029:目覚めた先は遠い未来

 暁月は、当時着ていたのであろう黒い学生服をそのまま着ていたが、それがよく似合っていた。女顔の美形というのもあるが、焔に負けないスラリしたスタイルは、何を着せても映えるであろう。正にモデルのようで、勇はそれだけでも動揺していた。モデルのような美形というだけで、ここまで動揺したのは、勇にとって初めてだ。

 そして、勇が暁月を見て動揺している間にも、烏の大群は再び復活の兆しを見せた。先ほどは暁月が適当に追っ払ったようだが、今度は適当というわけにも行くまい。

 暁月はここまでしつこい烏達に対し、呆れたように溜息を吐きながら、その右手の中には確かな魔力を集めていた。


「うーん、アイツの魔力凄いけぇのう〜。まさか、ここまでしつこく他人に攻撃的とは」


 暁月は右手の手の平を烏達に向けて、魔力を肉眼で見えるように、そこに顕現させた。――炎の塊が、そこに集まってきている。

 烏達はその暁月の魔力に動揺を見せ始めたのか、各々大きく鳴き始めた。カァカァと烏達が喚き散らす中でも、暁月の魔力は一切の容赦を見せなかった。


「申し訳ないけど――焼き鳥、追加じゃッ!」


 そして、暁月から烏達に向かって焔の塊が勢いよく投げられた。その炎の塊は次々と烏達に着火して、彼らを燃やしていく。烏達の燃やされた亡骸は次々と地面と落ちて、消し炭となって消えて行った。

 暁月は一通り烏達が燃え尽くしたのを確認してから、改めて勇と巫実に向き直った。焔によく似ているようでどこかが違う――そんな暁月の雰囲気に、2人はドキリと緊張してしまった。彼はそんな2人の心情を露知らず、ケラケラ笑いながら、普通に話しかけた。


「あはは、まさかわしが他の奴らに助けられるとはなぁ。いつも誰かを助ける側だったから、ちぃーと慣れんのう」

「あ……えっと……」

「ええんよええんよ、遠慮せんで」


 と、


「で、他の奴らはどうしちょるん? ここ、夢の中じゃけぇ、現実世界では無いんじゃろ?」

「ぁ……」

(そ、そうか……。ずっとここで眠ってたから、外では180年経ってるの知らないのか……)


 勇はチクリと心にその事実が刺さった。多分、暁月の方は水無月の件から今の時間まで2〜3日程度の出来事にしか思っていないのだろう。

 勇はここでこの事実を話すべきかどうか迷った。自分たちの役割は、暁月の意識を現実世界に引っ張り出す事で、細かい説明については役割のうちにない。これは媛乃の方が役割としては適しているし、適切な言葉を選んでくれるだろう。


「勇くん……」

「……ああ」


 巫実も同じようなことを考えていたようで、不安そうに眉を下げつつも、勇に確認した。やはり、ここは自分達が説明して暁月の気分を下げるべきものではない。

 暁月は神妙な様子の2人を見るなり、不思議そうにその様子を眺めていた。彼らに何か話せない事情があるわけではない、と、思い込んでいる故に、今の2人の口籠もり具合が不思議でしかないのだ。

 「それはそうと」と、暁月は思い出したように顔を上げて、2人に言った。


「さっき、眼鏡の子がキミ達をわしに託して消えて行ったぞ。魔力の方が限界だったんじゃろうなぁ」

「そ、そうか……」

(そういえば、あの姿はあくまでも夢の中限定だもんな……)


 どうやら、皇樹はひとまず先に足抜けしたようだ。現実世界の彼の状況を思い返すと、それも無理もない話で、容量も3分の1未満まで引き下げられているのだから、逆にここまで来られたのが不思議なぐらいであろう。彼がいなければ暁月を助ける事が出来なかったのも事実で、そこはしっかり感謝しなければならない。

 取り敢えずは、暁月を現実世界に帰すのが先か。勇は息を吐きながら、言った。


「じゃあ、現実世界に帰りましょうか。これ以上ここに居ても何もないじゃろうし」

「ああ、そうじゃなぁ。わしもいい加減目を覚まさないと、友人に怒られるわい」


 何も知らない暁月はケラケラと笑って、そんな事を言い放った。

 その笑みは普段なら頼もしいものなのだろうが、今の勇と巫実にとっては、チクリと心臓に刺さる小さくも鋭い針のようなものであった。


「ママ! 暁月は絶対起きるぞ! 大丈夫じゃ!」


 そして、足抜けしていた皇樹、もとい、助手は現実世界で目覚めるなり、媛乃にそんなことを言い放っていた。助手は皇樹として暁月の夢の中を巡っていた事は覚えてはいないものの、暁月が目を覚ました瞬間は脳裏のどこかに張り付いたようで、それを根拠にひたすら媛乃に大丈夫と連呼していた。

 一方で、媛乃は「そうね……」と、助手の頭を撫でて、彼の言葉をそこまで信頼していない様子だった。


「まぁ、あの2人が何とかしてくれるだろうし、大丈夫だと私も思ってるわよ」

「そうじゃないんじゃ! 暁月は本当に起きるんじゃ!」


 どうやら、媛乃は自分を慰める為・安心させる為に助手がひたすら連呼しているとしか思ってないらしく、彼の言葉を深く捉えていないようだった。


「暁月は大丈夫じゃぞ! ママ!」

「少年……?」

(一体どうしたのかしら……)


 流石に暁月の事で、助手がここまではっきり言い切るなんて事は無かったので、媛乃は首を傾げながら彼の様子を伺っていた。深く意味を捉えようはしなかったものの、そこまで言い切るなら何かしら根拠があるのかもしれない、と、媛乃が訝しげに考え始めた瞬間だった。


「ん、んん……」

「んぁ……」


 巫実と勇の目が醒めて、現実世界へと戻ってきたのである。

 2人は暁月の体から自分たちの上半身を起こして、キョロキョロと辺りを見渡していた。待機していた他の3人は、巫実と勇を見るなり、すぐにそちらへと駆け寄って、その様子を見た。


「ガキジジイ、ハムスター。大丈夫?」

「2人とも、体に異変はないか」

「起きたんじゃ!」

「皆……ワシは何ともないぞ」

「だ、大丈夫です……少なくとも私は……」


 勇と巫実は3人に見守られる中で、自分達は特に何も無いと言い切った。

 そして、一同の視線は未だに眠り続けている暁月へと向けられた。


「暁月〜! 起きるんじゃ!」


 助手がゆさゆさと暁月の体を揺さぶった。勇と巫実も、夢の中で出会った彼は絶対に本物の彼の意識である事を確信していた為、彼が目覚めるように心の中で強く祈った。あそこまでやっておいて、現実世界に戻れない、なんて事は絶対に無い筈だ。

 それから1分、2分、3分と時間が経ち、暁月の体がピクッと動いた。


「! 兄さん!」


 媛乃が即座にそれに反応して、彼の顔を覗き込んだ。助手も暁月に呼びかける。


「暁月! ママ居るぞ! 起きるんじゃ!」

「ッ、ぅ……ん……」


 そして、暁月が唸り始めた。

 同時に――彼の緋色の虹彩が、薄らと見え始めた。


「暁月ッ!」

「兄さん……!」

「暁月さん……!」「起きたか!」


 そうして、5人が見守る中――不知火暁月は目を覚ましたのだった。

 暁月は横になったまま、キョロキョロと辺りを見渡して、媛乃と助手の姿を確認。それから、先程、夢の中で自分と出会った勇と巫実の姿を見て、次に、焔の存在を確認した。焔の姿を見るなり「アレ?」と、不思議そうに目をぱちくりと開閉させ、上半身を起こした。

 媛乃はそんな兄を腕で支えて、慌てて声を掛けた。


「兄さん、あまり動かないで。長い間横になってて、急に起きたら体に何が起きるか分からないんだから」

「……ぇ?」


 暁月は媛乃にそう言われて、動揺を見せた。暁月はてっきり、2〜3日程度の出来事だと思っていたが、この妹の様子、明らかにそうではない。

 暁月は媛乃に質問した。


「なぁ……媛乃。わしはどんだけ眠っておったんじゃ」

「……180年」


 媛乃は暁月に、はっきり、そう言い放った。


「180年よ。あの日から、ずっと――今の今まで、貴方はここで寝ていたのよ」

「……!」


 暁月は緋色の目を丸くして、媛乃の肩を掴んだ。


「媛乃、嘘を付くなッ! 普通の人間がそんなに眠れるわけないじゃろッ!」

「……嘘じゃないけぇ」


 そこへ口を挟んだのは、意外にも焔だった。

 暁月は自分によく似た少年へとその緋色の目を向け、一方で目を向けられた焔は、携帯を取り出して、その画面を見せつけて、日付を確認させた。


「今は2445年の3月じゃ。ワシはアンタの兄ちゃんのずっと先にいる子孫――もう、それぐらいの時が流れてるんじゃ」

「……」


 暁月は焔のその言葉を聞くなり、媛乃から離れて、その場で茫然自失としてしまった。

 一方で焔は携帯を仕舞い、勇に言い放った。


「勇。その人を一階に連れて行くぞ。地下に放置したままじゃいかんけぇ」

「えっ!? お、おう……た、立てるか……?」


 勇はさっさと事を進めようとしている焔に驚きながら、暁月に話しかけた。暁月は勇の言葉に反応して顔を上げると、小さく頷き、手で床を押して、その場から立ち上がろうとした。しかし、立ち上がるだけの筋力が使えず、すぐに姿勢が崩れた。焔と勇はさっさと暁月の体を支えて、ゆっくりと彼を立ち上がらせた。

 暁月は2人の少年に支えられながら、不知火本家の一階へとゆっくりと歩いて向かった。


 その後ろから、媛乃と巫実、助手はついて行った。

 媛乃は暁月の背中姿を見ながら、巫実にポツリとぼやいた。


「ねぇ……私、間違ってたのかしら」

「えっ?」


 巫実は媛乃のその問いかけに思わず驚いて、彼女へと振り向いた。

 媛乃は続けて、


「あのまま、兄さんが朽ち果てるのを見て行った方が、あの人にとって幸せだったのかしら。次に目を覚ましたら180年後でしたなんて、普通なら耐えられないし、私も耐えられる自信がないわ」

「あぅ……」


 確かに、先程の暁月のリアクションを見てしまうと、媛乃がそう思ってしまうのも無理はない。巫実だって暁月と同じ立場なら絶対そうなるし、何しろ、時代が移り変わりすぎて、友人すら居ない状態だ。媛乃の言う通り、耐えられる自信はない。

 しかし、それでも、巫実は確信を持って言える事があった。きっと、これは勇もそう言うであろう。

 巫実はそれを口にした。


「でも……目を覚まして、意識を取り戻した方が良い……って私は思います」

「ハムスター……」

「暁月さんがこれから先、何を経験するかは分からないですけど……眠ったままじゃ、人生何が損してるんじゃないかって……そう、思えてならないんです」

「……そうね」


 媛乃は顔を上げて、改めて、暁月の背中姿を見た。

 一同はそろそろ一階へと登り立つ。暁月にとっては180年ぶりの地上だ。それを見て、彼がどう思うか――彼以外は知る由もなかった。


 暁月は、久々に地上の光景を見た。180年前に比べて、外の光景はガラリと様相を変えており、困惑しか見えなかった。歴史で言えば、江戸時代中期から平成時代の序盤に相当する長い時間を眠っていたのだから、何も変化がない方がおかしいのだが、それでも、受け入れ難いものはある。

 居間に通され、暁月はそこに座らされる。媛乃と焔が向かい合い、色々と説明し始めた。


「ま、さっきコイツが話した通り、今は2445年。当時から180年ぐらいは経ってるわね。魔法の技術や科学技術も当時よりはまぁまぁ発展してるけど、それ以外は相変わらずだし、そんなに意識する事はないと思うわ」


 と、


「アンタの友達は既に全員お空の上に行ってるし、当時の兄さんの知ってるのは私と助手だけ。学校も休学扱いにはなってたと思うけど、流石に180年前のデータは残ってないし、中退扱いになってんじゃないかしらね。ま、何にせよ、以前のような生活に戻れるかってーと、無理ね」

「そう、かぁ……」


 暁月は媛乃から一通りの話を聞いて、溜息を吐いた。自分が180年間寝ていたという事実すら受け入れ難いのに、周りの環境が変わってるのだから、余計にこれからどう生きていけば良いか分からないものだ。

 とは言え、と、暁月は続けた。


「あのまま朽ち果ててミイラになるよりは、ここで目覚めて良かったと思うけぇ。あのまま目覚めんかったら、わしの魔力、ずーっと吸い取られ続けるだけだったんじゃろ? その点については、勇くんと巫実ちゃんに感謝せんとな」

「兄さん……」


 目覚めて良かったとケラケラと笑っている暁月を見て、媛乃は何処か胸を撫で下ろすことが出来る気がした。巫実の言う通り、あのままで居るよりも、ここで目覚めてくれた方が、暁月の為になった。媛乃はそう思えたのだ。

 一方で、焔はそんな不知火双子のやりとりを見つめながら、テーブルの上で頬杖をつき、1人で溜め息を吐いていた。


(不知火暁月、か……接し方、まるで分からん……)


 親類縁者かつ、媛乃の兄。媛乃のように老人扱いしてやれば良いのか、それとも、親戚のお兄さんのように扱えば良いのか、焔はその距離感に非常に戸惑っていた。

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