん」と小さく頷くが、その視線は険しい。


「……よく似合う」

「えっ……」


 太さはありながらも、すっきりと整った眉。その間にぐっと皺を寄せ、それはもう渋く苦い表情で言われるには、あまりにもふさわしくない台詞だった。


 これはお世辞なのだろうか。

 いや、お世辞にしてももう少し顔というものがあると思う。


 それに、彼は王太子の最も近くに控える騎士であり、いずれ伯爵家を継ぐ人物なのだ。

 社交能力は問題なくあると考えていいだろう。


 少年だった頃ですら、ほぼ初対面の女の子に対して「かわいい小猿さん」なんて、まるで息をするかのように発していたのだし、微笑んでお世辞を言うことくらい可能なはず。


 この渋い顔を取り繕いもせずに「よく似合う」などと口にする意図がさっぱりわからない。


 極度の緊張と弛緩を短時間で繰り返したことで、フレイヤの脳内は完全に混乱をきたし──気づけばろくな思考も経ずに、思い浮かんだ疑問をそのまま口にしていた。


「……ローガン様は、なぜ私を睨まれるのですか?」


 そんなに気に食わないなら、いっそのこと婚約の時点で拒否してくれればよかったのに──という言葉は、彼がなんとか関係を築いていこうとしているかもしれない可能性を考えて、辛うじて飲み込んだ。


「…………」


 沈黙したローガンの眉間に、さらに深い皺が刻まれる。


「……睨んでなどいない」


 なんと、無意識だったらしい。

 嘘か本当かはわからないが、彼がフレイヤを見る時の表情は、もうこれが基本だと考えて諦めた方がよさそうだ。


「そうですか……。お花、ありがとうございます」


 フレイヤはぎこちなくお礼を言って、再び差し出された腕に自分の手を添えた。


「そろそろ戻るか」

「はい」


 屋敷へ向かい、二人は元来た道を戻り始める。

 生け垣を抜けたところで、ふと、ローガンが足を止めた。


「フレイヤ」

「なんでしょうか」


 名前を呼んだきり、彼は何も言わない。

 一体なんだろうかと、頭一つ分はゆうに高い位置にある彼の顔をフレイヤが見上げると、思いのほか真剣な眼差しが注がれていた。


「この結婚が本意でないにしても……俺は、君を傷つける気はない。結婚した以上、昨日のようにいつまでも触れないというわけにもいかないが……無理強いはしないと、騎士の剣と我が名にかけて誓う。だから、安心してほしい」

「…………」


 前置きさえなければ、ローガンに関してかなりちょろいところがあるフレイヤは、「決して君を傷つけないと誓うよ」くらいに意訳して、心臓を鷲掴みにされていたことだろう。


 しかし残酷なことに「この結婚が本意でないにしても」という、どう頑張っても無視できない言葉がついている。


 とはいえ、気に食わない結婚だからと腹いせに乱暴なことをしないという宣誓は、一応はありがたいものかもしれない。


「……ありがとうございます」


 複雑な気持ちで、フレイヤは囁くように返すのだった。


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