030:守りたい気持ち

 媛乃は昔からの顔馴染みであり、焔はかなり世話になっていた。相性の悪い両親との事もしっかり理解を示してくれていたし、その中で、東京にある不知火邸に焔を招待し、住まわせているのも媛乃の計らいである。媛乃はよく、焔は暁月にかなり似ているから放って置けない、と、頻繁に話してくれたが、こうやって不知火暁月本人が目の前に現れると、リアクションに非常に困るものだ。自分によく似ているのもそうだし、向こうは媛乃みたいにリアルタイムで180年間を生きていない為、肉体・精神年齢共々、関してもこちらとほぼ変わらない。

 焔は180年ぶりに兄妹で団欒を交わしている媛乃と暁月を見て、こっそり居間を退室した。これ以上自分がいても邪魔者でしか無く、ここに交われるとしたら助手ぐらいのものだろう。

 そうして焔が廊下に出ると、勇と巫実が、丁度遅い昼飯を調達しようとしていたらしく、ばったりとそこで出会した。焔は先程まで2人が暁月の夢の中に居たことを思い出し、心配の声を掛けた。


「勇、伊和片さん。そんなに動いて大丈夫か?」

「大丈夫じゃよ。別に何ともないし、ただ眠ってるだけじゃったしのう。なぁ、巫実さん」

「うん……」


 巫実は勇の言葉にコクンと小さく頷いて、焔を見た。


「あ、あの……生徒会長さんは、暁月さんと媛乃さんの側にいなくて大丈夫ですか……? あの2人、話してるんですよね……今」

「あー、別に大丈夫じゃろ。ワシがおらんでもあの2人で勝手に盛り上がっておるけぇのう」


 そう言っている焔の表情は、何処か心ここに在らずな様子で、いつものあっけらかんとしていて優しげな笑みを浮かべている焔は、少し離れている場所にお出掛けてしているようだった。

 「そんなことより」と、焔はさっさと話題を切り替えた。


「2人は飯か?」

「ああ、おにぎりかパンぐらいは腹に突っ込んでおかないと、腹が結構空いてのう」

「私も……結構お腹空いちゃって」


 2人は自分達の空きっ腹を撫でながら焔にそう言い放った。

 焔はそんな2人を見ると、よし、と、笑みを浮かべて、そのまま台所へと向かった。


「じゃ、ワシが適当にパンと何かしら作るけぇ。客人である2人に何かを作らせるのは、こっちとしては申し訳ないからのう」

「えっ……いや、そこまでして貰わんでも良いぞ。それ言い出したら、焔だって客人じゃろうに」

「そ、そうですよ……私達で何とかします……」

「ワシだって、元々こっち側の人間じゃ。少しぐらいはおもてなしさせてくれ」


 焔は遠慮している2人に対して、そう言いながら笑って、そのまま巫実と勇を台所まで案内した。


 焔は勉強以外は大体なんでも出来る、というのが焔の周りの人間の共通認識であるが、まさか料理まで完璧に熟してくるとは、巫実と勇は思ってもみなかった。

 焔が2人の前に用意したのは、各々にトースト一枚と目玉焼きと焼きウインナーであるが、それだけで焔の料理の腕がしっかりと見えた。特に目玉焼きはしっかり綺麗に黄身が真ん中に置かれており、相当器用に熟している。焼きウインナーも大きく焦がすことなく、程よく焼き目が付き、非常に美味しそうだ。

 勇と巫実は台所備え付けのテーブルにつくと、目玉焼きに醤油を掛けながら、有り難く焔の作った遅い昼食を頂いた。


「うーん、これだけでもワシが作るよりも美味い。焔は本当に勉強以外は何でも出来るのう」

「私なんて、ウインナー焼いても真っ黒になるし、目玉焼きはそもそも卵上手く割れないから作れないし……生徒会長さん、本当にすごい……」

「伊和片さん、それは流石にもうちょっと頑張った方がええぞ……」


 思ったより巫実の料理事情が悲惨だった為、焔は苦笑しながらそう返した。勇から「巫実はドジっ子で何にも出来ないらしい」と、チラッと聞いたことがあるものの、まさか魔法以外も本当に悲惨とは思いもしなかった。

 焔はトーストの上にバターを塗ると、そのままソースを掛けた目玉焼きを上に置いて、食べ始めた。焔も焔で、朝食以降何も口にしていない為、腹が減っており、食の方は問題なく進んだ。

 3人がそうして暫く食事をしていると、廊下の向こう側から足音が聞こえてきた。一体なんだなんだと勇達が顔を上げると、台所の扉から、暁月が顔を覗かせた。


「おー、なんじゃなんじゃ! 良い匂いがすると思ったら、何やら美味しいもの食べとるけぇのう、お前ら」

「あ、暁月さん!」


 まさかの暁月の登場である。

 暁月はこの短時間で身なりを整えたようで、勇と巫実が夢で見たように髪の毛を一本に縛り、服装の方は白いYシャツに黒い長ズボンと、かなり落ち着いた服装に着替えていた。こうして見ると、このシンプルな服装が似合っている暁月は、本当にモデル顔負けの美形だ、と、勇と巫実は少し恐れ慄いてしまう。

 ひと足先に全て食べ切っていた焔は、暁月が出てくるなり、さっさと食器を片付けた。


「……じゃあ、2人とも。後でワシが片付けるから、食器は水道に置いといてくれ」

「えっ……あ、ああ……」

「は、はい……」


 そして、焔は台所から出ていった。

 勇と巫実は困惑しながら、お互い顔を見合わせて、それから再び焔へと視線を送った。焔は暁月とすれ違っても、特に顔を合わせもせず、そのまま立ち去っていた。

 暁月の方は何かしら声をかけようとしたものの、焔がとっとと去ってしまった為、何も言えずじまいであった。暁月は「うーん」と首を傾げながら、巫実と勇に寄った。


「わし、あの子に何かしたかぁ? さっきからまともに顔も合わせんし、目も合わせてくれない気がするんじゃが」

「いや、別に何もしてないと思うんじゃが……」

(やっぱりアイツの様子、暁月さんが目覚めてからおかしいなぁ)


 暁月の言葉はしっかりと否定しつつ、焔の様子がおかしいのを勇は確信した。

 暁月の方は焔の態度で精神的にダメージを受けていない――訳もなく、普通に眉を下げて寂しそうな顔をしていた。素直に溜息を吐き、台所備え付けのテーブルの椅子に、腰掛けた。


「まぁ、こんな奴がいきなり現れたら、ああなるのも無理はない気がするんじゃが、もう少し愛想良く振りまいて欲しいもんじゃけぇのう。遠い血筋とは言え、お互い不知火の者同士じゃし」

「焔は普段あんな奴じゃないから、ワシも余計に不思議じゃよ」


 勇は暁月にそう返した。


「普段のアイツなら、暁月さんに手取り足取り世話を焼いてくれそうなもんじゃ。現に東京の学校に転校してきたばかりのワシに世話焼いてくれたのアイツじゃし」

「そう言えば、今はあの子が竹部と梅部の生徒会長じゃったか。なんだか、わしとは違ってかなり優秀そうじゃのう」

「いや……別にそうでも。この間は試験最下位回避してめちゃくちゃ喜んでおったぐらいじゃし」

「……そうかぁ」


 暁月は勇のその言葉を聞いて、瞳をパチクリとさせてみるものの、すぐにクスッと小さく笑みを浮かべた。


「媛乃から聞いとったが、想像以上にわしに似ておるんじゃなぁ、あの子。最初見た時、あまりにもわしにそっくりだったから本当驚いたもんじゃったが」

「あの人曰く、生き写しってぐらい似てるようじゃ。ワシもアンタと話してて、本当に焔まんまだなって普通に思っておるからのう」

「うん、そうかぁ。あの子は不知火の血が濃いのかもしれんねぇ」


 なんて、暁月はケラケラと笑ってみせる。やはり、こういう部分はしっかりと焔に受け継がれているし、相当な似た者同士だな、なんて思う。だから、焔がああやって暁月を避ける理由が、皆目見当も付かず、勇は思わず悩んでしまった。気まずいにしたって、もう少し何かしら取り繕えるだろう、と。

 暁月は勇の話を聞いて「そうじゃのう」と、頷き、続けた。


「わし、あの子と何とか話してみるけぇのう。兄ちゃん直系の子孫ゆえに色々気になるのもあるけど、あの子の家庭環境もまぁまぁ複雑なようじゃけぇ。血縁者でかつ身内であるわしが色々と話を聞いた方が、今後のあの子の為になると思うんけぇよ」

「あー、なるほどのう。それもそうか」

(そう言えば、焔、親父さんと仲悪いとか言っておったなぁ)


 勇は焔の昨日の言葉を思い返した。曰く、焔の父親は不知火の男にしてはかなり真面目であり、お堅い人物で、その辺緩い焔とは折り合いが悪いと聞く。と、なれば、似たような性格の暁月とは絶対に仲良くなれない人物であろうし、そこで暁月を味方に据えることが出来れば、焔の今後の助けになるであろう。それに、暁月の立場は媛乃と同じぐらいの立ち位置であろうし、そうなれば焔の不知火家での立ち位置も更に有利になる。

 暁月と焔が手を組むこと自体、そう悪い話ではない。似たような性格の暁月ならば、焔の理解者にもなり得よう、明らかにメリットの方が大きい。

 暁月はクスッと笑いながら続けた。


「ま、あのぐらいの年頃の男子は難しいけぇ。わしなんて周りの方が何かと面倒だったから、自分の事は一旦後回し、なんて事も多かった。だから、わしはああいう子の対処は慣れておるし、勇くんと巫実ちゃんが気にするような事でもないんじゃよ。心配なさんな」

「そ、そうか……」

(そう言われると説得力あるんよなぁ……雰囲気的に)


 そういうところもやっぱり焔まんまだ、なんて、勇は思う。焔も面倒な生徒や後輩の対処には相当慣れていそうであったし、熟れている。しかし、今はその「面倒な子」の立ち位置には、焔が立っている。暁月が自分が対処出来ると言い切れるほどに。

 勇は「そういえば」と、思い出したように顔を上げた。


「あの、暁月さん。つかぬ事を聞くが、何で目覚めることが出来たんじゃ? 結構強めの力であの鎖に縛られておったよな」


 夢の中で暁月が1人でに目覚めた事が、勇の中では結構な疑問であった。皇樹が対処したにしろ、流石にあの短時間でそこまでは出来ないだろうと思うし、そう簡単に目を覚ませるような代物じゃないものがくっついているのもそうだ。180年間、ずっとあそこに閉じ込められ、鎖に繋がれ、魔力を吸い取られ続け――そんな人間があっさり目覚めるなんて、普通なら信じられない光景である。

 勇にそんな質問をされた暁月は「そうじゃのー」なんて、呑気に視線を上に、ぼんやりと当時の事を考えていた。


「なんじゃろうなぁ……キミ達の声が聞こえてきた途端、こう、体が自然と動いたんじゃよ」

「えっ」


 と、勇と巫実が驚いている間にも、暁月は続けて、


「まぁ、その前に眼鏡の子が生徒会室からわしの事を無理矢理引き剥がしてくれてたからってのもあるんじゃが、決定的なのはキミ達の声じゃよ。わしが行かないと怪我をする子がいる、死んでしまうかもしれない子がいる――そう思っていたら、わしに巻きついていた鎖が壊れてな。そうしたら、動けるようになっておったんじゃ」

「そ、そうだったんか……」

「誰かを助けたい、誰かを守りたいというのは、わしの中では確立された原動力なんじゃ。そうでなければ、この鬼のような魔力を持っている理由が無いからのう」


 そう言って、暁月は自分の手のひらを見つめた。血管が薄らと見える、きめ細やかな白い肌であったものの、そこには不知火家屈指の魔力が流れている。今は鎖に力を吸い取られていたダメージがある為、万全とは言えないものの、しっかりと休んで回復したら、あの媛乃さえも凌ぐ魔力を見せることになるだろう。

 暁月は続けた。


「不知火の家は魔法という概念が確立する前から、莫大な魔力を持っていてのう。WW2以前は、それこそ鬼だとか魔物だとか言われて恐れられておったらしい。でも、その後、政府の一部が魔法の研究を頑張ってくれたお陰で今の不知火家がある」


 と、


「わしはこの力で何としてでも他人を守りたいと、常日頃から思っておる。その対象はあの子だって例外じゃないけぇ。後で媛乃からはもう少し詳しい話を聞くけど、今の不知火家、裏で胡散臭い糸が引いているような気がしてならんのじゃよ」


 続けて、


「ま、わしについてはそんな感じじゃ。あの子とは夕飯前にでも一度話してみようかのう」

「焔がそれで拒否ったら、ワシからも文句言っとくから明日は絶対話せるぞ」

「あはは、頼もしい子じゃ。うん、是非ともそうしてくれ」


 そう言って、暁月は立ち上がると、台所の前に立ち、自分の分の軽食をその場で作り始めた。野菜とパンとバターと辛子を用意している辺り、サンドイッチを作るのだろう。料理を作るのが得意なのまで焔そっくりか、と、勇は苦笑しながら溜息を吐いた。

 そして、先程、暁月が言っていた言葉を脳裏で反芻した。


『――今の不知火家、裏で胡散臭い糸が引いているような気がしてならんのじゃよ――』

(胡散臭い、糸、か……)


 暁月の言い分を汲み取ると、今の焔はそれに巻き込まれる寸前の立ち位置であるという事らしい。


(焔……これからも平和に過ごせればいいんじゃが)

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