028:復活の緋色

「ぅぉおぉおおおお――――ッッ!」


 皇樹の剣の刃が、暁月の首に纏わりついている氷の鎖へと斬り込まれた。分かってはいたものの、この氷の剣、相当な強度を誇り、ちょっとやそっとでは壊れてはくれない。皇樹の魔力と氷の鎖の強度が拮抗して、ピリピリと腕に向かって電撃が走る。


「ぐっ、ぅうっ……!」

(一回だけじゃ、斬り込めんか……!)


 これ以上はこちらの魔力が限界であると、皇樹は一旦そこから離れた。今ので大分魔力を消費しており、皇樹は「ゼーハー」と肩で息をしていた。

 そして、皇樹の手は薄らと透けており、向こう側が見えていた。その事に気が付いた本人は、激しく動揺して体をビクッと跳ね上がらせた。


(ま、まずい、魔力を想定以上に振り回し過ぎたか……!)


 夢の中とは言え、今の皇樹は当時の残り香を使ってこの姿で顕現出来ているようなものだ。そこで魔力を使い過ぎてしまえば、この姿が維持出来なくなるのも至極真っ当であるし、消えてしまうのも致し方無しであろう。しかし、目の前の暁月は、自分がどうにかしなければならない。あの2人では、暁月を助け出すだけの力が無い。

 皇樹は数少ない魔力で、この場をどう切り抜ければいいか、顔を上げて考えた。暁月をこの鎖から解放すれば良いのであれば、その後の事は2人に託すのが鉄則であろうか。


(何にせよ、僕がコイツを助けないと……)


 皇樹は向き直った。


(今回の件、媛乃さんにとっては悲願の一つ……何とかしてでも叶えたい……!)


 媛乃は兄の暁月が長い眠りについてから、ずっと彼が目覚める方法を探していたのを、小さい自分越しに皇樹は知っていた。もし、自分が小さくなっていなければ、暁月のことはさっさと助けられただろうし、彼女を助ける事が出来たであろう。しかし、それは180年近く、今になるまで成し遂げる事が出来なかった。

 皇樹は、目覚める事がない暁月とそれを見ている媛乃を目の前に、何も出来ない体になってしまった事を、心のどこかで悔やんでいた。


(暁月……何とか、目醒めてくれ。媛乃さんの為にも……ッ)


 皇樹がそう思いながら、再び剣を構えた所だった。


「な、なんじゃ、ありゃあ!」


 皇樹の集中を撃ち飛ばしたのは、そんな勇の驚愕の声であった。皇樹は勇のその言葉にハッと反応して、思わず顔を上げて周りを見渡す。部屋の中に異変はない。勇が見てるのは――窓の向こう側だ。

 皇樹はそちらへ視線を合わせると同時に、窓から勢いよく生徒会室に向かって、何かが転がり込んできた。


「ッ!」


 窓ガラスを大きく破る音が響く。

 皇樹達の目線の先に居たのは――凶悪な魔力を纏った無数の烏だった。


「か、カラス……!?」「なんで……!」

「……!」

(この魔力……どう考えても水無月のヤツの……。まさか、鎖に攻撃したら発動するように仕掛けてあったのか!)


 烏達はその黒い体を見せつけながら、3人を囲うように部屋の中に広がっていく。


「い、勇くん……」

「……っ」


 勇は烏に囲まれるなり、それに怯える巫実を肩からギュッと抱き締めた。巫実はちょっとは魔法が使えるとは言え、こういう時には非戦闘員であり、戦いには向かない。最悪、逃げ切るしかないのだろうが、勇だけで何とかなるものか――。

 勇が巫実を抱き締めている中、皇樹は続けた。


「……お前ら、逃げろ。生徒会室までの道は把握しておるじゃろ」

「!」


 まさかの皇樹からの一時撤退宣言だった。

 皇樹は続けて、


「暁月の事は僕が何とかするから、どっか退け。お前らみたいなのがいても足手纏いにしかならん」

「で、でも!」

「良いから行け! こんな烏の大群、今のお前らにゃ対処出来んッ!」


 それでも、尚、食い下がろうとする勇に対し、皇樹は怒鳴り付けるように、そう言い放った。巫実はすっかり皇樹に対して怯えの様子を見せていたものの、勇には自分達を無事で居させたい彼の気持ちが伝わったようで、巫実の手を繋いだ。

 勇はそのまま彼女の手を引いて、烏の大群の中を縫って、そのまま生徒会室の外へと駆け出した。

 皇樹はそれを見送ると、小さく笑みを浮かべて頷いた。


(……それで良い。お前は自分の女を護る事だけを考えろ)


 それから、皇樹は烏の大群と暁月を見て、ここからどう切り抜けるか考えた。少なくとも、自分の魔力のリソースは、この烏達がいる限り、暁月に割けないのは確定している。そして、暁月を助けようとすると、この烏も増えるだろう。

 ――そうなれば、いっそ、この部屋を丸ごと焼いてしまった方が早い。

 魔法を発動した瞬間、とっとと逃げられるように暁月の側に寄り、そこからジリジリと窓の方へと近付いていく。その魔法で暁月がこの鎖から解放されるかは分からないものの、ここでうだうだと考えるよりは、焼き尽くした方が早い。最悪、暁月だけでも外に放り投げてしまえば、自分は現実世界に戻るのみだ。

 さて、今、皇樹は割れた窓ガラスの前に立ち、暁月を盾にしているような立ち位置であるが、後ろから見た際に、どこからか鎖が生え、どうやってそれらが暁月を縛っているのか確認していた。


(やはり、天井破壊一択か……)


 皇樹は自分の剣を改めて握り直しながら、そこに自分の魔力を集中させた。炎を意識している為か、剣の周りには真っ赤な炎がゆっくりと集まり、その周辺の気温がゆっくりと上昇していく。そして、皇樹の顔は炎により赤く、明るく照らされる。

 皇樹の狙いは天井と、そこからの延焼である。この烏達を焼き鳥にしてしまえば、一旦は烏達の動きは収まるであろう。


(――やるか)


 そうして、皇樹の剣が頭上へと掲げられた。この部屋を燃やすだけの魔力は十分に剣に集まった。


(天井は木製。延焼狙いには十分じゃ!)

「――はぁっ!」


 皇樹は勢いよく飛び上がり――炎の剣を、天井に向かって思い切り振り翳した。天井が剣を刺されたところから勢いよく割れる。


「ふっ、んっ!」


 そして、皇樹はそのまま剣と腕を進め、天井を一刀両断する形になった。途端、生徒会室は大きく崩れ始め、炎も真っ先に壁や小物に延焼して行った。

 肝心の暁月の方は、天井が崩れると同時に、その体が床へと落ち、その場で大きく倒れた。


「暁月ッ!」


 そんな暁月をとっとと回収する為に、皇樹は倒れている彼に向かって駆け出し、その意識を確認した。暁月の両手首や腕はまだ縛られており、目覚める気配はないものの、天井ごとぶっ放したお陰で、一旦は拘束から解放されているようだった。鎖は途中で解けるように壊れており、皇樹の魔法が効いた証拠だ。

 烏が炎に呑まれて焼き鳥にされている間にも、皇樹はとっとと暁月の体を抱えて、生徒会室の割れた窓から勢いよく飛び出した。


「ッ!」


 その身はドサッ、と、鈍い音を立てながら、地面にぶつかった。幸い、皇樹と暁月が落ちたところは芝生が生い茂っている所であり、怪我をすることはなかった。


「いっつつ……暁月……」


 皇樹の目線は、暁月へと向かった。

 皇樹は徐ろに立ち上がると、暁月を抱え直して、近くの壁にその体を寄り掛からせてあげた。

 暁月は媛乃によく似た端正な顔立ちで目を閉じたまま、そのまま起き上がる気配はない。やはり、その直接的な原因となっているこの鎖を暁月から外すしかないのだろう。


(今なら取れるじゃろうな)


 そう思って、皇樹は暁月の首に巻き付いている鎖に手をかけた。

 が、


「ぐわっ!」


 ビリッ、と、大きな電流が皇樹の身に襲いかかり、それ以上は暁月の鎖に触る事が出来なかった。どうやら、かなり厳重な魔力がこの鎖に敷かれているようだ。


(あそこから離れても、水無月の魔力は有効だと言うんか……参ったな、これは)


 暁月を生徒会室から引き剥がしてハイ終わり、というわけには行かないようだ。

 しかし、この鎖――外側からはどうしようもない程度に強度があるのも事実で、皇樹にはこれ以上対応しようがなかった。一旦自分は身を引き、媛乃か焔の力を借りて、この鎖を外して貰う他ないであろう。今の自分に、この鎖をどうこう出来る魔力は無い。


(ッ……まずい、そろそろ消えそうじゃ)


 先程の魔法で更に魔力を消費したようで、皇樹の体は今にも消えそうなぐらいに薄れていた。

 せめて、あの2人を――勇と巫実をここに呼んでからでないと消える事が出来ないのだが、この今にも消えかかっている体が、それに間に合うとは思えなかった。ただでさえ、今、あの2人がどこまで逃げ切っているか、見当がつかないと言うのに。


(そうじゃな……とりあえず、探すか。話して場所さえ教えてしまえば、後はアイツら任せられ――)


 瞬間、


「きゃーっ!」

「うわぁっ!」


 どこからともなく、勇と巫実の叫び声が聞こえてきた。


「――ッ!」

(まさか、烏の残党が!?)


 粗方、そんな感じの雰囲気は感じ取れる。何しろ、あの大群だ。その中の数匹ぐらいは、勇と巫実に狙いを付けていてもおかしくは無いだろう。皇樹もあれで全ての烏を焼き鳥にしたとは思っていない。

 

(くそッ! アイツら!)


 そして、皇樹は彼らの声の響いてきた方向へと、勢いよく駆け出した。自分が助からない分にはどうでもいいが、彼らだけは何とか助けないと、暁月の意識の脱出すら出来ない。

 しかし、皇樹の体は彼らに助け舟を出すまで間に合う気がしなかった。こうやって走って探しそうとしている間にも、彼の体は消えかかり、そろそろ夢から醒める時間がやってきた。これ以上は彼には何も出来ない。


(アイツらを逃す判断が間違って……いや、それは無い。暁月のヤツも助け出したし、目的は達成した。けど……)


 皇樹がその場で跪き、思案した――その時だった。


「大丈夫じゃ、わしが行っちゃるけぇ。君は休みんさい」


 ポン、と、皇樹の肩に誰かの手が乗ったと同時に、本来なら響くはずもない声が、こちらの耳に向かって反響してきた。


「――ッ!?」

(この声……まさか!?)


 しかし、その声、どう考えても彼のものでしか無かった。優しく、女性的で、端正で透き通るような声でありながら、芯が通っていてはっきりしている、凛とした声変わり前の少年の声。

 皇樹は思わず振り返り、その姿を確認した。そして、思わず笑みが浮かんだ。


「お前――!」


 勇と巫実は皇樹の想像通り、烏の残党に追い込まれながらも、何とか逃げ回っていた。校舎から外には出て、正門の周りをぐるぐると駆け巡っているものの、烏達は四方八方からやってきて、逃げ回ろうにもキリがなかった。

 戦闘能力がある勇は、烏を何とか殴っては蹴り、殴っては蹴りを繰り返して、巫実に傷を付けまいとしているものの、それでも烏は止めどなくやってくる。そして、倒れた烏達は最初は地面に突っ伏こそはしているものの、暫くすると起き上がり、再び空に舞い上がる。それは、魔力で補われた生き物は、普通の人間相手には出来ない証左であった。

 勇は体力には自信があると思っていたが、流石に烏をひたすら狩っているだけでは無駄に消耗するようで、その表情には疲れが出ていた。ハァハァと息を荒げ、こちらに次々と降りかかる烏を睨み付けていた。


「い、勇くん……!」

「ッ……」


 心配する巫実を尻目に、勇は汗を拭った。ここから逃げようにも、烏達が邪魔をしてそれが出来ない。一方で、巫実をこのまま危険に晒すわけにも行かず、勇はその身を張るしかなかった。

 そして、烏達は邪魔者には容赦しなかった。数匹の烏が、勇に向かって猛スピードで突進してきたのだ。


「ッ!」

「勇くんッ!」


 勇は自分の顔の前に腕でクロスを作り、受け身の姿勢を取った。これでどれだけ自分の体が耐え切れるのか――それだけを考えていたが、その勇の行動は無駄であった。

 勇がやられたから無駄というわけでは無い。


 ――助けが来たから、無駄になったわけである。


 暫くしても、勇の腕にダメージが全く無いので、彼は「?」と、首を傾げながら、腕を下ろして視界を開けた。

 真っ先に勇の目の中に飛び込んだのは、葡萄茶色の甘そうな長い茶髪であった。それは一本の流麗な線となり、縛られていた。

 最初、勇はその姿を焔かと思っていたが、焔はこんな髪の毛の色はしていないとすぐに思い返して、その可能性を払拭した。

 その姿は、勇へと振り返った。


「よう頑張ったのう。大丈夫じゃ、わしが来たからには、もうキミに無理はさせんよ。安心しんさい」


 媛乃と焔に非常によく似た端正な顔立ちに、緋色に輝く、炎のような朱色の瞳。その端正な顔立ちは、ニコッと優しく微笑んで、勇と巫実を優しく見つめていた。

 ――不知火暁月が、とうとう復活したのである。

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