025:夢の中へ
「あ、あの……おはようございます、媛乃さん」
「あら、ハムスター。おはよう」
次の日の朝、巫実が食卓部屋で媛乃と会った時に言った言葉が、まずは朝の挨拶だった。その隣には、当然のように勇も側にいて、そちらもぺこりと頭を下げて媛乃に挨拶した。
「おはようございます、媛乃さん。朝ご飯の前に、巫実さんからちょっと言いたいことが」
「あら……珍しいわね。もしかして、私のデカパイでも吸いたくなったとか?」
「ち、違います……」
媛乃のその返答に、巫実は否定しながら勢いよくブンブン首を横に振って、本題に入った。
「あの……私、暁月さんの件、今日にでも出来る……と思います」
「……!」
思いも寄らぬ巫実からのその決断と言葉に、媛乃は思わず驚いて、目の前の銀髪美少女を凝視してしまった。普段から決断力がなく、そこまで思い切らない巫実なのだが、今回ばかりは返答が早かった。内容が内容である為、巫実の性格も視野に入れると、断られるのも想定の範囲内であったが――。
驚きが隠せない媛乃を目の前に、巫実は何とか言葉を続けた。
「あの……その、私、今までお役に立てない魔法使いだったから……。何も出来ないし、何やっても失敗するから……でも」
と、
「今回はきっと大丈夫だ、って思うんです……。勇くんが隣に居るのが前提ですけど、私、出来ると思います……」
「……そう、分かったわ」
媛乃は巫実なりの決断を聞くと、頷いて、受け入れた。
「なら、10時ぐらいに地下に案内するから、構えておきなさい。昼飯は抜きになると思うし、朝食もしっかり摂るのよ」
「は、はい……わかりました」
巫実は媛乃の指示に頷いてそう答え、一方で媛乃は伝えるだけ伝えると、さっさと朝食の準備に行ってしまった。その足取りは、何処かしら軽く見えたような気がした。
向こうへ伝えるだけ自分の意思を伝えることが出来た巫実は、体の力が抜けて、その場で肩が降りた。それから、巫実は勇の方へと視線を向けた。
「勇くん……」
「後は朝飯しっかり食べるだけじゃ、残すんじゃないぞ」
「……そうだね」
巫実はくすりと小さく笑い、頷いた。
その日の朝食は、各々におにぎり二個に蒸し鶏のサラダ、そして、お麩とじゃがいもと若布が入った味噌汁であった。
*
そして、10時になり、一同は暁月が眠る地下室に集まった。
そこに焔がいるのは、勇と巫実に何かあった時の為の護身役。助手がいるのは当時暁月に世話になった故に、彼から見守りたいと言い出したからである。暁月の現役時代、滅多に男には懐かない助手が唯一暁月には懐き、敬意を払っている、という経緯があり、それも影響している判断だと思われる。口先では散々ではあれど、媛乃にとっては尊敬出来る双子の兄。助手もそんな媛乃の感情に釣られているのだ。
媛乃は夢見の魔法について、昔、皇樹から聞かされていた基礎知識を勇と巫実に教えた。
「ガキジジイはハムスターの手を握りなさい。そう、で、ハムスターはコイツの胸元辺りに手を置いて……そうね。布団の上からでも全然入れるから問題ないわ」
「は、はい……」
巫実と勇はその指示に従い、手を握り合い、巫実の方は暁月の胸元付近に手を置いた。
媛乃はこちらの指示通りに動いた2人を見てから、準備はこれで良いと頷き、続けた。
「あとは寝るだけ……なんだけど、妖力による睡眠と普通の睡眠は違くてね。妖力の睡眠は麻酔みたいなものだから、数秒足らずでコロッと行くわ。だから普段寝不足だとしても、それで解消はされないから注意なさい。休息のための睡眠ではなく、働くための睡眠なんだから」
「は、はい……」「分かった」
2人は頷いて、改めて暁月の顔を見た。相変わらず焔と似たような端正な顔立ちで、目を閉じたまま、起きようとはしない。180年間ずっとこれだったのを、今から勇と巫実で起こしに行くのだ。そう思うと、改めて緊張してしまうものの、巫実の莫大な妖力が役に立つのだから、これ以上のものないであろう。
勇はその手から巫実の体温を感じながら、巫実に声を掛けた。
「巫実さん、そろそろ大丈夫か? ワシは寝るぞ」
「うん……大丈夫」
巫実はそう言って勇の声かけに頷くと、彼の手を握り締めている手にギュッと力を入れた。
「勇くん……絶対、暁月さんの目を醒まさせようね」
「……ああ」
勇は巫実の言葉を聞いて、コクンと頷いた。
そして、2人は同時にゆっくりと目を閉じて、暁月の体の上に自分たちの身を落ち着かせ、寝息を立て始めた。どうやら、巫実から勇へと妖力供給が上手くいっているようだった。
媛乃は2人が寝るなり、夢の中への侵入には成功したと思ったようで、少しホッとしていた。
(頼んだわよ、2人とも)
それから媛乃が何か飲み物でも持ってこようかと、一旦立ち上がろうとすると、彼女のスカートをクイッと誰かが引っ張ってきた。媛乃はその正体へと振り向くと「あら」と、少々驚いたように首を傾げた。
「助手……? どうしたの」
そう、媛乃のスカートを引っ張ってきたのは助手であった。
助手は大きく口を開いて欠伸をすると、ゴシゴシと目を擦り、媛乃に言った。
「ママ……ぼく、眠い……」
「え、ええ……?」
(この子も寝ちゃうの……?)
2人が暁月の夢の中に侵入している間、媛乃は助手と焔と共に、適当にトランプなり花札なりして遊ぼうと思っていたのだが、まさかの眠気であった。しかも、このタイミングで。
助手は昨晩夜更かししていたどころか、風呂から上がって着替えた途端にすぐ寝ついてしまったし、下手したらここの面子の中で、一番、睡眠時間は長い筈だ。そんな彼がここで眠いという話なので、媛乃は首を傾げてしまった。
(ハムスターの妖気に釣られてしまったのかしら……体質的に有り得なくもない話だし)
元々は妖気を抱えていた皇樹の体だが、巫実が夢の中に潜り込む為の微量の妖気に釣られているのは大いに有りそうだ。とはいえ、今の彼は他人の夢の中に潜り込むだけの力は殆ど残っていないし、特に何かが起こるわけでもないであろう。
媛乃は「そうね……」と、助手の頭をゆっくりと撫でて、自分の膝の上をポンポンと叩いた。
「ほら……ここで寝なさい。兄貴のところは2人に迷惑に掛かるから寄っちゃ駄目よ」
「ママぁ……」
助手は言われるがままに媛乃の膝の上に自分の頭を委ねると、すりすりと頬擦りしながら、気持ちよさそうに目を閉じた。
それから暫くすると、スゥスゥと規則の良い寝息が、助手から聞こえてきた。かなり眠かったのだろう。
(うーん、昨日の疲れが取れてなかったのかしら……)
と、媛乃は思いながら、彼の頭を撫でる。助手にとっては大旅行ではあるだろうし、こうやって疲れが取れないのも仕方ないが、それにしては相当疲れているな、と、媛乃は不思議に思った。ここまで疲れやすい体質ではなかった気がするのだが。
とはいえ、それだけ考えても仕方ない。助手が眠いと言えば、それに従うだけであろう。
媛乃は助手の寝顔をジッと見つめながら、その頬を人差し指でツンツンと突いてみた。それで目覚める気配はないものの、子供らしい寝顔に、つい、癒されてしまった。
(全く……寝顔は相変わらず可愛いわね……)
*
勇と巫実は目を閉じて眠った途端、激しい光に包まれて、何処かへと突き落とされた。
「っ!」
ドサッ、と植物の上に落ちたような音が大きく鳴り、勇はうつ伏せになって倒れた。
勇は倒れてからゆっくりと目を開いて、ぼんやりした視界の中で、そろりそろりと顔を上げた。一旦目を閉じて、また開き、瞬きを数回繰り返しているうちに、視界ははっきりとしたものを映し出してきた。
「……」
(学校の、裏庭……?)
そう、ここは勇達が昼飯を食べる際に頻繁に使っている、魔修闘習高級専門学院校舎の中庭であった。
なんでまたこんなところに、と、勇は疑問に思いながら、上半身を起こすと、自分の右手が何か柔らかいものを握っていることに気が付いた。その視線を辿っていくと、巫実の姿があった。
「あ……」
(そうか……暁月さんの夢の中に飛び込めたのか、ワシら……)
勇はそれだけ把握すると、巫実の体を揺らした。
「巫実さーん。起きろー。夢の中来れたぞー」
「ぁ……ぅう……」
巫実は勇の声で覚醒したのか、ゆっくりと起き上がって、ぼんやりとした顔で勇を見た。それからキョロキョロと辺りを見渡すと、自分の見覚えのある光景が広がっており、首を傾げながら、目をゴシゴシと擦った。
「勇、くん……アレ……? ここって学校じゃ……」
「いや、ここは暁月さんの夢の中じゃよ。どうやら、潜り込むのに成功したようじゃ」
「ん……そう、なんだ……。第一関門は突破だね……」
巫実はそう言いながら、勇に引っ張られてその場で立ち上がった。とは言え、夢の中である為、地に足がついてないような、そんな感じがふんわりとするのである。
そうして、ここから暁月の意識とやらを探さなきゃいけないようなのだが、手がかりもなく、そもそも暁月の意識とはどんなものなのか、一体全体、全てが分からなかった。
勇と巫実はキョロキョロと周りを見渡しながら、首を傾げてしまった。
「もう少し媛乃さんから、色々話を聞いた方が良かった気がするのう」
「うん……私もよく分からないまま来ちゃった気がする……」
自分達は他人の夢の中に入るなんて芸当はこれが初めてであるし、ゲームで言うチュートリアルが欲しかった、と思う。そもそも、夢の中ならば現実世界との違いも大いにあるだろうし、おいそれと下手に大きく行動したら現実でも何かが起こりそうである。
その一方で、学校という広そうで狭いものがお出しされたので、もしかしたら、彼を探すのは楽なんじゃないかと2人は思った。元々彼は竹部の生徒であったし、その辺に思い入れがあるのなら、その周辺を探すことでどうにかなるであろう。
「巫実さん、行くか」
「う、うん……」
2人はそのまま中庭から、学校の中へと入っていった。暁月の夢の中なので、これは180年前の記憶なのだろうが、細かい外装以外は殆ど現代のままで、特に大きな変化が無い。校舎自体も特に大して変わった部分もなく、校内巡りには苦労はしなさそうだ。
勇と巫実がそうやって、校内を散策しようとしたところだった。
「!」「ッ!?」
今度は中庭からドシン、と大きな音がした。
その音から、人が何かが落ちてきたのか、と、2人は動揺した。しかし、思い返せば、今は巫実と勇以外の面々はこの空間には入れない筈で、もしかしてもう暁月が、なんて、思ったりした。
しかし、2人の目線が中庭に行くと、その視線の先にあるものは、暁月の姿ではなかった。
――2人が知り得ない少年の姿だった。
勇と巫実が呆然としながらその姿を見ていると、少年はうつ伏せになった自分の体を、ぐっ、と腕で起こした。
「いっつつ……あの妖力じゃ入れんと思ったが、成功したか……。ったく、何も教わってない状態で、ガキどもを夢の中を散策されるなんて、媛乃さんもなかなか厳しいことさせるのう」
そして、青年に入りかけのような、声が変わり切る前の低い少年の声。
2人はこの声の正体が全く分からず、困惑しながら、彼を見続けた。少年は、2人の視線に気が付くと、そのままゆっくりと立ち上がった。
「……ん? ぁ、先に来とったんか、お前ら。この体も久々じゃ、鈍ってないと良いが」
彼が立ち上がった姿は、助手に似ていた。というより、成長した助手そのものだった。
助手と殆ど変わらない髪型に、眼鏡に、肌の色に、目に、素朴な顔立ちに――とにかく、この姿の人物を写真でしか知らないが、自分達は知っている。媛乃に以前、見せてもらったことがある姿だった。
「ぇ……あ……」
勇と巫実は非常に動揺した。
彼の存在については、実質死んだようなもので、小学生同等の姿のままで固定されている筈だ。けれども、目の前にいる彼の姿は、中学生相応の体格で、立派なものだった。ガタイが特別良いわけではないものの、格闘には長けていそうな貫禄が、そこにはあった。
彼はこちらを見て明らかに動揺している2人に対し「ん〜?」と喉を鳴らしながら、その顔を覗き込んだ。
「なんじゃ、その顔は。僕の本来の姿が思ったよりイケメンだからびっくりしたのか」
「い、いや……その……アンタ……」
「あ、あぅ……」
「……あ、そうか。分かっておらんのか」
少年はニッと笑みを浮かべて、自分の事を親指で指しながら言い放った。
「改めて――僕は氷上阪皇樹。媛乃さんの旦那様であり、現実世界じゃ助手もやっておる。宜しくな」
「えっ……ぁあ、ああぁあぁああ――――ッ!?」
そして、勇の絶叫が暁月の夢の中で大きく響いた。
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