023:眠れる王子

 広島空港は、都市部から遠い山の中にある。

 元々、広島空港は都市部に近い場所にあったのだが、その場所は数機の飛行機を受け入れる場所としてはまぁまぁ狭く、盆休みや年末年始の繁盛期に追いつかない事が問題であった。そこで拡張出来なかったのか、と、言われると出来なかった。土地の問題から、拡張しようも出来ず、結果的に今の三原市に空港が移設する事になった。

 広島市から非常に遠く、もしそこに用事があれば面倒だな、と思いつつも、一行の用事は安芸地区。ここからそう遠くはなかった。


 そして、本日の午後、勇、巫実、焔、媛乃、助手の5人は広島に辿り着き、あとは本家を訪ねるだけとなった。外から見ると、子供達だけで何かしているように見えるものの、媛乃はこの一行の責任者であり、保護者だ。そのオーラと立ち振る舞いはしっかりと大人のそれである。

 5人は外に出て、バス停に徒歩で向かった。媛乃はその中でポツリと漏らす。


「ったく……空港のくせに直結の鉄道が無いってどういうことよ。鉄道会社に抗議を入れようとして、百何年経過したことやら」

「うーん、そこまで経っても無いなら、これからも作られないんじゃないかの」

「原爆ドームの実物大模型以外面白いところが無いのはわかるけどね……もう少し旅行者に優しくしなさいよ」


 と、媛乃はぐちぐちと言い放つ。

 因みに、広島の象徴とも言えるあの原爆ドームだが、今現在は存在せず、その代わりに原爆ドームの実物大レプリカがそこに建っている。本来の原爆ドームは激しい経年劣化に加え、年数が経つごとに当時を知る人々が居なくなり、WW2終戦から100年ぐらい経過すると、取り壊しの声が大きくなった。とは言え、広島=原爆ドームのイメージで通ってきたのと、やはりWW2の被害の象徴として残しておきたいのも大きく、結果的に実大レプリカを建て直すまでに至った。それが完了したのは、媛乃の生まれる100年ぐらい前の事らしい。

 そんな事を話して数秒後、媛乃達はバス停に辿り着き、丁度バスもこちらへとやって来た。


「ほら、とっとと乗り込むわよ」

「はい!」


 そうして、5人はバスへと乗り込み、そのまま駅に着くのを待った。


 駅に着き、電車に乗る事数十分。不知火の本家は、どうやらその街のメイン駅の近くにあり、金持ちらしく立地がとても良い。

 勇達がそうやって媛乃を先頭にして、駅から暫く歩き続けていると、遠目からでも分かる和風の豪邸がこちらの目に飛び込んできた。媛乃と焔、そして助手がそれに反応した。


「あそこじゃの」「あら、そろそろね」「もう疲れたぞー」


 助手は媛乃にしがみながらへばりつつも、しっかりと歩いていた。その小さな体で東京から広島までの旅路な上に、こうやって歩くのだから、疲れるのも当然であろう。

 媛乃はそんな助手をポンポンと撫でながら、自分についてきている勇と巫実に対して、言い放った。


「普段、本家にはガキジジイと焔の祖父母と長男一家が住んでいるのだけど、毎回交代する形で泊まってるから、ここにいる間は私達の貸切状態よ。ま、だから気楽に居なさい」

「そ、そうか……って事は、向こう側は今東京におるのか」

「そうね」


 と、媛乃は頷いた。


「因みに、焔はその長男一家の更に長男。折角なんだから、一緒に住めばいいのに」


 媛乃がそうやって説明を加えるなり、焔が罰の悪そうな顔で唇を尖らせた。


「父ちゃんとは折り合い悪いから、あんまり一緒に居たくないんじゃ。ワシは向こうが長男教なのを利用して、東京に住んでおるぐらいじゃからのう」

「まぁ、アイツ、不知火の男にしては堅物だものね。典型的な不知火の男のアンタにはそりゃ辛いでしょうよ」


 と、媛乃も何処か神妙な顔付きになってそう返した。

 祖父母の長男一家、という事は、勇の実母の兄か弟になるのだろうか。家に残っている辺り、多分、兄なのだろう。

 そう言えば、と、勇はこの間、不知火邸に邪魔していた時の事を思い出していた。


(確か、あの時全く両親の顔が見えて居なかったが、そういう事か。まぁ、媛乃さんがおるし、その辺はあんまり心配されておらんのか……?)


 普通なら、年端も行かない息子が親元を離れて1人で遠いところで暮らす、という事に対して抵抗があると思うのだが、焔の両親はそうでないのだろうか。媛乃がいるとは言え、自分の子なのだから、何かしら心配はしているのだろうが。

 勇が考えている間にも、一同は漸くそこに辿り着いた。


「ほら、着いたわよ」

「……えっ」


 目の前にある不知火の本家とやらは――東京にある不知火邸以上に広く、そして巨大であった。

 そこらの旅館や料亭を軽く凌駕しそうなぐらいのその規模に、勇と巫実は思わず怖気付いてしまった。確かに媛乃がでかいとは断言していたものの、想定を颯爽と超えてきたのだ。確かに、これなら自分達が泊まってもさして問題はないであろう。何人家族かは知らないものの、長男一家と祖父母が暮らせるのも納得である。とはいえ、豪邸にも程があるだろうと、勇はその場で叫びそうになった。しかし、その場はなんとか堪えた。


 そうして、媛乃と焔が勇達を案内して、その大豪邸の中へと入る。勇達は見た目通りの中身の綺麗さと広さに驚きつつも、靴をしっかりと脱ぎ、中へと足を踏み入れた。

 媛乃は豪邸内にある浴場やトイレ、食卓について、一通り案内してみせた。どこもかしこもいちいち広い上に、トイレが男女で分けられており、本当に金がある家なのだと実感出来る。流石に浴場までは男女に分けられて居なかったものの、それでもなかなかの広さだ。都内にあるタワーマンションの最上階みたいな空気が、この家には漂っている。

 豪邸内を一通り探索し、案内した後、媛乃は少し目を伏せて、足を止めた。


「……」


 そして、黙り込む。

 媛乃は、これから勇達を案内すべきかどうか悩んでいる場所でもあるのだろう。一方、その黙り込んでいる様子は、何処かしら寂しげな様子を見せた。勇と巫実は当然ながら、焔も媛乃に対する声掛けに迷っていた。どうやら、身内である焔もその事情を知っていながら、その決断を迷わせる何かが、この家にはあるようだ。

 この沈黙を打ち破ったのは、意外にも助手であった。


「ママ……この為に勇と巫実を呼んだんじゃろ。だったら、ちゃんと言わなきゃダメじゃ」

「……そう、ね」


 助手、いや、皇樹に言われて、媛乃はハッと顔を上げると、そのまま頷いた。

 そして、改めて勇と巫実に向き直った。


「この間、不知火邸に貴方達が来た時、話したわよね。本家の地下には、私の双子の兄――不知火暁月が眠ってるって」

「……!」

「ひ、媛乃さん……まさかとは思うが」


 つまり、そういうことか――と、何かしら察した勇と巫実の表情から、強い動揺が見えた。あまり考えたくはないものの、助手の言葉から察するに、そうとしか考えられないのである。

 媛乃はそれ言う前に、コクン、と小さく頷いた。


「先ずはついてきなさい。話はそれからよ」


 媛乃はそのまま、その足で不知火本家の地下へと案内した。

 一階の廊下に物置部屋らしき扉があるのだが、その扉の向こう側に地下へと通じる階段があるようで、そこを伝って暁月のところに向かうようだ。

 5人は黙ったまま、その階段を降りる。先程まで和気藹々としていた5人の空気が嘘のように重くなり、静まり返っている。これから180年近く眠りっぱなしの媛乃の兄に会うのだから、和気藹々としている方がよっぽど空気が読めていないのだが。

 階段を降り、一階と何も変わらない廊下を歩く。窓が無いだけで、ここまでソワソワするような空間になるのかと、勇は辺りをキョロキョロと見渡してしまった。これから訪れるであろう展開も見据えて重くなった空気が、より大きく重くなったように思える。

 媛乃は廊下の奥の方まで歩くと、その部屋の扉をギィッ、と開いた。


「あ――」


 勇と巫実は思わず息を呑んだ。

 その部屋は何もない、綺麗な畳が広がっている、殺風景な和室であった。

 ――ただし、その部屋の中心を除いては、だ。


「……ま、目覚めてるワケがないのよね」


 媛乃はそれを見て、寂しげにポツリと呟いた。


 この部屋の中心には、一つの布団と、そして、1人の少年が目を閉じて横になっていた。

 少年は目を閉じていても、端正な顔立ちであろう事が伺え、大方の顔立ちは大体焔と似ているであろう事が想像できる。葡萄茶色の赤みが薄らとかかった甘そうな長い茶髪は、その綺麗な顔立ちによく似合って居た。

 その姿はさながら眠り姫ならぬ、眠り王子であった。


 媛乃は続けた。


「こいつが私の兄の不知火暁月よ。よく眠ってるでしょ。もう、180年近くこのままなのよ」


 そう言って、媛乃は暁月の方へと近付くと、今度は改めて勇達に向き直した。


「私が今回、貴方達を呼んだのは他でもない――このバカ兄を長い眠りから醒ますためよ」

「……!」「ふぇっ……!?」


 勇と巫実は唐突な重い媛乃からの指令に、ひっくり返りそうになった。ただでさえ、180年近くも眠っているのだから、今更何したって目が覚める訳が無いだろう。それこそ、ひよっこ魔法使いでしか無い巫実と、魔力すら持ち得て居ない勇が、暁月に何か出来る訳がない。

 しかし、媛乃は続けた。


「『自分達にそんなの出来る訳ない』……って思ったでしょ。でも、貴方達が必要なのよ」


 そう言って、


「貴方達に使ってもらうのは、夢見の魔法――要は、コイツの脳味噌の中に潜り込み、奥深くにいるバカ兄の意識を現実へと引っ張り戻す」

「そ、そんな高等技術が必要なのか……尚更ワシらにゃ無理じゃろ」

「で、出来ないです……」


 勇は勿論として、巫実も首を横に振った。

 巫実の適性は確かにそっちに寄ってはいれど、基礎魔力が低く、普通の魔法すら満足に使えない今、そんな高等魔法を使う事は出来ないであろう。ただでさえ、魔法が使えなさすぎて同年代の平均未満の未満なのだから、成功の確率は相当低い。

 しかし、媛乃は続けた。


「夢見の魔法ってね、妖力が無いと使えないのよ。その妖力が使えるのは、伊和片とか、氷上阪みたいな――そうね、実家が神社の魔法使いぐらいなのよ」

「!?」「!」


 途端、2人の視線が助手へと向けられた。彼の本名は氷上阪皇樹――つまり、彼も夢見の魔法が使える能力を持ち合わせている、ということだ。肝心の助手本人はキョトンとして一同を見ている。

 巫実と勇の視線が助手に移ると、媛乃は「まぁまぁ」と、彼らの視線をこちらに戻した。


「皇樹さんは今、夢見の魔法は使えないのよ。どデカい魔法を使うに当たって、自分の妖力をそこにかなりぶち込んだみたいでね。全部無くなった訳ではないけど、全盛期の3分の1未満の妖力しか残ってないのは確認してるわ」

「そ、そんなに……」

「あ、あぅ……」


 媛乃の言葉に、勇と巫実は驚愕した。一応、助手が魔法が使えるのは以前の体育館での事件の時に確認しているが、媛乃の話を聞く限り、本来はかなり優秀な魔法使いであったのだろう。でなければ、媛乃みたいな完璧無欠な美少女が惹かれる訳ないのだが。

 「で」と、媛乃は続けた。


「ハムスターの妖力なら、ゴリ押しで行けるとは思うの。夢見の魔法は基礎魔力は別にいらなくて、妖力さえあれば基本はどうにかなる。今の皇樹さんにはその必要な妖力は無いけど、ハムスターにはあるって事」


 と、


「まぁ、失敗やそのリスクも加味すると直ぐに頷く事は出来ないと思うから、ここでの返事は求めないわ。でも、出来れば前向きに考えて欲しいの」


 媛乃は続けて、


「私ですら出来ないことを、貴方達なら出来るかもしれないって……今の1番の希望だから。別に明日明後日じゃなくてもいい。その気になったらで良い。とりあえず、今の私にはそういう考えがあることを把握してほしい、ってだけだったから」


 そう言って、媛乃は部屋の扉へと一歩進み、


「じゃ、そろそろ食事の用意でもしようかしら。助手、焔、手伝って頂戴」

「あ、ああ」

「ママ……」


 今の話を聞いて、媛乃の事が心配になったらしく、それについて行く焔と助手は、どこか不安そうな顔をしていた。

 一方で媛乃は気丈に振る舞い、勇と巫実に声をかけた。


「貴方達も早くこっちに来なさい。遅れたら晩飯抜きになるわよ」

「……わ、わかった」

「ぁ……は、はい」


 そして、巫実と勇もそれについていった。

 巫実と勇は廊下を歩く中で、お互い顔を見合わせて、先程の媛乃の言葉を思い出しながら、神妙な顔になって考え込んでしまった。

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