018:隣にいるだけでいい

 媛乃は勇が電話に出たのを確認してから、直ぐに本題に入った。


『案の定、基礎魔力の上昇で暴走したみたいね。一か八かの賭けだったけど、どうやら八の方が強く出てしまったようね』

「媛乃さんッ! アンタ――」

『それしかないでしょ』


 勇が「全て分かっていたんじゃろ!」と、言おうとする前に、媛乃の重くのし掛かるような声が、電話の向こう側で響いた。媛乃も本来ならやるべきではない事は知っていて、けれども、今後の巫実の事を考えて、あの魔法鉱石を預けたのである。

 媛乃は勇が自分の声で黙り込んだのが分かると、次に続けた。


『あの絶望的な基礎魔力を上げるためには、ああするしかなかった。他にあの絶望的な基礎魔力の低さを助ける方法、思い付かないでしょ』

「っ……」


 それは完全にそうだ。

 勇に出来る事と言えば、彼女の不安や精神のケアをして、寄り添うぐらいの事で、それ以上の事は何もしてやれない。何よりも、勇自身は魔法を一切使う事が出来ず、魔学についてアドバイス出来る事は何もなかった。何も出来ないからこそ、不知火の人間に頼っているのが現状なのである。

 媛乃は勇が自分の立場を理解したと思い、彼に質問を投げた。


『で……今、そっちはどういう状況なのかしら。体育館が大火事になってるとは聞いてるけど』

「あ、ああ……」


 勇は顔を上げて、目の前の炎の壁を確認した。


「今、焔に連れられて、巫実さんの近くまで来てる……と思うんじゃが、いかんせん、彼女を囲うように炎の壁が立ち塞がっててのう。こちらとしても身動きが取れないんじゃ」

『で、その壁、魔法で消せないの?』

「確か……」


 媛乃に問われて、勇は先程、焔がここに目掛けて水球を放った際にこの壁に衝突して消えた事を思い出した。そして、それを媛乃に告げた。


「さっき、焔がこの壁に水を当てたんじゃが、水の方が衝突するように消えてしまってな。蒸発もせんかったのよ」

『……なるほど』


 それから、媛乃は暫く考え込むように静かになった。暫しの間黙り込んだ後、媛乃は言葉を放った。


『だとしたら、それは炎に擬態した何かじゃないかしら。確証はないけれど、あのバカ魔力の水が効かないのならそれしか無い』

「擬態、か……」


 ここで更なる一か八かの賭けになる、という事か。

 媛乃は続けて、


『もし擬態であれば、アンタでもどうにかなるわ。そうじゃないなら、焔が来るまで待つ』

「あの……その判断って……」

『触るしかないでしょ』

「じゃよなぁ〜!」


 勇が恐る恐ると聞いてみると、案の定な答えがやってきたので、罰の悪い顔になりながら、そう返すしかなかった。


『安心なさい、私も今そっち向かってるから。こちとら焔よりデカい魔法使えるのよ、そこで一気に消火してやるわ』

「ご、ご武運を……」

『そっちも間違っても炎に巻き込まれるんじゃないわよ』


 そう言って、媛乃はとっとと電話を切った。

 勇はスマートフォンを制服の胸ポケットに仕舞うと、再び目の前の炎の壁に目を向けた。ぱっと見、他の炎と同じようにチリチリと燃え上がっているように見えるのだが、これが本当に擬態しているとでも言うのか。

 若干疑り深くなりつつも、勇はその擬態していると言う炎の壁に恐る恐る手のひらを近づけてみた。


「ぁ……」

(熱く、ない……!?)


 普通、ここまで燃え上がっていれば、少し近付けただけでも灼熱感に襲われる筈なのだが、この炎の壁はそんな事は無かったのである。勇は常識とは全く違う状況に動揺しつつも、もしかしたら、と、その壁に手のひらを置いた。

 ――その体は、燃えなかった。

 しかも、壁は見た目に反してひんやりと冷たく、氷に晒された鉄のようだった。手から体に向かって、その冷たさがビシビシと強く伝わってくる。


(これなら……!)


 そう思い、勇は拳を振り上げ、勢いよく壁にそれをぶつけた。「ドンッ!」と大きな音が鳴り、勇も相当な力を込めてぶつけた事が分かる。壁も振動した。

 しかし、それは勇の拳を傷付けるだけで、壁はびくともしなかった。


「ッ……だったら!」

(こうなったら、何度でもやるしかない!)


 無駄とは思いつつも、自分に出来る事と言えばそれしかない。

 勇は目の前の壁に、自分の拳をひたすらぶつけ、壊そうとした。だが、何度やっても結果は同じで、体力を消耗するしか無かった。何度自分の力いっぱいの拳で殴っても、亀裂が入る事すらなく、そのうち、勇の疲れの方が先に来ていた。


「ッ……くそっ……」


 拳が痛い。後先考えずに壁を殴り続けたせいで、ダメージの蓄積が大きいものになっていた。最後に軽くドン、と拳をぶつけると、勇はその場で項垂れた。この強靭な壁がある以上、この先に巫実がいるのは確実事項であろう。魔力主を守る為にこうやって強力なバリアーを自動的に張るのは、そう珍しくない筈だ。

 勇は汗を垂らしながら、ポツリと彼女の名前を呟いた。


「巫実さん……」


 その瞬間、


『……む、くん……勇、くん』

「!」


 壁の向こう側から鈴のような可愛らしい声が聞こえてきた。

 勇は顔上げて返した。


「巫実さんッ! 巫実さんか!」

『勇くん……良かった。聞こえたんだ……』


 巫実は壁越しと言えども、勇の声を聞いて安心したのか、その声からは何処か穏やか雰囲気が見受けられた。そして、巫実がこの壁の向こうにいるのは99%から100%になり、勇は口元を緩ませた。


「こっちこそ、巫実さんがこの壁の向こう側にいて安心したわい。ただでさえ周りは炎だらけで、周りを見渡す事が難しいからのう」

『え……嘘……』


 巫実はこの壁の周りが炎に塗れているのを知らなかったようで、小さく声を漏らした。


『私……もしかして、また、迷惑かけちゃった……?』


 巫実の声が震え始めた。


『ごめんね……私、いつもこんなことばっかりで……頑張ろうって思ったら、絶対失敗しちゃって……。勇くんじゃなくて、私がそこにいたら、火の中に飛び込んで死ねるのに……』

「巫実さん……」

『私……生きてる価値ないよ……。役立たずの癖に何も出来なくて……。勇くんも、結局こんなのが彼女なんて、嫌だよね。お嫁さんじゃ、嫌だよね。こんな事じゃ、いつ勇くんに捨てられてもおかしくないよね……』


 瞬間、


「ッ!」


 体育館の何処かで爆発音がした。勇がその場所へと目をやると、煙が大きく立ち、パチパチと新たに火が立っている。どうやら、この炎、巫実の感情とリンクしているようで、彼女の感情が大きく昂ると、何処かが大きく燃え上がるようだ。

 巫実は壁の向こうで啜り泣きながら、続ける。


『こんな私……っ、勇くんの隣にいる資格なんて無いよ……。勇くんにはもっと良い人がいるから、その人と幸せになって欲しい……』

「ッ……巫実さんはワシの事好きなんじゃ無いのか」


 勇は静かに巫実に問い掛けた。

 巫実は声を張り上げた。


『好き……好きだよ!』


 と、


『でも、ダメなの……私なんかじゃ、絶対……。勇くんみたいに周りに人がいるような子と、私みたいに周りから蔑まれるようなのは、比べ物にならないんだよ……。こんなへっぽこな魔法使いじゃ、勇くんにずっと迷惑かけっぱなしで……家事も料理も全然出来ないし……無理だよ……』

「――そんな事ないっ!」


 勇は声を大きく張り上げた。


「他の誰が巫実さんの存在を否定しても、ワシがずっと肯定しちゃる! 巫実さんはワシから見たら世界一可愛くて綺麗な子じゃ、巫実さんがどんなに自分を否定しても、ワシが巫実さんを幸せにする! だから――」


 そして、


「だから、ワシの隣にずっといてくれ! 何もしなくて良い! それだけでいい!」


 ――勇の声はそこで止まった。

 一気に声を張り上げて長々と彼女に告白したので、喉が痛くなった。ハァハァと息を上げながら、壁を見た。

 瞬間、


「!」


 壁が薄くなり、巫実の姿が薄っすらと見え始めた。同時に、壁に置かれてあった手が、スカッと壁を貫通した。重心を寄せていた勇は思わず転びかけ、足を踏み込んで耐えた。

 勇は今しかない、と、近くにいた巫実の元へと駆け出した。


 ――その数秒だけだっただろうか。


 巫実の髪の毛が真っ黒に染まった気がした。服も制服ではなく、淡い桃色をした着物で、非常に穏やかな女性の姿へと変貌を遂げていた。だが、顔の雰囲気はそのままで、こちらを優しく見つめて、駆け寄ってきてくれるのを微笑みながら待っていた。

 勇はその姿は巫実ではない筈なのに、絶対にここで彼女を離してはならないと強い確信を持ち、真っ直ぐに、一直線に、彼女の下へと足を踏み込んだ。


「――桜花さんッ!」


 ――口が勝手に、巫実以外の女性の名前を呼んだ。

 けれども、彼女は嬉しそうにそれを受け入れて、涙をポロポロと涙を流しながら、両手を広げて、彼が自分に抱き付くのを待った。

 また、彼女も、自分の大事な人の名前を口にした。


「至さん――やっと、来てくれたんですね」


 その幻覚はすぐに途切れた。

 気が付けば、勇は巫実を強く抱き締め、巫実もまた、彼を強く抱き締めていた。


「勇くん……ごめんね……ごめんさい……私……」

「いや、悪いのはアレを巫実さん託した媛乃さんじゃ。巫実さんは悪くない」


 なんて、さらっと媛乃に責任転嫁しながら、勇は巫実の髪の毛をそっと撫でた。その時も、彼女の髪の毛が真っ黒に染まった気がしたのだが、すぐにいつもの白菫の真っ白な髪の毛に戻り、勇は首を傾げながら、巫実をチラリと見た。

 その瞬間、巫実を囲っていた炎に擬態した壁は消え、体育館を焼き尽くしていた炎もゆっくりと消え始めた。そして、それらも全て幻覚だったと言わんばかりに、試験前の体育館の情景へと、スゥッと戻っていった。勇は炎が消えた体育館を見ると、火災による被害を受けていたであろう物証達が、何事も無かったようにすっかり元に戻っているのを確認した。

 勇は巫実から離れて、彼女の顔を見た。

 巫実は泣きながらも、その表情は優しい笑みを浮かべており、勇の頬に自分の手を置いていた。


「……勇くんには何もなくて、良かった」

「巫実さん……」


 勇は巫実の目元に自分の指を置くと、その涙を拭った。


「やっぱり、巫実さんにはそうやって可愛く笑っていて欲しいもんじゃのう。泣いているよりも、そっちの方がワシは嬉しい」

「勇くん……」


 2人は思わず微笑み合った。

 お互い無事で安心したのと同時に、何やら周りから視線を感じたので、ふと、周りを振り返ってみた。


「……あ」「あ、あぅ……」


 勇と巫実の仲良しっぷりに、先程まで廊下に避難していた生徒達がゾロゾロと注目して歩み寄ってきていたのである。

 その前にいたのは、焔と、丁度体育館にやってきた媛乃と助手だった。焔と媛乃は、先程2人の世界に入り込んでいた勇と巫実を見て、呆れ混じりに溜め息を吐いていた。


「お前さん達なぁ……イチャイチャするんなら、もう少し場所を選べ」

「火災は収まったのに、またもや気温が高くなったわね。助手、魔法準備」

「わかったぞ!」

「い、いや、少しは容赦してくれ……巫実さんも突然のことで混乱しておったし」


 本当に魔法を使いそうになっている助手を止めながら、勇は額に青筋を浮かべた。

 そういえば、まだ魔法試験の途中であったと勇は思い出した。時間の方はすっかり予定の終了時刻に近付いており、これ以上は予定を超過してしまい、このまま試験を続行してしまえば、学校側や教師側ののスケジュールも狂ってしまうであろう。

 媛乃は魔法を使おうとする助手に制止をかけて、巫実に声をかけた。


「ハムスター、後で一緒に事後処理するわよ」

「えっ……」

「今回の件、私の迂闊の判断によるものだもの。それに加えてハムスターどころか生徒達を巻き込んでしまったから。私からの弁明は絶対に必要よ」

「そ、そんな……私が悪いのに……」

「私の迂闊な判断で、貴女に責任を背負わせたくないの。素直に従いなさい」


 と、


「……本当にごめんね」


 媛乃は巫実の頭を撫でながらそう言った。ふと、その言葉から、かつての在りし日の媛乃の姿が見えた気がした。

 そのうち、教師が体育館内を点検した後、問題ない事を確認し、生徒達に解散が言い渡された。試験は全校生徒共通として、通常試験含めて一旦停止とし、後日改めてスケジュールを組み直すという。

 生徒達が各々体育館から去る中で、勇、巫実、焔、いつの間にか来ていた颯汰、媛乃、助手は行列の最後尾に着いた。媛乃はその中で、焔に言った。


「焔、試験が先に伸びたんだから、もう一回頭に叩き込むわよ。良かったわね、勉強期間が増えて」

「か、勘弁してくれ……」


 勇と巫実、颯汰はそんな会話を繰り広げる2人を苦笑して見つめ、颯汰は話しかけた。


「じゃあ、勇と伊和片さんはまた後でね。おれ、腹減っちゃって、早く帰りたいから」

「あぁ、もうそんな時間か。そうじゃのう、ワシらも食堂で食うか、巫実さん」

「……うん」


 巫実は小さく笑みを浮かべて、勇の意見に賛同した。

 媛乃は焔にチクチク言葉を言い放ちながら、巫実をじっと見ていた。彼女の中に、自分の想定を超えた妖力が明らかになった今、ふと、思った。


(この子の妖力があれば……もしかして……)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る