ローガンは、大股ながらもゆったりとした歩調でエスコートした。

 晴天の下に広がる立派な庭園に、フレイヤは思わず歓声を上げる。


「わぁ……!」


 昨日ここに到着した時には既に日が落ちかけていたためよく見えていなかったが、アデルブライト伯爵家別邸の庭園は、実に見事なものだった。


 色とりどりの花が咲き、まだ花の時期ではない花樹も青々とした葉を茂らせている。庭師が丹精込めて手入れをしていることが窺えた。


「母が、花の好きな人でな。本邸も別邸も、常に何かしらの花が咲いている」

「そういえば、昔アデルブライト伯爵家にお邪魔した時も、花がたくさん咲いていた覚えがあります」

「そうか」


 両親、特に父伯爵同士の仲が良いこともあって、フレイヤとソフィアもアデルブライト家へ行ったことが何度かあった。

 小さい頃は花よりトカゲや鳥などに興味があったのでうろ覚えだが、花の蜜を吸いに来ている小鳥がとても可愛かったことは記憶に残っている。


「今の時期は、向こうの区画が綺麗なはずだ」


 ローガンはそっと進行方向を変え、広い庭園の中を迷いのない足取りで進む。

 迷路のような生け垣の通路を抜けた先には、様々な種類の花が満開になっている花壇があり、まるで一枚の絵画のような眺めだ。


「綺麗……」


 フレイヤが嘆息したきり無言の時間が流れるが、朝食の時とは違って空気は重苦しくない。


「……これまで、時間を取れなくてすまなかった」

「いえ……お気になさらず。ローガン様は王太子殿下の信頼が厚い騎士なのですから、無理もないことだと理解しております」

「……そうか」


 またしばらく無言になるけれど、フレイヤはようやく普通の会話ができたことに感動していた。

 夫婦としてはやや堅苦しいかもしれないが、貴族令嬢──改め夫人として、適切な態度と言葉遣いができていたという点では及第点と言えるだろう。


 それに、ローガンの歩み寄りも感じられる。


(ローガン様も、前を向いて頑張ろうと考えているのかもしれないわ。昨日は悲観的になってしまったけれど、結婚初日で関係構築を諦めるのは早いわよね)


 フレイヤは元来、割と立ち直りの早い方なのであった。



 気分が上向いてくると、途端に「好きな人に素敵な庭園を案内されている」という状況を意識してしまい、ふわふわとした心地になる。


 しかしローガンからすれば、主君から好きな人を奪われて、意に沿わない結婚をなんとか受け入れようとしているところなのだ。

 一人浮かれるほど能天気にもなれず、フレイヤは静かに花々を眺めた。


「……気に入った花はあったか?」

「えっ? そ、そうですね……あれでしょうか」


 唐突に尋ねられてフレイヤが指し示したのは、ローガンの瞳の色とよく似た薄水色の花だった。


(あっ……しまった、やってしまったわ)


 深く思考する前の咄嗟の行動に、フレイヤはぎくりと固まり、力なく手を下ろす。


 ベリシアン王国を含むいくつかの国では、宝石や花、ドレスなどの贈答品に自分を想起させる色を選ぶのは、特別な意味がある。


 たとえば、離れていてもそばにいる、だとか。

 あなたを自分の色に染め上げたい、だとか。


 逆に、贈り物は何がいいか聞かれた際に相手の髪や目の色のものを望むと、「そうしてほしい」という気持ちを暗に示すことになる。


「…………」

「…………」


 穴があったら入りたいどころか、深い穴を掘るから埋めてほしいくらいの気分だ。

 三度みたび沈黙が訪れ、フレイヤが恐る恐るローガンの様子を窺うと──。


「…………」


 彼は険しい顔で沈黙し、薄水色の花を凝視していた。


「あの、えっと……すごく綺麗だったので、それだ──ヒッ!」


 けで、と続けようとした言葉は、ローガンがどこからともなくナイフを取り出したことで、微かな悲鳴に変わった。


(な、何よ今の早業、奇術!? それより何に使うの、そのナイフ! ま、まさか……一応は新妻を刺したくなるくらいに気に食わなかった!?)


 氷像のように固まるフレイヤをよそに、ローガンはエスコートしていた手を離し、花の方へと一歩踏み出す。

 そして、一輪の花をスパッと切って摘み取り、ナイフを懐に仕舞った。


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