ベリシアン王国の貴族の結婚適齢期は、おおむね十八歳から二十五歳くらいだ。


 二十歳までには婚約、二十五歳までに結婚というのが九割ほどで、それよりも遅くなると何かわけありか、未婚を貫くのだろうかと思われ始める。


 特に先延ばしにする理由がなければ十八歳で結婚する貴族もそれなりにいるため、フレイヤはてっきり、二人は十八歳になったら結婚するものかと思っていた。


 しかし、婚約から三年が経ち二十歳を迎えても、二人はまだ夫婦ではなく婚約者のままだった。


 関係は良好なはずなのになぜだろうと少し不思議に思ったが、考えてみればレイヴァーン・アデルブライト両伯爵家の繋がりは既に強固で、両親ともに健在なため、特別急ぐ必要もない。


 だが、数ヶ月前にローガンが王太子の側近騎士に任じられるという慶事けいじがあったので、この機にいよいよ結婚だろうと覚悟していた。


 また、フレイヤはもう十八歳で、そろそろ婚約者がいないとまずい頃合いに差し掛かる。


 本来ならば、積極的に夜会などに参加して相手を見繕ったり、両親が勧める相手と個別に顔を合わせたりすべきなのだろうが、あまり気乗りせず強要もされなかったために、フレイヤはほとんどそういった場に出たことがなかった。


 それもいい加減おしまいだろう。ソフィアが結婚すれば、次は次女のフレイヤの番だからだ。


 気乗りしないなんて言っている場合ではないし、本当の意味で初恋に別れを告げ、自分自身の相手を見つけなくてはならない。


 ……と思い始めていた矢先に、まさかの婚約解消である。


 おまけに、姉の代わりに自分がローガンと結婚してはどうかと言われている現実がなかなか受け止められず、フレイヤは無言で立ち尽くした。


「それで……どうだ? フレイヤ」

「どうだと言われましても……」

「……まさか、誰か思う相手でもいるのか?」

「いえ!」


(あっ)


 十四歳からの四年間、恋心を絶対に悟られまいとひた隠しにしてきたので、つい反射的に否定の言葉が出ていた。


 後悔するも、ほっとしたような表情の父を前に、フレイヤは何も言えなくなる。


「ならば問題はないか?」

「…………」


 フレイヤは、思考しつつ視線を落とした。


 初恋の人は姉の婚約者となり、決して結ばれることはないと諦めていたし、曲がりなりにも伯爵家の令嬢として、いずれ家格などが釣り合った相手のもとへ嫁ぐものだと認識していた。


 それが、経緯はどうあれ好きな人と結婚できることになったのだ。


 ローガンに想われていないことはわかっている。

 だが、仕える主君から想い人を奪われた形になるローガンの心痛、婚約者から引き離されて王太子妃の重責を負うソフィアの負担。


 それらに比べれば、自分の悩みのなんとちっぽけなことか。


 そもそも、貴族の結婚に恋だの愛だのは重要ではない。

 好きな人に同じ想いを返してもらえないだろうから嫌だなんて、とんでもない我儘だ。


 さらに、レイヴァーン家とアデルブライト家が縁続きになることは、父伯爵同士の長年の願いであり、家格的にもまったく問題はない。


 ソフィアが王太子妃に内定したとなれば、王家とのつながりを求めて、下心を持った婚約打診がフレイヤのもとへ殺到することになるだろう。そういった相手よりも、一応は幼いころから知っているローガンの方が、いろんな面で安心できる。


 条件的に言えば、これ以上ないほどの縁組だと言えるだろう。


「……ええ。問題ありません」


 フレイヤは、逡巡しゅんじゅんののち静かに頷いた。




 それからは、怒涛の勢いで結婚への準備が進んでいった。


 ソフィアとローガンの結婚で悠長に構えていたために、王太子に横から掻っ攫われる羽目になったからだろうか。両親も、アデルブライト伯爵家側も『今度こそは絶対に結婚を成立させる』という並々ならぬ意気込みを抱いているように感じる。


 もう何度目かになる採寸をされながら、フレイヤはローガンのことを考えた。


(両家としては結婚に乗り気だけど、彼自身はどう思っているのかしら……)


 彼と姉の婚約が決まってからは、ほとんど彼と顔を合わせないようにしていた。

 そういうわけで、最後に交わした会話は、「……フレイヤ?」「お……お勤めご苦労さまでした」である。これではあんまりだ。


 せめて結婚前にはもう少し意思の疎通を図りたいと思うものの、彼は王太子の側近で、とてつもなく忙しいらしい。


 フレイヤは、そんな彼に対して「お会いしたい」などと図々しく伝えられるはずもなく、そもそも会ったところでまともに会話できるのかの自信もなくて、ただ時間ばかりが過ぎていった。



 ──何やら興奮した様子の侍女たちがフレイヤのもとへとやって来たのは、結婚決定から一ヶ月近くが経ち、せめて手紙だけでも送ってみようかと思い始めた頃だった。


「フレイヤお嬢様! アデルブライト卿からドレスとお花が届きました……!」

「えっ!」


 運び込まれてきたのは、数着のドレスと、薄紫と白の花が基調の可愛らしい花束だった。


「お手紙もございます」

「……ありがとう」


 侍女から差し出された手紙の封を、ゆっくりと開ける。

 そこには硬質で几帳面な筆致で、『なかなか会いに行けずすまない。近々時間を作る』と短く書かれていた。


「ローガン様……」


 姉のように想われてはいなくても、別に嫌われてはいないようだ。それがわかっただけでも十分だった。


 ローガンと会えたら、今度こそどうにか頑張って、普通の伯爵令嬢として振る舞いたい。


 そして、姉の代わりには不十分だろうが精一杯務めるつもりであること、このドレスや花束のお礼を伝えよう。


 そう心に決めたフレイヤは、ローガンが訪れる日を今か今かと待ちわびるのだった。


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