031:不知火のクソッたれ親父

 媛乃が楽しく夕飯の準備をしている最中、焔は不知火本家の縁側で、そろそろ藍色になりかけている空をぼうっとしながら眺めていた。3月も後半と言えども、夕方から夜にかけては冷え込む故に、ひんやりとした風が焔の方へと吹いてきた。その寒さが、何処となく心地良い。

 焔は本日の出来事を思い出しながら、ハァと溜息を吐き、体育座りになった。


(もう分からん……いきなり媛乃お婆ちゃんの兄ですって言われても……やっぱりワシには対処出来んて……)


 焔は台所の一件の後、暁月から話しかけられても、ひたすら彼を避けていた。

 暁月がいつか目覚めなければならないのは、焔のだって重々承知していた。でも、それはもっと先の話だと思っており、全くの他人事として捉えていた。自分が死んでからの話になるんだろうな、なんて、昔は暁月の寝顔を見てそう思っていた。

 しかし、暁月は目覚めた。焔の前でしっかりと目を開いて、意識を取り戻したのだ。


(本当にアレで成功するとは思わんかった……勇と伊和片さんの実力じゃ、なかなかに難しい事じゃろうに)


 夢の中の事情を知らない焔は、てっきり勇と巫実の2人で暁月を助け出したと思っていた。本来はそこに皇樹の手が入るわけなのだが、それについては暁月も、勇と巫実も言及しようとはしてない。何がともあれ、自分の立ち位置や、立場等、どう処理して良いものか、焔は迷い、悩んでいた。暁月が目覚めた以上、不知火の家もかなり慌ただしくなるだろうし、今までのように適当に過ごすわけにも行かなくなるだろう。

 そうして暫く縁側で過ごしつつも、そろそろ媛乃の手伝いに行かないと文句言われるかもしれない、と、焔がその場で立ち上がろうとした時だった。


「やぁ、キミ。ちょっと隣ええか〜」

「ぁ……」


 焔がその声に反応して顔を上げると、そこには暁月がニコニコと笑み浮かべながらそこに立っていた。

 焔はそんな暁月の顔を見るなり、そそくさとその場から去ろうと立ち上がったが、その前に暁月に腕を引っ張られてしまった。それは途轍もない力で、焔は抵抗出来ない。

 暁月はすぐ自分から逃げようとする焔に対し、言い放った。


「まぁまぁ。そうやって逃げられても、こっちとしても困るんじゃよ。一旦、ちゃんと話し合わんと。な?」

「……ぅ、はい」


 暁月の言い方は優しいものの、逆らえない何かがそこに存在していた。これが暁月から発せられるオーラというものなのだろうか。

 焔が改めて縁側に座り直ると、その右横で暁月が胡座を掻いて座り込んだ。


「今は確か3月じゃったか。昼間はまぁまぁあったかい気がしたが、この時間は流石に涼しいのう」


 暁月はそう言いながら、冷たい風をその身に受けながら、本題に入った。


「で、キミ、何でわしを避けるんじゃ。わしがキミに何かをした訳でもないのに」

「……いや、その」


 焔は言い辛そうに打ち明けた。


「接し方が全くもって掴めないから……って言うか、どうやって距離を保てばええのか、とか、媛乃お婆ちゃんみたいに扱えばええのか、とか……分からんくて」


 と、


「それに、今までワシの周りの大人の男って碌なのおらんかったし、信頼して良いのかとか……まぁ、何もかも分からんくて。気が付いたらアンタが目覚めてて、ワシも心の準備が出来ておらんかったから」

「はーん。そういうことじゃったかぁ」

(ま、いきなりこんなのがぽっと出で出て来たら、思春期男子的にはそうなるかのう)


 暁月は今の焔の説明で色々と察したようで、納得したようだった。自分に対して、そんな風に上手く説明出来ない複雑感情を抱くのは、特に不思議では無い、と、暁月個人は思う。特に今の焔の年代は、自分を取り巻く環境の変化に過敏で、暁月はその1番の要因であったのだろう。

 しかし、理由が分かれば、あとはそのわだかまりを取るだけだ。

 暁月は焔に優しく微笑み掛けながら言い放った。


「直ぐにわしのことを信頼しろ、とは言わんよ。勇くんと巫実ちゃんは夢の中でやりとりしとったし、媛乃と助手くんは昔からの顔馴染みで、それぞれ前提条件があるけぇ。でも、キミとわしにはそれが無い。そんな中で、距離の取り方について迷っちゃうのもよーく分かる話じゃよ」


 と、


「そっちの家庭状況は媛乃から話を聞く限りからしか分からんが、その様子だとまぁまぁ宜しくないようじゃの〜。大人の男が碌なのおらんって何事じゃ」

「……」


 焔は暁月に質問されて、思わず黙ってしまった。今日出会ったばかりの人間に、自分の家庭環境について話して良いのかどうか、少々悩んでいるようだった。あまり自分の家庭環境について口数が多くても良くないんじゃないか、と、思ってしまう。しかし、暁月はれっきとした不知火家の人間であり、焔との血の繋がりもある。部外者と言い切るには身内すぎる人間だ。

 そこまで考えると、焔はゆっくりと顔を上げて、暁月を見た。暁月は焔と視線が合うなり、嬉しそうに笑みを浮かべた。


「やーっと、こっちをしっかり見たのう、キミ。さっきまでずーっと目を逸らしてばっかりじゃし、目が合ったら直ぐ逃げてしまうし、こっちはちょっと寂しかったからのう」

「あ……」

「で、そうやってこっちを見たからには、わしに話せる事があるって事じゃろ。少しずつでええ、話してみんさい」

「……」


 焔は真正面から暁月にそう言われて、つい、遠慮がちに口を閉ざし掛けてしまうものの、それでは前に進む事は出来ないと、ポツリポツリと漏らすように話し出した。


「その……ワシは父親とまぁまぁ仲が悪いというか……。いや、まぁまぁどころか相当か」


 と、


「しかも元々の相性が大分悪くて、ワシは小学校に上がってからはずっと東京の方におる。でも、向こうの方は何故かワシに執着してるみたいで、媛乃お婆ちゃん経由で色々言われることがあるんじゃよ。近くに成績のいい次男坊がいるのに、長男坊のワシに無駄に拘っているというか。ワシはお前の後継にはなれないと、中学生になってから何度も言ってるんじゃが」


 焔は続けて、


「何だか向こうはワシの事をコントロールしたがってるような、そんな感じがするんじゃよ。ワシの魔力を鬼のような力だとか、魔物のような恐ろしいものだとか、そんな事言っておいて……」


 それから、


「ワシはそんな野郎に手を貸す気は微塵も無いんじゃ。お爺ちゃんもお婆ちゃんも、アイツの言うことには微塵も逆らえん。何故かって言えば、アイツは政府機関にある魔法省の議員の1人じゃからな。お偉いさんにはいくら身内と言えども、いや、肉親といえども口答えが出来んのじゃ」


 焔はハァ、と、息を吐いた。どうやら、彼の話は一旦ここで終わるようだ。

 暁月はそんな焔の横顔を見ながら、こちらも息を吐く。


(――怖い顔、しておるな)


 勇達から聞いていた焔像とは真逆の表情が、そこに見えた。自分の父親について話してくれた焔の顔から見えるものは、自分の父親に対しての憎悪だった。話せる範囲で、かつ、浅い範囲で、こちらに話してくれたものの、それは本当にほんの表層だけだろう。もっともっと深く探っていけば、彼の傷口を抉るような話を引き出す事だって出来るであろう。

 けれども、暁月はそれをする事はなかった。今はまだその時では無いし、何しろ、勇達だっている。後輩がいるタイミングで話すような事ではないであろう。

 暁月は、小さく笑み浮かべて返した。


「話してくれてありがとう。議員って事は政治家って事じゃろうから、ま、やっぱり胡散臭さみたいなのは拭い取れんなぁ。というか、政治家になれるほど頭が良い男が輩出されるなんて、不知火家もまだまだやるのう」

「頭は良いが、魔法はちょっとしか使えんのじゃよ、アイツは」


 焔は呆れたように、そう返した。


「まぁ、大人基準の『ちょっと』じゃ。ワシが話すよりも使えるぐらいに思ってくれて良いが、あの父親、それがどうにもコンプレックスだったようでなぁ。息子のワシは何もせずとも甲ランクまで魔力があるのに、自分は何とか伸ばして丙ランクだったから、それでこっちへの当たりが強い……ってのが、媛乃お婆ちゃんの分析じゃの。兄弟ならまだしも、よりにもよって息子をコンプレックス解消の道具にしないんで欲しいんじゃが」

「そうかぁ……せめてワシがキミの父親なら、優しく出来たんじゃがのう」

「それはそれで勘弁してくれ。アンタの優しさは父ちゃんってより母ちゃんのそれじゃ。頭が混乱するわい」

「……そ、そうかぁ」

(そんなに女臭いか、わし……?)


 顔についてはよく女っぽいと頻繁に言われていた暁月であるし、そこについては本人も了承している事ゆえ、さして気にしたことがないのだが、こうやって内面にまで言及されるとリアクションに困ってしまう。現役時代は匂いも何処かお母さん臭いと言われていた為、思わず自分の体臭を嗅いでしまった。

 焔は、自身の体臭を嗅いでいる暁月に対し「何してるんだ」と、呆れような目で見つつも、その様子にどこか既視感を覚えたようで、思わず小さく笑みを漏らして、言い放った。


「体臭なんて、自分で嗅いでみたところで全然分からんもんじゃぞ。そんなに気になるなら、お風呂なりなんなり入った方がええぞ、暁月お爺ちゃん」

「お、おじ……」


 唐突な焔からの「お爺ちゃん」呼びに、暁月は思わず固まってしまった。焔はそんな暁月の様子に、ゲラゲラ笑いながら立ち上がった。


「媛乃お婆ちゃんがお婆ちゃんなんじゃぞ、兄のアンタはお爺ちゃんでええじゃろ。お兄さんって呼ぶのもなんか気色悪いし、ジジイ扱いで丁度ええわ」

「う、うぐ……まぁ、確かに、キミから見たら、わしゃあお爺ちゃんじゃがなぁ」


 そう言って、暁月も立ち上がった。その様子は、何処か腑に落ちない様子であった。リアルタイムで180年を駆け巡って来た媛乃と違い、ずっと眠っていた暁月は己に対するジジイ扱いには慣れていないようだ。

 2人がそうやって歩き出した途端、媛乃が作っているらしい料理の匂いが台所方面から漂い、こちらの鼻腔を擽ってきた。焔はそろそろか、と、近くの部屋の時計で時間を確認してから、暁月と共に居間へと向かった。


 2人が居間の方に辿り着くと、そこでは勇と巫実が一足先に着席しており、なかなかの大画面である液晶テレビでニュースを見ていた。

 勇は映像を眺めながらも、その画面の大きさに感動していた。


「いや〜! 普通のニュースなのに、映画を見てる気分じゃのう! 金持ちテレビはこんなにデカいんか」

「私、このテレビで好きなドラマ見てみたいかも……」


 なんて、口々にはしゃいでいる。

 実に年頃の少年少女らしいはしゃぎ具合だと思いながら、暁月と焔は勇と巫実の向かいに着席した。すると、勇と巫実は向かいにいる2人に気が付いたようで、先に勇の方から彼らに声を掛けた。


「2人とも、話は終わったんか」

「お陰様でな。焔くんはこっちをジジイ扱いしてくるから大丈夫じゃよ」

「だって本当にジジイじゃし」

「ぐぬぬ、肉体精神年齢共々まだ14歳だって言うのに……」


 焔の非情なジジイ扱いと、それに納得していない様子の暁月。勇と巫実はそんな2人を苦笑しながら見つめつつ、この様子なら大丈夫そうだ、と、安心もしていた。焔は先程まで表情が硬かったものの、今はいつも通りの柔らかさがあり、勇達が見知っている彼がそこにいた。

 しかし、こうして並ぶと髪の毛の色や背丈が全く違う媛乃よりも、こちらの方が双子のように見えるなぁ、なんて、勇は思う。それぐらいまでに、2人は瓜二つだ。

 暫くしていると、ニュースから速報として、とある音声が流れた。


『只今、速報が来ました。魔法省の大臣に不知火灯悟議員が任命されました。繰り返します。魔法省の大臣に不知火灯悟議員が――』


 ――不知火?

 勇、巫実、暁月は思わず反応して、首を傾げた。そして、何となく焔の方へと視線を送った。まさかそんな偶然があるわけない、と、3人は思っていたが、焔は気不味そうな顔で頷いた。


「暁月の爺ちゃんにはさっき話したが……この不知火灯悟ってのは、ワシのクソッたれ親父じゃ」


 焔がそう言い放った途端、不知火灯悟の映像がニュースで流れ始めた。女性的な顔立ちな焔とは正反対の精悍な男性的な顔立ちではあるが、目元や虹彩の色、髪の色が非常に似ており、言われれば親子である事が納得出来るものだった。

 暁月と勇はその事実に強く動揺して、思わずその場で叫んでしまった。


「えっ、ぇぇぇえええ――――ッ!?」


 ――夕飯前だと言うのに、飯があまり美味しく感じない情報が飛び込んできてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る