027:氷の鎖

 暫くの間は、何も変哲もない学校の廊下が続いただけであったが、その空気は巫実と勇にも伝わるぐらいにゆっくりと移り変わっていた。生徒会室に向かって歩けば歩くほど、暁月の魔力が強くなるのもそうなのだが、それ以上に空気が淀み始めていた。どんよりと重く、3人の肩にのしかかって来る。

 一応、魔法の能力がある巫実はそれに耐え切れているようであるものの、魔法の才がない勇は「うーん」と、額に脂汗を浮かべながら、肩をマッサージしていた。


「肩が異様に重い……んじゃが、どういうことじゃ」

「あー、お前は魔力が無いからのう。暁月のクソデカ魔力に耐え切れんのじゃろ」


 皇樹は辛そうにしている勇に対しそう言い放ち、


「でも、ここまで来たからには、引き返す事は許さんからな。僕がここまで来れたのも、お前らに便乗した面がデカいからのう。僕を戦力にしたかったら、徹底的に耐えろ」

「ぐっ……DV亭主関白野郎が偉そうにしおって……」


 本当に媛乃はこんな男の何処が良くて付き合っていたんだ、と、勇は彼女の好みの男像を疑った。しかし、彼女の突拍子もない言動に付き合えるのは皇樹ぐらいだろうと回帰してしまい、キリがなかった。何せ、彼女は自称でデカパイ美魔女を名乗るような女性だ。並大抵の男ではついてこれまい。

 皇樹は肩が重そうな勇の症状を軽減する魔法を掛けることも無く、とっとと前へと進んでいく。

 巫実は辛そうにしている勇の事をかなり気に掛けていたようで、歩きながら彼の肩を優しく摩った。


「勇くん、大丈夫? 辛いなら、少し休もうか?」

「巫実さん、ありがとう。ワシは大丈夫じゃ」


 と、勇は皇樹の背中姿を見た。


「今はアイツに負けたくない気持ちが強くてな……ここで倒れたくないというか……ギブアップしたら馬鹿にされるというか……」

「あ、あぅう……む、無理はしないでね。勇くん、私達の中じゃ唯一魔法使えないんだし……」


 巫実はぽんぽんと彼の肩を優しく撫でた。

 ただでさえ、皇樹はこちらを小馬鹿にしているような節があるのに、そこで勇がギブアップしてしまったら、後から笑い物にされるに決まっているだろう。何にせよ、ここまできたら意地でも暁月を助けねばなるまい。


 そんなこんなで数分ぐらい生徒会室に向かって廊下を歩いた訳だが、生徒会室に辿り着く前に、廊下が異変を起こした。

 生徒会室まで体感あと数メートルのところで、足元からピシ、と何か薄く固い膜を踏んだ音が響いた。


「!」


 それを踏んだ勇は思わず足を引っ込めてしまった。

 その勇の様子に気が付いた皇樹と巫実は一緒にそちらを振り返った。


「い、勇くん……? どうかした?」

「どうした、勇。何かを足に引っ掛けたか」

「い、いや……床がなんかピシッて」

「床ァ?」


 皇樹は勇に言われて、床を見た。学校の廊下の床の材質はいたってよく使われる物でしかなく、それは夢の中でもしっかり反映されている筈だ。夢の中とは言え、そう簡単に床が壊れるような事はない、と、皇樹は途中まで鼻で笑っていた。

 しかし、それを見た瞬間、


「なっ!」

「!?」


 皇樹がそれを見て驚愕すると同時に、勇の言葉に釣られて床に視線を落としていた巫実も、それに驚いて目を丸くした。

 ――床が、凍っている。


「ゆ、床が……!」

「……っ」


 そういえば、先程からこの周辺の気温が下がっているような気がしたが、こういう事だったか、と、皇樹は動揺を見せながら、生徒会室に向けて顔を上げた。


「――ッ!」


 ――生徒会室の扉が、凍て付いていた。

 その隙間からピュウピュウと冷たい風が吹いているが、そこからピキピキと扉が凍っているようだ。扉が凍て付くほどの寒さという事は、生徒会室の中は相当な極寒に違いない。

 そして、幾ら夢の中と言えども、この気温の低さに逆らう事は出来ず、春先であるというのに3人はその寒さで思わず震えそうになっていた。特に細身で華奢な巫実は、その寒さを真っ当に受けているせいで、その身をギュッと縮こませて、足を震わせ始めていた。


「巫実さん」

「……」


 暖を取るために、巫実は勇にギュッと抱き着いた。

 そんな2人を見ていた皇樹は、こうなったら自分がやるしかあるまいと、その身に己の魔力を集中させた。


「お前ら、少し下がってろ。この氷を溶かすぞ」

「……っ」


 巫実と勇は、皇樹のその言葉でじりっと足を後退させた。辺りに立ち込めている彼の魔力から察するに、生徒会室の扉を一気にぶち壊して、乗り込むつもりなのだろう。実際、それしかあの中に入る方法は無いし、彼の魔力に賭けるしかない。

 皇樹はかなり久々に自分の魔力を好きに操る事になるが、本体の方は魔力も相当下がっており、夢の中とは言え、何処まで自分の魔力が使えるか分からなかった。普通の夢とは違い、他人の夢の中では自分の思い通りになるにも限界があり、それによる魔力の引き上げも期待は出来ない。

 しかし、暁月を助けるという名目の元、こちらとしても全力でやらねばならない。


(イケ……るか……?)


 全盛期に比べて、体の魔力が集まらない。いや、集まってもこれが精々なのだろう。体感、当時から3分の1ぐらいの魔力しか集まっていなかった。


(媛乃さんがここにいたら、もうちょっとぶちかませる気がするが……やむを得まい)


 皇樹は瞳を光らせたと思えば、その右拳に全身全霊の魔力を込めて、勢いよく扉にぶつけた。


「っ、ぁ、ぁああ゛――――――ッ!」


 その勢いで喉が汚い声を発する。

 皇樹の拳は炎をを纏い、生徒会室の木製の扉を燃やしたかと思えば、その扉はあっという間に真っ黒な炭となって消えていった。


「!」「……!」


 皇樹は魔法だけで学年首位をもぎ取っている、と媛乃から聞いていたが、その強さは今も健在なようである。

 生徒会室への扉が開かれるなり、皇樹は拳を引いて、顔から垂れている汗を拭いながら「はぁー」と息を吐いた。そして、後ろで呆然と突っ立っている巫実と勇の方に振り返り、話しかけた。


「ほら、中、入れるぞ。とっとと入らんと今度は氷で覆われるかもしれん」

「あ、ああ」「は、はい……」


 そうして、3人は生徒会室の中へと入っていく。

 瞬間、


「ッ!」

「寒っ!」

「あぅっ……」


 途轍もない寒さが、3人の身に降りかかった。

 確かに扉が凍て付く程の寒さなのは想定していたものの、まさかここまでのものとは思わなかった。本当にこの中に暁月が眠っているのか、疑問しか無い。

 しかし、その疑問もすぐに解消された。


「――あれは!」


 その姿を最初に見つけたのは勇だった。

 生徒会室の中は、窓に背を向ける形で生徒会長用のテーブルが置かれている訳なのだが、そのテーブルの前に暁月の姿はあった。

 暁月は――天井から吊るされている氷の鎖に繋がれていた。

 氷の鎖は3本ほど天井から生えており、暁月の首、両手首にしっかり巻き付いていた。そんな状態なので、暁月の体は天井から吊るされており、体が宙に浮いていた。

 勇はそんな暁月の姿を見て困惑と同時に、強い動揺を見せていた。


「な、なんで……こんな……」

「……水無月の野郎の仕業としか思えん」


 皇樹は歯を軋ませながら、言い放った。


「コイツは最後は水無月のヤツと戦って、そのまま眠りに落ちた、というのは媛乃さんから聞いておるじゃろ。そん時に、暁月が永遠に目覚めないように呪いを掛けたとしか思えん」

「えっ、そんな回りくどいことを!?」

「下手に魔法で人を殺すと面倒な事になるのと、やはり学生の身じゃからのう。折衷案として、この呪いになったんじゃろう」


 と、


「通常、夢に閉じ込めておくという芸当は、そこの女や僕のような妖力持ちにしか出来んし、それが持続するのも長くて3日ぐらいじゃ。それが180年も持続してる上に、コイツのバカ魔力すらも封じられているって事は、向こうも全身全霊の魔力を使って、本気でコイツを封じに掛かった、という事じゃな」

「な、何でそこまで……媛乃さん曰く、焔みたいに勉強出来なかったんじゃろ、暁月さん。アイツみたいに野心がある感じでもないし……」

「そりゃ、自分に楯突くほどの魔力があるんだから、本気で潰したくもなるじゃろ」


 皇樹はそう言いながら、暁月の胸元に自分の手を置いた。


「当時、媛乃さんも相当な魔力を持っていたが、竹部で甲ランクとなると、コイツと水無月の奴ぐらいだったからのう。生徒会長の座は逆じゃが、丁度、今と似たような状況じゃった」


 と、


「ただ、水無月のヤツのせいで竹部・梅部共々雰囲気が最悪になってのう。それを何とかしようとしたのが、暁月達なんじゃが、暁月はそこで先陣切って自分の邪魔をするヤツだったわけじゃ」

「邪魔だから……か」

「ま、単刀直入に言うとそうなる。流石にここまでやるとは思わんかったが」


 そう言って、皇樹は自分の魔力を暁月の体の中へと流し込んでみた。暁月の魔力血管の中に次々と皇樹の魔力が流れ込み、その意識の中枢へと駆け抜けていく。


(当たり前じゃが、コイツ自身の魔力は途絶えてはおらんか……)


 暁月の意識がここに眠っているのは、それで全て確定した。自分の魔力が暁月の体内を駆け巡れば駆け巡るほどに、そこに暁月の魔力が纏わりつき、侵入を邪魔してくるからである。しかし、暁月の魔力が全盛期よりも弱っているのも感じ取っていた。彼の本来の魔力であれば、皇樹の侵入は一歩目から許さない筈なのだ。

 このまま更に200年程度眠り続ければ、暁月の魔力は途絶え、命共々消える訳だが――、


(コイツの魔力を奪ってるのは……どう考えても「コレ」じゃな)


 そう思った皇樹の目線は、暁月を縛っている氷の鎖へと向かった。

 この鎖、パッと見では判別はつかないものの、しっかりと感じ取ろうとすると、暁月の魔力でないものがビンビンと伝わってくる。大方、水無月の人間が暁月をここに閉じ込める際に呪いとして使ったものなのだろう。

 皇樹は目を細めて、鎖の周りを見た。氷の鎖からは、暁月の魔力らしき朱色のオーラが肉眼で見え、それがじわじわと空気と同化しているのが見えた。

 一先ずは、暁月をここから救い出してから考えなければならない、と、皇樹は自分のズボンのポケットから魔法杖を取り出した。そして、2人に言った。


「これから、コイツの鎖をぶっ壊す。多分、これをどうにかしないと話が進まん」

「壊すって言っても、どうやって……」

「まぁまぁ」


 氷とは言え、180年間も此処に暁月の意識を閉じ込めてきた鎖だ。そう簡単に壊せるとは思えないのだが――皇樹には勝算があるようだ。

 皇樹は勇の質問に対して宥めるような態度を示すと、その魔法杖を突き立てて、そこに意識を集中させた。すると、


「!?」


 勇はそれを見て、思わず驚いてしまった。

 皇樹の魔法杖が光に包まれたかと思えば、その姿を杖のそれから剣のそれに変えて、変貌を遂げたのである。光が弾かれ、その変貌がしっかりとしたものになると、皇樹は「おー」と、その形態を懐かしむ様子で、慣らし程度に適当に振り回していた。


「久々に使ってみたが、思ったよりイケそうじゃの」

「い、いや……それ……どうなってるんじゃ!?」


 剣を指差しながらも、勇の絶叫に近い声が響く。

 魔法杖が生徒にとって必需品なのは、この学校の生徒にとっては常識ではあったが、今の皇樹の魔法杖みたく形態を変える事が出来るのは、勇にとっては初耳であり初見であった。それは巫実も同じだったらしく、困惑している様子で皇樹の剣を見ていた。

 皇樹は2人のそんな視線を浴びるなり「ああ」と、にこやかに告げた。


「魔法杖には色んなギミックが仕込まれてあってなぁ。お前ら如きじゃ分からんかもしれんが、僕にはこういう事が出来るわけじゃ」


 そう言いながら、皇樹はしたり顔で剣を2人に見せつける。勇はその皇樹の煽りに対して、今にでもキレそうな雰囲気であったものの、そこは何とか堪えた。どのみち、皇樹がいなければ、目の前にいる暁月を助け出す事は出来ない。

 皇樹は剣を両手で持つと、暁月の首に巻き付いている鎖へと目を付けた。これで両手首の鎖から斬ったら、本格的に暁月の首が縛られてしまう。


「じゃ、とっとと下がれよお前達。どこまでこっちの魔力が飛ぶか分からん、自分の身を案じろ」

「ぐ、ぬぬ……わかった」


 勇は巫実と共に、一歩ずつ後ろに下がった。

 皇樹の背中姿からは、彼の魔力が勢いよく放出され、本気であの鎖を斬り掛かるつもりだ。


(――行くぞッ!)


 皇樹はその全身全霊の魔力を剣に込め、暁月に向かって、勢いよく飛び上がり、剣を振り上げてみせた。

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